189話 綴れ織りです
「無欲だなんて。お嬢様たちの様にシュピネ村へ向かう貴族はまずこちらの館を訪れますでしょう? ここで目にした刺繍や、壁掛け布を買う方もいらっしゃるので結果的には売り上げに繋がっているんですよ。もちろんトビアス様は、そのお金を着服したりもなさいませんし」
自分のお金にしてしまっても文句は出なさそうなのに、しっかりしているものだ。
本当に領民に慕われているということが、この短い時間でも伝わってくる。
「綴れ織りは縦糸を見えなくして、横糸だけで紋様を紡いでいく技法なんですよ。村へ行ったら是非綴れ織りの機職人の工房も見学下さいね」
「機織りも糸紡ぎも見たことがありませんから、楽しみにしております」
「機を織るのも糸を紡ぐのも、見ているだけで気が紛れるものですしいいものですよ。どちらも音が出るのでまるで歌っている様なんです」
それを聞いて、歌うサモワールの事を思い出した。
機織りも糸紡ぎも元は工房ではなく、各家庭でしていた手仕事だろう。
道具が音を立てるのを、歌に見立てるのは多いのかもしれない。
「そうそう、機織りと刺繍職人の手を見てみるといいですよ。糸を紡ぐ手は荒れていてはいけませんからね。あかぎれなど出来ぬ様に皆気を付けているんです」
「仕事によって、気をつけることが違うのですね」
私が感心すると、機織りの説明を細かくしてくれる。
「とてもお詳しいのね」
マーサもエマの知識に目を丸くした。
「シュピネ村では刺繍に糸紡ぎ機織りと、とりあえず全て1度教わるのですよ。お陰でそちらを生業にしていなくても説明するには事欠きません」
きっとエマはこういう説明が出来ることも見越して、客室係に抜擢されているのだろう。
詳しい説明を聞けば作品を見る目も変わるし、価値も上がる。
そういう意味では彼女は最適で、優秀な案内人であった。
逃げてきた女達にまず手仕事を仕込むのは、良い選択のような気がした。
何もする事がなく、保護されるのは心苦しいに違いない。
仕事を仕込めば稼ぎにつながるし、技術が良ければ人の目にも止まる、それに何より気が紛れるというものだ。
何かに打ち込むことは辛い過去から一時自分を解き放って癒してくれるはずだ。
村もその仕事で有名になって、外から仕事が入ってくるのだから方針としては正解なのでないだろうか?
宗教は置いておいて、ともかく村としてのあり方や女性の保護については、有能な村長である事に間違いない。
人権の保護、それは本来なら国の主導で行われる事のはずだ。
国政や文化、文明の発達途中のこの世界では、まだ着手には難しいのかもしれない。
世を儚んだ女性が逃げ込めるのはせいぜい修道院くらいである。
それも保護期間が過ぎれば正式に出家して尼僧にならなければならないし、俗世に身を置いたまま逃げ込めるこの村はとても特異なのだ。
そう思うと特殊な宗教で志しをひとつにして活動出来るのは大きな武器だろう。
祭司長がこの村は大丈夫だと送り出してくれたのは、私にこういう問題を考えさせる為かもしれない。
村長から学べる事も多いような気がする。
私の警戒心はすっかり解けて、すっかりこの村に賛同する気持ちに傾いていた。
「領主代行が酷い方だったと伺いましたが、村は大丈夫だったのですか?」
ふと、思い出して聞いてみる。
「あのろくでなしは前領主様の親類でしたが、とんでもない人でした。あの1年は悪夢としか言いようがなかったです。わかりますか? 地獄から逃げてきて助かったと言うのに、また横暴な男に振り回されるなんて……」
そう言われて私は言葉を失ってしまった。
不用意にする話では無かったのだ。
今、いくら笑っているとしてもその心には他者によってつけられた傷が残っているのだ。
今まで過ごした場所を捨てる決意をさせた傷が。
「ああ、ごめんなさい。私ったらこんな話を。もう終わった話なのですからいいんですよ」
にっこりと笑ってそういってくれた。
謝るのはこちらの方だ。
「その人には厳罰が下ったのでしょうね」
マーサの言葉に、エマの目がすっと暗くなる。
「死にました」
感情が無くなったかのような目で、エマは続けた。
「アトラクナクア様が、裁いて下さったのです」
私とマーサは、何も言えないままエマを見つめた。
「トビアス様が戻られるまではと、村長も我慢したんですよ?」
領主代行の無能さを王都が知ればどうなるか。
誉ある王国の土地を治める役職に、その様な者を選んだトビアスにその咎が及ぶのは言うまでもない。
いくら年若くて経験がないといっても、任命した事実がそれを許しはしない。
それくらいは村人でもわかる事だ。
或いは領主代行が王都に自分の行動が知られれば、トビアスの立場は無いと領民に匂わせたのかもしれない。




