186話 作品です
よく見るとテーブルの上に掛かっているクロスやナプキン、お茶が冷めないよう真鍮のポットに被せてあるティーコージーや目に入る布全てに優雅な意匠の刺繍が刺してある。
そればかりではない、布に糸で絵が織り込まれている壁掛け布も目を見張るものがあった。
そちらは大小様々、冷たい壁を飾り部屋を外の冷気から守る様に彩っていた。
「素晴らしい壁掛け布と刺繍ですね」
私が素直に感想を言うと、子爵は我が事のように喜んだ。
「芸術作品のようでしょう? 領民が是非にと持ってきてくれるんですよ。貰うだけでは悪いので布や糸を買い付けて差し入れるのですが、そうすると新しい作品がまた届いてと、すっかり我が館は刺繍の見本市場のようになってしまいました。まあ、こうして客の目に止まると皆、村へ注文しにいくので悪いことではないのですがね」
「まあ、領民の皆様と仲良くしていらっしゃるのですね」
「ええ、こんな田舎ではやることも無くて子供の時から村へ通っていましたし。特に村長には可愛がってもらって第2の母のようなものです」
私は子爵の事を、てっきり異教徒を抱えて頭を抱える領主だと思い込んでいた。
国から煙たがられる国教に与しない宗教はどこでも厄介扱いされると聞いたので、自領の恥だと隠す領主もいるという。
そんな先入観のせいで、誤解をしてしまい彼らの良好な関係を知って恥ずかしくて狼狽えてしまう。
私はいつも先入観と思い込みで失敗しているのに、もっと柔軟にならなければ……。
「村長というとドリスさんですか?」
「ご存知でしたか? ああ、今回の訪問はシュピネ村が目的でしたね。やはり刺繍を買い付けにですか?」
どうやら村長から話は行っていないようで、私のことを買い物客だと思っているようだ。
「いえ、ロンメル商会を通してシュピネ村に仕事を受けて頂いているのですが、商会を通して村長から村に招かれたというか……」
書面で話が来た訳ではないので、少し説明に困った。
「ドリスがそんな事を!! いやはや申し訳ない。私が親しくしているものだから、あまり深く考えず貴族であるあなたに声を掛けたのだと思う。彼女は子供好きなもので……。もしかしたら、単に会ってみたいとかいう話が大きくなったのかも」
子爵は顔を真っ赤にして、汗を拭いている。
領民が侯爵令嬢を村に招くなど、前代未聞な事なのだ。
だが、確かにこの招待は伝言ゲームの様を呈している。
村長が商会職員の女性に世間話のつもりで話した事が、会長に伝わる時に真面目な話になったとか?
有り得なくもない。
それにしても、子爵の母親のような存在で子供好きの村長か。
新興宗教の教祖と思っていたので、全くイメージが違う。
3、40年前に開宗したとして今は60過ぎくらいか。
話を聞けば聞くほど、彼にとっての村長は私にとってのマーサのような存在である。
身構えて来たものの、そんな人なら仲良く出来そうな気がした。
「村長は子供が好きなんですの?」
「ええ、それはもう。村にはあまり子供がいませんのでそれは大事にしていますよ。私が子供の頃などは私以外に小さい子はいなかったので、大層甘やかされました。お陰でこのような、ね?」
トビアスはまた大きな丸いお腹を両手で抱えるようにして揺らしてみせる。
紳士らしからぬ仕草だが、きっとこうして普段から笑いをとっているのかもしれない。
「シュピネ村はおいしいお菓子も揃っていると聞いております。今から楽しみですわ」
「いろいろな土地から女達がやってきますので、それはもうたくさんの種類のお菓子がありますよ」
途中で話の内容がこの場に相応しくないと思ったのか、少し声のトーンが落ちた。
お菓子の話は村の売り込みに使える利点なのだか、裏を返せばそれだけ女達が虐げられ逃げてきた証である。
それを儲け話や、話の種にする事は彼には出来ないのだ。
身分を笠に着る貴族ならば、気にせず笑って領地の宣伝に使うだろう。
それが出来ないのは領民との距離の近さを表しているのかもしれない。
それにしても腑に落ちない。
女性を助ける為の駆け込み寺なのはわかるが、そんなに子供が好きならそれこそ孤児院を作りそうなものなのだが、資料には特に子供の施設の存在は書かれていなかった。
小さな村なので、女性の保護で精一杯なのだろうか?
「村には子供はそんなに少ないのですか?」
「ええ、元々シュピネ村は廃村と言っていい寂れた土地でして、駆け込み寺になる前は恥ずかしい話、犯罪者が身を隠したり宿の無いゴロツキや行き場の無い老人が集まる場所だったもので、私が生まれた頃はそれこそ大人ばかりでした。今いる子供達も村で生まれた訳でなく母親と逃げてきた子供ばかりで」
何だか変な話だ。
追いかけてきた男が改心して、仲睦まじく幸せに暮らす御伽噺であったと思う。
それなら村生まれの子供も、いてもおかしくないと思うのだが。
「歪な村なんですよ。そもそもの成り立ちが駆け込み寺と、特殊ですから……。ああ! 本当に私ときたら、子供にこんな話をしてしまうとは申し訳ない。村は平和ですし小綺麗で可愛らしい小物もありますから安心して見て回るといいですよ」
本当に感情豊かで優しい人なのだ。
世間話をして、旅の疲れもあるだろうから1泊して明日、シュピネ村へ向かうように言われる。
急ぐ旅ではないので、お言葉に甘えることにした。
何だか思っていたのとは違う事ばかりで混乱しそうだ。
とりあえず、いろいろと誤解してごめんなさいと心の中で謝っておく。




