198話 巡教です
「運ぶのは私がいたしますわ」
盲の老婦人に何もかもさせるのは忍びないので、少しだけ手伝いをする。
「ごめんなさいね。お客様にお茶を運ばせるなんて」
「お気になさらないで。私の方こそ糸紡ぎの邪魔をしてしまったのだし」
白髪で可愛らしい老婦人だ。
部屋の中は可愛らしく黄色で統一されており、どの布も刺繍糸で花のモチーフが描かれている。
「昔は機織りや刺繍を1日中しても平気だったのに、今では糸を紡ぐのもやっと。それも村の若い子に準備してもらわないといけないなんて、歳を取るものではないわ」
言われるままにテーブルの定位置だという場所にお茶を置くと、何度か宙に手を出したあと、ちゃんとカップに手をかけて飲み出した。
「この村には長いのですか?」
「ええ、そうね。ドリスが村を建て直してすぐくらいに来たのよ。あの頃は人もまだ少なくて、ドリスは色々な町を回ってアトラクナクア様の話を説いていたの。私もそれを聞いてここまで来たのよ」
「まあ、ドリスさんは最初は巡教者の様なことをされていたのですね」
「ええ、そうね。アトラクナクア様の素晴らしさと共に、虐げられる女性を助けたいと情熱をもって話していたわ。後はせっかく女性として生まれたのだから女性としての楽しみを諦めてはいけないと」
「そういえば先ほども、ドリスさんは女性の楽しみをお話してらっしゃいましたわ」
「ふふ、彼女も変わらないわ。変わらないと言えば不思議なんだけどあの子は年を取らない様に見えるのよねえ。私もすっかり目を悪くして最後に見たのはいつだったか」
「ドリスさんは私の目から見てもそれほどのお歳には見えませんでしたわ。実際はおいくつくらいなのですか?」
「そうね。私と変わらないくらいかしら? 私はすっかりおばあちゃん。やはりアトラクナクア様が付いていらっしゃると色々と違うのかもしれないわ」
実際に同じくらいという老婦人を目の前にすると、村長の異常さが際立つ。
「あなたも、アトラクナクア様を信じていらっしゃるのですね」
「ええ、他所の方は黒山羊様におすがりになるのでしょうけれど、この村にいるとね。乱暴な男達が大人しくなるのを随分と見てきましたからねえ。こればかりは信じないわけにはいかないのですよ」
老婦人の語る様子を見ると、嘘をついているようには到底思えなかった。
「小さなお客さん。ちょうど向こうの壁を修繕している男がいると思うので、後で声をかけてみるとわかりますよ。あれも女性を売ったりなんだりと随分悪い男だったと言いますし。今の彼を見てやって下さいな」
「そんな人が……」
「なあに、怖い事などありゃしませんよ。もうすっかりアトラクナクア様のお陰で、虫も殺せないくらい穏やかな男になってますからね」
当然の事です、という風に老婦人は語った。
何故かこの話を続けるのが怖くなって、私は糸紡ぎに目を向けた。
「そういえば、こちらの村は糸も作っているのですね」
「ええ、村の外に日当たりの良い水はけもいい畑がありましてね。そこに綿花畑があるんですよ。羊小屋も大きくすれば羊毛も沢山とれていいんでしょうけど、羊の餌と放牧するまでの土地はありませんで。絹糸もあるといいんでしょうがね。この山には蚕の餌になる桑があまりないので、そこは買い付けるしかないんですよ」
やはりこの村の人間だけあって、詳しく糸についても話してくれる。
糸紡ぎが自分の仕事でもあるせいか、老婦人は饒舌であった。
「蜘蛛の糸で縫物が出来ればねえ」
ふうっと、ため息をつきながら老婦人がそういう。
「確か、こちらは蜘蛛が多いのでしたっけ?」
「ええ、それはもう。殺さない様に毎日巣を払うのが大変なんですよ。世の中には蜘蛛の魔獣の糸があると聞いたことがあるけれど、一度触れてみたいものでした。それは柔軟で美しくて素晴らしい糸だとか」
それは魔獣図鑑で見た覚えがある。
「確か絹蜘蛛でしたか。金色の蜘蛛の巣を張るのですよね。その巣を持ち帰って熱湯につけると布を織るのに耐える糸になると本に書いてありましたわ」
「ええ、ええ、それです。蚕の様に養殖する訳にもいかず、それを見つけたら幸運であるといわれていて、糸紡ぎには夢の様な蜘蛛ですよ」
確かに蜘蛛を人が飼うのは難しそうだ。
運よく捕らえることが出来たとしても1匹飼ったところで、とれる糸の量も知れているだろう。
魔獣を狩る冒険者が偶然、巣を見つけて持ち帰るくらいが入手方法なので、珍しい部類の魔獣に当たるのだ。
持ち帰った巣には好事家が競売で高値をつけるので、一般に出回ることはほぼないという。
最初に魔獣の蜘蛛糸を熱湯につけて糸に弾力を持たせるのに気付いた御仁は、一体何を思ってそんなことをしようとしたのか不思議である。
金色の糸なら黄金と同等だと諦めきれずに加工してみたのか、蜘蛛退治に熱湯を使った副産物なのか。
昔の人の創意工夫には驚かされるばかりである。
糸談義をひとしきり楽しんでから老婦人に礼を言って、席を立った。
近くの壁を直しているという男を探さなければ。
奇蹟を受けた男。
そんな男が本当にいるのなら、この目で見ておかなければならない。




