197話 指先です
「まずは手を綺麗にね? 指先が綺麗だと目に入るたび嬉しくなるものだもの! 荒れた手で糸や布を扱うと傷をつけてしまうし特に大事だわ。綺麗な手でいる事も私達の仕事なのよ」
真っ白な傷の無い手をヒラヒラさせて、村長はそう言った。
綺麗でいることが仕事。
女優のやモデルの様に外見を見せる仕事出なくとも、そう意識して過ごすのは何だか楽しそうだ。
「せっかく女性に生まれたのだもの、顔の美醜はともかく化粧やお洒落を楽しみたいじゃない?」
ドリスはウインクをしながら、そう話す。
まさに、生を謳歌しているという風に。
「そういえば爪に色を付けたり、ガラス片で飾るのが流行ったと伺いました」
賢者が考案して流行らせたネイルアートがあったはずだ。
「ああ、美爪術ね。あれも試したのだけど爪に悪いのと、剥がれかけると糸を引っ掛けて駄目なのよね。ガラス片なんてもっての他だし。爪のお手入れは昔ながらの蜜蝋と皮で磨くのが1番だわ」
そういってドリスは、ピカピカで滑らかな表面の爪を見せてくれる。
磨かれて血色が良い爪は、ピンク色に輝いていた。
刺繍工房を出ると、隣の機織り用の工房へと連れて行かれる。
ぎいぎい ばったん ぎい ばったん
手動の機織りの音がいくつも重なって、賑やかな場所である。
ドリスは先ほどと同じように私達を紹介してから、普段の様子を見せるようにと皆に言い含めた。
数々の張り巡らされた縦糸の上を、横糸をセットした杼がするすると滑っていく。
それをトントンと整えると、一列の完成だ。
中には模様を入れるために決められた本数の糸を飛ばして、爪で押さえつけて整えてもいる。
途方もない時間をひとつの作品に込めるのだ。
「職人の爪を見てみて」
ドリスに言われて目をやると、中指の爪だけがギザギザになっている。
「彼女達は中指の爪をわざと鋸状に整えてるの。細かい部位はその爪先で横糸を織り込んでいくのよ。機織り職人は爪の先まで機織り機の1部として考えられているわ。だからこそ表情豊かな紋様を織れるのかもしれないわね」
どの糸を飛ばして何回織ってと、気の遠くなる作業の果てに彼女達の作品は出来上がるのだ。
ひとつひとつは地味な仕事であっても、それを大事にする事で人の心を打つ綴れ織りが完成する。
改めてすごい仕事だと見惚れてしまった。
「刺繍もですが機織りも素晴らしいですね。実際にこうして見る事で、作品に込められた時間と思いにため息が出てしまいます」
「私の自慢の村は気に入ってもらえたかしら? シャルロッテちゃん」
ドリスが私に微笑む。
「ええ、本当に可愛らしくて素晴らしい技術も持つ素敵な村ですね」
素直に感想を述べると、彼女は私の手を取って引き寄せた。
「私、あなたみたいな子供が欲しかったの。もちろんトビアスみたいな息子もね。ああ、シャルロッテちゃんが私の娘になってくれたらいいのに」
ドリスは微笑んでいるはずなのに、何だか悲しく見えた。
「優しい子ね。そんな顔しないで、しがない女の独り言よ」
彼女は私の頬を撫でながら、寂しそうに呟いた。
「村長、ちょっといいですか?」
村の女がドリスを呼びにくる。
「ごめんなさいね。案内の途中なのだけど、機織り機の調子が悪い物があって少しそちらを見てくるわ」
そう断ると工房の奥へ消えていく。
とりあえず村の中は安全なので自由に行動して、ドリスの家で落ち合う事になった。
トビアスは菓子屋へもう一度行くといい、村の様子に安心したマーサは刺繍工房で図案を見せにもらいに向かう。
ラーラがいるので、たまには自分の好きな事をしてと申し出た私の意見を聞いてくれたのだ。
旅先で少し子守りから解放されるのは悪いことではない。
乳母孝行になるといいのだけれど。
後で糸屋で買い物もしたいと張り切っていたし、のどかで働き者の女性が多いこの村をマーサはすっかり気に入ったようだった。
残された私はラーラを後ろに従えて、のんびり村の散策をする。
可愛くて色鮮やかな村は、歩いているだけでも楽しい。
ある家に近づくと、キーキーカラカラと軽い音がしてきた。
その家の扉は開いていたので、そっと中を除くとひとりの老婦人がふわふわの綿花から糸を紡いでいた。
細く綿を撚って、糸車をカラカラと回して巻きとっていく。
「おや? 誰かそこにいるのかい?」
老婦人は顔を上げると、玄関に向かって声をかける。
「あの、覗いてしまってすみません。音がしたので何かなと……」
私がバツが悪そうに謝罪をすると、いいのよいいのよと優しい声で家に入るように誘われる。
老婦人の好意に甘えて、ラーラに外で待つよう目で合図をして中へ入る。
「お邪魔します。今日、村の見学に来たシャルロッテ・エーベルハルトと申します」
「声からするとまだ小さいお嬢さんかしら? 立派な苗字があるなんて良いところの出なのね」
どうやら目が見えないらしい。
それでも勝手知ったる我が家と言うことか、何がどこにあるのか分かっているようで、テキパキと2人分のお茶を入れてくれた。
本日2度目のお茶会である。




