181話 拗ねる子達です
トビアス・フーバー子爵に近日の来訪の報せを送ると、短いながらも丁寧な返事がすぐに返って来た。
多忙の身なので大したもてなしは出来ないが、それでも良ければ歓迎するというものであった。
過剰な媚も売り込みもないシンプルで礼節を守った文章が、私にはとても好印象でまだ見ぬ子爵の人となりに触れたような気にさせてくれた。
それを受けて旅の手配をしてもらう。
ソフィアは一緒に行けないことに拗ねてみせたが、まとまった休みも魅力的なものだ。
使用人にまともに休日を与えない雇い主もいるとは聞くが、休む事で仕事の効率も質も上がるのだし、心身の為にも休みは大切である。
花には萎れた状態ではなく、いつも満開でいて欲しいのが人情というものだ。
しっかり休んで充実していて欲しい。
ソフィアはそんな私の演説と周りの説得にやっと縦に首を振り、私達の出発を見送ってくれた。
拗ねたというと、クロちゃんとビーちゃんも今回は留守番であり、若干の拗ねを見せていた。
クロちゃんはンメーとか細い声で鳴きながら私の足元にまとわりつき、ビーちゃんは私の背が届くかどうかのギリギリの高さのところに居座り、私が背伸びをして指を伸ばすと一旦指に止まるものの、また別の場所へ飛んでいってしまう。
それでも私の目の届くところしか逃げないのが抗議の意味合いなのかもしれない。
そんなこんなでクロちゃんに足を取られながら、小鳥を追いかけることが続いた。
初めて訪問する貴族の領地へ、仔山羊と小鳥を連れて行くのはさすがに憚られたのだ。
ウェルナー男爵領へは王子の威光もあり、男爵自身の希望もあって黒山羊様の落ち仔を連れて行くのに問題はなかったが、さすがに今回はやめておいた。
令嬢が訪問すると待っていて、山羊が来たら驚かせてしまう。
いくら教会のお墨付きでも礼儀がなっていないと侯爵家に恥をかかせることは出来ないのだ。
近くの街に預けるのも考えてみたが、カントリーハウスで自由にしている方が彼らには幸せだろう。
2匹にそんな事を言い含めてながら、思う存分モフモフを味わったのは言うまでもない。
出掛けにビーちゃんが形の整ったきれいな風きり羽を一本咥えて私の銀の腕輪に向けて差し出してきた。
銀の輪に付いていた仔山羊の毛がしゅるんと触手に変わり、羽を取り込むと黒地で黄色の差し色が入った毛糸に戻って元の様に収まった。
いつも仔山羊だ小鳥だと思っていても、たまに見せるこういう現象が神様の遣いなのだと教えてくれる。
可愛いだけでもすごい事なのに、神のお遣いまでしているなんて本当にすごい生き物だ。
ビーちゃんの羽もお守り腕輪に加わって、祭司長から渡された小さな黒山羊様の銀の像もあるし、怖いもの無しというものだ。
馬車は特に問題も無く進んでいく。
こう思うとやはりウェルナー男爵領は遠く、長期の旅行であったのだ。
単に距離だけの問題でなく、途中の道がきちんと整備されているかいないかの有無は相当なものであった。
「お嬢様とこうして馬車で遠出が出来るなんて、夢のようですわ」
マーサがまだ着いてもいないのに感極まって涙を拭っている。
少し前まで馬車に揺られるだけで、真っ青な顔で吐き気を我慢していた私を知っているのだから仕方がないことだろう。
「まさか黄金の蜂蜜飴にそんな効能があるなんて、フリードリヒ殿下もご存知なかったのよ? 予想外の効果に感謝しきれないわ」
王子はこの飴を私が切らしそうになると、贈り物の一部に混ぜて送ってくるのだ。
もしかしたらソフィアか誰かに在庫の報告をさせているのかもしれない。
飴を気に入ったことを知って、そうしてくれているのだろうけど、私はといえばお返しに拙い刺繍程度しか返せていないような気がする。
婚約者からのプレゼントは当然の行為なので気にしなくてもいいと言われても、もらう一方だと何故だか落ち着かないもので、これはきっとお歳暮やお中元や年賀状といったしがらみに囚われた日本人気質のせいではないだろうか。
シュピネ村にいいお土産が売っているといいのだけど。
よく考えたら私は王子の事をほとんど知らないのだ。
その一言がどこに影響を及ぼすかわからないので、好き嫌いや主義主張を気軽に言えない立場なのはわかるが、それと同時に聞きださなかった私の怠慢でもあるだろう。
ちょっと彼に対して、無関心すぎたかと反省をする。
とりあえず王子用に足湯セットと、私特製の足湯用の薬草包を送ろうと心に決めた。
ガタガタと音を立てて進む馬車に揺られながら、マーサと他愛のない話をする。
なんだか懐かしくて前にもこんなことがあった気がした。
よくよく思い返してみると、それは赤子の頃の記憶だ。
車輪の音を聞きながらマーサの押す大きな乳母車に揺られて、私はいつも散歩に連れ出されていた。
言葉もわからず声帯が未発達の私は「あー」とか「うー」としか返事が出来なかったが、ずっと彼女はそんな私に丁寧に話しかけてくれていたのだ。
いつも可愛らしいシャルロッテ様と最初に笑顔で話しかけて、柔らかい笑みを見せてくれたのを思い出していた。




