184話 子爵領です
「シュピネ村は女性の駆け込み寺といいますでしょう? 夫に良くしてもらった私が足を踏み入れていいものかと、少し躊躇しましたけれど、今回私はお嬢様のお目付け役なのだから気にする事はありませんわね」
マーサの言葉に私は驚いてしまった。
普通の女性はそう考えるに違いないのに、私はそんなこと思ってもいなかった。
いくら女性向けの村といえど、普通の人間がやすやすと足を向けることは無いのだ。
村の女性は偏見を持ってみられていてもおかしくはないし、村の男は何もしていなくても元暴力夫と思われるのだ。
村に駆け込んで救われた女性達は、別の意味で差別されるようでは生き辛い事だろう。
刺繍の腕で仕事はとれても、人が行き交わなければ村は発展してはいかないのだ。
ずっと宗教や奇跡にこだわって考えていたが、そう思うと私を招待したいという村長の意向はそこにあるような気がしてきた。
馬車の外の騎乗のラーラから声が掛けられる。
「子爵邸が見えてきました」
その声に、マーサと私は身嗜みを確認していつでも降りれるよう準備した。
技巧を凝らした訳では無いが、よく手入れされたフーバー子爵の屋敷の前庭は、その館に住む主人の真面目さを示しているような気がした。
馬車が玄関前に止まると、すでに玄関には年老いた執事が待っている。
その後ろには薄茶色の髪のふくよかな男性が厳しい顔で立っていた。
もしかしたら、フーバー子爵家は私の来訪を快く思ってはいない?
大体において愛想が良い貴族しか知らない私は、歓迎されない状況を考えていなかった。
挨拶状も出したし、聖女と呼ばれる身分はどこからも喜ばれて当然と奢り昂っていたかも知れない。
もしかしたら書簡の文章にもそんなところが滲み出ていたのでは?
男性の面持ちに突然自惚れを自覚して、羞恥に顔が赤くなった。
「突然の訪問、お許し下さり感謝いたします。エーベルハルト侯爵が娘シャルロッテでございます」
震える声でお辞儀をすると、ますます男の顔は険しくなった。
「遠くから我が領へようこそいらっしゃいました。トビアス・フーバーです。失礼ですがシャルロッテ嬢はおいくつになられました?」
歓迎する言葉とは裏腹に、怒りを抑えたような声だ。
一体私の何が気に入らないのか、怒りを向けられるのに慣れていない私はすっかり縮み上がってしまう。
「春に9歳になったところです」
「9歳!!」
子爵は驚いたように大きな声を上げた。
「聞いたか?ヘルゲン。この子はまだ9歳だと! 国と教会は何故こんな小さな子を聖女だと持ち上げて官吏のように地方貴族を回らせているんだ? これは由々しき問題ではないか?」
小さな噴火を起こしたかのように子爵が憤慨した。
「お言葉ですが坊っちゃま、そのように荒ぶられてはシャルロッテ様も怖がってしまいますので矛先を収め下さいませ」
ヘルゲンと呼ばれた執事は諌めるように子爵に話しかけた。
フーバー子爵はそれを聞いて慌てたようにかがむと、私と目線を合わせてくれてから弁解をする。
「すまない、君に怒った訳じゃないのだ。君が小さいのに大役を押し付けている大人らに腹が立ってしまったのだよ。君も嫌なら嫌と言わなければいけないよ? 大人の思惑通りに動いては悪い輩が次から次へと沸いて出るものだからね?」
オロオロとそう言う彼はもう怖くは無かったし、どちらかというと大きいキューピー人形のようで愛嬌があった。
玄関先で話し込んでもなんだというので、サロンに通してもらいお茶を出して貰う。
「今回、私がこちらに赴いたのは私の用事なのです」
どうやらフーバー子爵は小さな子供が国の都合でいいように使われていると、義憤にかられていたようだ。
確かにウェルナー男爵領に行ったと話が流れた後で、またもや王都と無縁のフーバー子爵領へ挨拶に出向くなど左遷された官吏の扱いだと言われれば、そうかもしれない。
「本当に、大人にそう言わされているのではないのだね?」
その勢いに飲まれない様に、コクコクと首を縦に振る。
トビアスは、心底心配しているという様子である。
正義感が強すぎて、どうやら思い詰めた結果があの厳しい顔だったようだ。
まだ半信半疑のようだが、険しさが消えてなによりだ。
よくよく見ると、ぽっちゃり体形で少し困り眉の空豆のような顔の輪郭の彼には、怒った顔は似合わない。
「坊っちゃんは若くして子爵位を継がれたもので、当初はハイエナのように親類縁者の大人達が集りまして、子供を利用する大人を嫌悪していらっしゃるのです」
執事のヘルゲンはそういって助け舟をだした。
ハンス爺とどっこいの年齢に見える。
先代からの付き合いなのだろう。
20そこそこではあるが領主であるフーバー子爵を坊ちゃんと呼ぶのが微笑ましい。
考えて見れば令嬢があちらこちらに出向くなど聞いた事がない話だし、聖女の話も教会のやらせの一環ではないかと思っていたそうだ。
王子のお披露目のパーティにも来ていたそうだが、人は見たいように見るというか、見たいものしか見ないというか、色眼鏡で見ればそういう風に見えるわけだ。
人それぞれ捉え方が違うのを改めて知ることになった。




