190話 罰です
元々トビアスが王都学院を卒業するまでの1年間と決まっていたのなら好き勝手過ごして、後を押し付ければいいだけなのだ。
現に未だにトビアスは、そのツケを払うことになっている。
代行の横暴が表沙汰になれば自分も罰せられるが、それはトビアスも道連れである。
皆が口を閉じていれば、彼らの愛する領主は安泰なのだ。
告発されなければ罪は存在しないのをいいことに、どんどんと増長していったのだろう。
そこに付け込まない馬鹿はいないといったところか。
その付け込む様なやり口に反吐が出るが、死んだとはどういう意味だろう。
刑罰を食らっていないのは現在、トビアスが領主を勤めていることでわかる。
領主代行に何が起こったのだというのだ。
「あのろくでなしは、よりによって村の女に手を出そうとしたんですよ。そんな事アトラクナクア様がお許しになるはずがないのに」
本当に何故そんな事をするのか信じられないといった風にエマは肩をひそめてみせてから、うっとりとその様子を変えていった。
「まずいつも通り大人しくなったんです。でもアトラクナクア様はそれだけではお許しにならなかったのですよ。当時の館仕えの話だと、領主代行は日を追うごとに言葉も話せなくなり、動きも緩慢になって最後は息をする事しか出来なくなったそうです。ざまあみろですよ。アトラクナクア様がいるのに好き勝手した罰です。死体はとっとと家族が引き取ったそうですが、後始末に追われるトビアス様が気の毒で……」
途中からは子爵の苦労を思って涙を浮かべている。
この女性がアトラクナクア教に心酔しているのがよくわかった。
法に照らして裁くよりも、神に身を委ねる事を尊重しているのだ。
それはどうかと思ったが、もし黒山羊様が同じ事をしたら私はその結果を疑わず、いや少々疑問に思うかもしれないが、最後にはそういうものだと飲み込むだろう。
この女性と私は、掲げる神が違うだけで同じなのだ。
罰せられた男性の死因が病死でも事故死でも何でも良いのだ。
神に罰を求めたら、与えられたのだから。
村人の確固たる信仰に触れて、小さい礼拝堂を置くのもこれは困難なのではないかと私は思った。
ひとしきり領主代行の話を終えるとエマは満足したのか、元の気のいい使用人に戻っていた。
それと同時に私から消えようとしていた、この村へ対しての警戒心が頭をもたげる。
彼女は領主代行について「いつも通り大人しくなった」と言った。
これは事前に聞いていた奇跡に該当するものだろう。
性格が変わり、言葉が出なくなり動けなくなる。
まるで認知症のようだ。
認知症にはいろいろあるが、いずれも脳に損傷が起きたり萎縮することで起きるのではないだろうか?
神様が脳障害を起こす?
いやいや、そんな事があるだろうか。
突然の考えに頭を振る。
神の存在を信じているが、神様ならもっとやりようがあるのではないだろうか?
薬や何かでそういう症状をもたらすものがあれば、村長がそれを使って男達を操っていることも考えられるし、魔法だってあるのだ。
人為的に起こされた可能性を捨ててはならない。
人為的……。
何か頭をよぎったがハッキリとは分からなかった。
とにかく起こる奇跡と、その症状がわかったのは収穫である。
「アトラクナクア様は大きな蜘蛛と言われておりますので、タペストリーにも蜘蛛のモチーフが使われているんですよ」
エマの解説に壁掛け布を見ると、花弁の隅や背景の物陰に蜘蛛が織り込まれているのがわかる。
「まあ、では蜘蛛が描かれていればシュピネ村の作品だと分かるようになっているのですね」
気味の悪い罰についてはともかく、素晴らしい技術で織られた作品を前に私は素直に感心してしまった。
「考えもしませんでしたが、そうかもしれません。機職人に今度からシュピネ村の作品の目印に蜘蛛を必ず何処かに入れるよう徹底するのもいいかもしれないですね」
蜘蛛が目印という言葉が気に入ったのか、エマは頷きながらそう言っている。
昨夜はアトラクナクアの事には触れずに、蜘蛛を殺すなとだけ言っていたが、すっかりタガが外れたのか宗教に関して気にもしていない様子だ。
刺繍もそうしたらどうだろうかと相談されたが、ワンポイントか四隅に施される刺繍では蜘蛛の存在が目立ち過ぎるのでやめた方がいいと答えておいた。
タペストリーは絵画的鑑賞物であり、風景や物語が描かれているのでいろいろなモチーフが入っても調和が取れるが、ハンカチやクロスなどはあくまで模様であるので、その違いは大きい。
まあ、仔山羊基金の商品の様に商標マークのような扱いならまた別であろうが……。
蜘蛛の意匠は幻想的で一定の人間には受けるかもしれないが、一般的な婦女子には少し怖くて敬遠されるかもしれない。
やはり人に受け入れられるには、山羊の様に可愛くなくては。
クロちゃんの愛らしいフォルムを思い浮かべて、傍にいないのが寂しくなった。
無理を言って連れてくれば良かったかもしれない。
子爵家にいる間は馬車で過ごさせれば、村では一緒にいられたのに。
でも馬車で待たせるのは可哀想かしら?
ビーちゃんもいれば寂しくないだろうし、次の遠出には同行させようと決意する。
私の思考は仔山羊の可愛らしさにすっかり脱線してしまった。




