195話 工房です
「私は自慢の村を見てもらいたかっただけなの。どうしましょう? これは不敬にあたるのかしらトビアス」
不安そうにトビアスの手を握るドリスは、はたから見ると彼にしだれかかり色仕掛けをしている女性に見えるが、実際には年配の女性が若者を頼りにしている図である。
当人たちも甘い雰囲気のひとつもないし、まさかそんな風に見えるなどと思ってもみないだろう。
「ドリスさんは随分お若いのに村長をされているなんて尊敬いたしますわ」
村長の素性をまったく知らないマーサがそういう。
せっかく私がそこに触れない様にしていたのに……。
私はゴクリと村長の返事を待って、唾を飲んだ。
「若いだなんて、こう見えて実は生まれてから大分経っているのよ? 何故だか私だけあまり歳をとらないようなの。きっとアトラクナクア様のおかげね」
ふふっと笑ってみせるが、詳しい年齢をいう事はなかった。
私の大雑把な計算でもこの女性はマーサよりも10歳以上年上な訳だし、それを知ったらマーサはびっくりして気絶してしまうかもしれない。
村長が歳を取らないというのはどうやら本当の事の様だし、それは魔法なのか、それとも神の力なのか私にはまだ判断がつかなかった。
「あら、アリッサ。やっぱりまだ辛いのじゃない?」
ドリスがアリッサの顔を覗き込んだ。
言われれば、確かに汗を額に浮かべている。
「疲れが溜まっているのよきっと。ここまで遠かったのだし、何と言ってもその前も寝込んでいたでしょう? トビアスとシャルロッテちゃんに挨拶はしたのだし、上で休んでらっしゃい」
「そうね、休ませてもらうわ。シャルロッテ様、どうかごゆっくりなさって」
そう断ると、アリッサは階上へと上がっていった。
「アリッサさんは、どこかお悪いのですか?」
「いいえ、家を出る直前まで彼女、熱を出していたの。すぐにこちらに向かったものだから、旅の疲れもあって熱がぶり返したのでしょうね。若いのだもの、すぐに生まれ変わったように元気になるわ」
病み上がりで旅だなんて、そんなに急いでここに来ないといけない理由があったのだろうか?
ここに駆け込んだわけでもないと言っていたし、なんだか腑に落ちない。
それともあれは小さい子供の私への気遣いだった?
「彼女は次期村長なの。何十年も村長をやってきたけれど、ようやく後釜が見つかってよかったわ。これで私ものんびり出来るわね」
ドリスはやっと肩の荷が下りると、安堵した表情をみせた。
「来たばかりの彼女がかい? 随分気に入ったようだ。今まで誰も跡継ぎにしようとしなかったというのに」
トビアスがそれを聞いて目をぱちくりとさせている。
彼が子供の頃からずっとドリスが村長なのだから、別の人間がその座につくのは違和感があるのかもしれない。
アリッサは働き者には見えるが、古株でも無く経験もなさそうな女性だ。
古参を差し置いて彼女を選ぶ理由はなんだろう?
しかも最近、来たばかりのはずだ。
まだ二十歳にもならないだろうに、今後を見据えてドリスが教育するとでもいうのだろうか。
「私もいい年ですからね。村のあれこれを他の人に任せたくなるのは当たり前というものよ? アリッサはいい子だし、きっと上手くやってくれるわ。さあ、この話は終わり。村の散策と行きましょう?」
ドリスはパンパンを手を叩くと、私達を外へと促した。
「まずは刺繍の工房がいいわね」
村の北側にむかうと、工房がいくつか建てられていた。
天井が高く、壁には手作りと思われる多少歪つで仕切りの多い棚が備え付けられている。
そこには色鮮やかな数々の糸が置かれて、ひと目で欲しい糸が分かるように収納されていた。
他にも吊るされたドライハーブがいい香りを漂わせ、ちょこんと隅に置かれた針や鋏の手入れの為の油瓶までが可愛らしく飾られていて、職場というより手習いの教室のような明るい雰囲気であった。
大きな作業台がいくつか置いてあり、そこで女性たちが鮮やかな手付きで刺繍を嗜んでいる。
「小さなお客様がいらっしゃったの。皆さんよろしくね」
ドリスが声を掛けると、手を止めて女性達がこちらをみる。
皆子供好きなのだろうか、仕事の邪魔をした私を快く歓迎してくれた。
「こちらで、仔山羊基金の商品を作ってるんですよ」
見本である紙に描かれた仔山羊マークが置かれて、黒い糸の糸巻がいくつも出してある作業台へ案内してくれた。
こう言っては何だが、仔山羊マークは本当に子供の落書きなので、美しい刺繍を生み出す手を持つ人達にこの拙い図案を見られている事実が非常に気まずい。
高い技術が無駄になっているようで申し訳ないのだ。
「皆様のような素晴らしい刺繍家の方に手伝っていただけて、本当に光栄です」
他にどういっていいかわからないので、感謝が伝わればいいのだけれど。
「お父さんへのプレゼントに刺した意匠ですもの。こちらこそ、そんなお仕事をもらえてうれしいです」
女性のひとりがそう答えた。
「え? 由来までご存知なのですか?」
驚く私に、女性は一枚の紙を渡してくれた。




