200話 探検です
呻き声に一瞬、アリッサがうなされているのではと思ったが、上ではなくどう考えても食品貯蔵庫の方から聞こえてきている。
ラーラは私が広間にいると思い込んで扉の前に控えているので、私がまさか台所まで移動しているとは思わないだろう。
主のいない家の家探しは正直気が引けたが、聞こえるか聞こえないかのささやかな苦しそうな唸り声を、私はほおっておくことは出来なかった。
食品貯蔵庫を、そっと覗き込む。
とぎれとぎれだが、確かに声が聞こえてきている。
ここは窓が無いし、暗いので私は台所に戻って手提げ式照明を手にとって戻る。
どうやら魔素で動く様で、火をつける手間が省けて良かった。
部屋の灯りをつけても良かったのだけれど、もし誰かが急に帰ってきたらランタンなら灯を落とせばその場で隠れられると思ったのだ。
ランタンに照らされて、食品貯蔵庫の中が明るくなる。
棚には瓶詰の食糧や穀物の粉などが、きれいに整頓されて並べられていた。
掃除もきちんとされているし、怪しいところはどこにもなかった。
耳を澄ませてみる。
「う……、う……」
低い、唸るような呻き声。
どうやら、壁からしているようだ。
ランタンでその方向を照らしてみると、壁に小さな扉が付いている。
大人だと、かがまなければいけないだろう。
手をかけるとすんなりと開いて、私はあっけにとられた。
その不用心さもだが、そこには地下へと続く階段が現れたのだ。
階下からはなんというか独特の埃の様な、何かが痛んだような臭いが鼻につく。
一瞬、広間前で立つラーラを呼ぼうか悩んで、私は振り返った。
地下への探検なんて、思いもしなかったのだ。
ラーラを呼べば、先頭を切って地下へ降りてくれるだろう。
頼りになるだろうが、それだとドリスに見つかった時にどうしようか困るのだ。
広間前にラーラがいれば、誰かが帰れば何かしら会話になるだろうし、それを合図に何食わぬ顔で戻れば、この探検は隠しておける。
なんなら食料貯蔵庫までなら、行儀は悪いが「お腹がすいてしまって」で済まされるのだ。
躊躇したが、私は一歩を踏み出した。
音を立てない様にゆっくりと石造りの階段を降りていく。
光の差さない地下とは、こんなにも冷えるものなのか。
だんだんと、生気を奪われるような錯覚に陥る。
程なく地面は平らになり、短い階段が終わったことがわかった。
その先は通路になっており、いくつか部屋があるようだ。
ランタンの光を頼りに、慎重に足を進める。
呻き声が聞こえるのは、もう確かである。
声のする部屋へ、私は近づいた。
「うっ……。うっ……」
扉越しに耳を当てると、確かに室内から声がする。
開けてもいいものだろうか?
獣の唸り声でもないし、苦しそうな人の声のように思える。
私はこの探検に時間がないのを思い出して、思い切って声を掛けてみた。
「どなたか、いらっしゃるのですか?」
声が止まる。
「すみません、呻き声が聞こえたので……。怪我でもされているのではないでしょうか?」
もう、何も聞こえない。
相手も、息をひそめているのだろうか?
そっと、扉に触れると鍵などはかかっておらず、軽い音を立てて開いた。
中は暗いが、空気穴があるのかそこほど澱んだ空気の感じはしない。
ただ、なんというか饐えたような臭いが、こびりついたようにそこに存在していた。
私は、一度目をつぶってから意を決してランタンを部屋に掲げる。
暗い部屋。
あるのは、ベッドだけである。
そこには小さく、いや大きさは大人であるのだが、全体の肉の量が減った萎びたような体積の老人が横たわっていた。
その様子は、萎びたというのが一番ふさわしい。
絞られた雑巾の様な?
干からびた置物の様な?
ともかくそこには人がいたのだ。
右の瞼は開かないのか、左の目だけが生きていることを示すかのように灯りをみていた。
私には、気付いていないのだろうか?
まるで私は目に入っていない様に、揺れるランタンの灯りだけをそれは追っている。
「無断で入ってしまって、ごめんなさい。お体は大丈夫ですか?」
こんなもの、どうみても大丈夫な訳がないだろう。
それがわかっていても、聞かずにはいられなかった。
この人が人の言葉を理解し返事をすることが出来るのか、それだけでも確認したかった。
「あー……、うっうー……」
それだけが絞り出されるように口から音を出すと、そのまま静かになってしまう。
言葉に反応したのか、光に反応したかもわからない。
急にこの暗闇の中で、呻く事しか出来ない老人と2人きりであることが怖くなる。
私は何故、初対面の人間の、初めてくる家の地下室を探ろうなどと思ったのだろうか。
ぐるりと灯りを巡らし、部屋を見てみても人間らしさの欠片も無い。
あるのはベッドとこの人だけ。
何も言わなくなった老人をおいて、私は後ずさりながら扉を開けると階段を登った。
どうしたらいいのか、どうすればいいのかもわからない。
食料貯蔵庫まで戻ると、手早く灯りを消して私は広間に戻った。
可愛らしく飾られて暖かい陽射しが照らす、居心地の良い広間。
ここはまるで、あそことは別の世界の様だ。
恐怖心が湧き上がる。
もしかして、あれがさっきラーラが言っていたゾンビかもしれない。
一瞬、そんな考えがよぎる。
その方が、どれだけ幸せな事か。
あれが死体なら、どれだけ良かったことか。
あの左目だけが生きていることを、私に教えていた。
壁の修理をしていた男の事が、思い出された。
「もう、すわないで」
頭の中で男と老人が重なって、そう呟いたように思えた。




