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黒山羊様の導きで異世界で令嬢になりました  作者: sisi
第四章  シャルロッテ嬢と紡ぎの手

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180/650

180話 蜘蛛の紋様です

 女は雨も小降りになったところで小走りで家に帰ると、台所の脇によけてあった毒消しの薬草を少量ほぐしてくるぶしに湿布した。

 村育ちで良かったと、心からそう思った。

 街の人間では、どれが薬草かも区別がつかないだろう。

 この薬草が効くといいのだけれど。

 痛みの箇所はすでに熱を持ち始めていた。

 具合が悪いのでと、夫に断わって文句を言われながらも女は早目に床に就く。


 女は夢の中で、昏い谷に巣を掛ける巨大な蜘蛛を見た。

 大蜘蛛は器用に糸を吐き出すと、淡々と紋様を描いていく。

 機織りのようなその優雅な所作と美しい蜘蛛の巣に、彼女は魅入られたように目が釘付けになってしまう。

 なんて綺麗な形なのだろう。

 その紋様も然る事乍ら、その吐き出された糸はキラキラと輝き、まるで金糸のようである。

 これは、その大蜘蛛の人生そのもののような気がした。

 こんな美しい物を作るなんて、なんと素晴らしい事だろう。

 女の人生でついぞ見かける事の無かった美しい物。

 いっそあの巣に掛かって、その1部になってしまえたらどんなに幸せだろうか。

 朦朧とした夢の中で、女はそんな事を考えていた。



 どうして、こうなってしまったのだろう。



 高熱にうなされ、シーツから出た赤く腫れた足を見る。

 美しい蜘蛛の巣の夢から醒めれば、惨めな現実が待っている。

 こんなボロ家のうら寂しい場所で死んでいくのかと、彼女は自分に絶望した。

 色とりどりの花を植えて、窓辺には綺麗な布をかけて、刺繍を施した小物をあちらこちらに飾って、おいしいお菓子を焼きながらおしゃべりをするの。

 そんな他愛のない生活が夢だった。

 何一つ叶わなかった。


「おいおい、俺の飯はどうするんだよ」

 寝込む彼女に、家具を蹴りながら吐き捨てるように夫が言った。

 この男が目の前に現れたせいで、全てを失ってしまった。

 熱のせいか、彼女の内に横たわっていた憎しみが頭をもたげる。

 殺意が揺らりとベッドから彼女を立ち上がらせた。


 そんな女を見て、夫が驚きの声をあげる。

「お……、お前。その腹は……」

 女の腹は臨月の妊婦の様に膨らみ、寝巻きの布が破れそうなくらいだ。

 彼女は愛しそうにその腹を両の手で包むと、焦点の合わない瞳で天を仰いだ。

 この腹に詰まっているのは愚かな女の臓物と、哀れな男への憎悪。

 それは毒を含んで急速に育ち、今でははち切れんばかりである。

 窮屈なのかビリビリと寝巻きの前を破くと、黒い絨毛に覆われた金と緑の縞がある丸い腹部が現れる。

「一体、お前……。何が……」

 夫はその姿に腰を抜かしてしまった様で、出てくる言葉も上ずった情けない響きしか持たなかった。

 女の口から鋭い長い針の様なものが伸びている。

 こんな情けない男に何故逆らわなかったのか、何故従っていたのか。

 そんな思いが女の頭を横切った。

「ばけ……、ばけもの、ひぃ」

 ゆっくりと近付く女に男は後ずさりながら、逃げようとするが立ち上がる事もままならないようだ。

「悪かった! 俺が全部悪かった! 許してくれ!」

 涙と鼻水で顔を汚しながら、夫は女に懇願する。

 女は特に何の表情も見せず、口から針を出したまま、男に顔を近づける。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 男は漏れるような小さな早口で、謝りの言葉を繰り返した。

 ガタガタと震える男の右の瞼を女はそっと優しく指で押し上げると、眼球の裏の頭蓋へするりと針を滑らせる。



 ちゅう



 夫は頭蓋に穴が空く僅かな衝撃の後、自分の脳が吸われる音を聞いた。



 どうして、こうなってしまったのだろう。

 素朴な妻を見つけて、幸せだった。

 自分の何もかもを許してくれる女。

 どれだけ酷い目にあっても従順であった女。

 この女は小さな家の中で男の自尊心を満たして、王様の様に思わせてくれた。

 自分はいい夫では無かったけれど、脳を吸われるほどの事をしたのだろうか。

 そんな疑問は直ぐに消え去ってしまった。

 意識が曖昧になってきて、多幸感が押し寄せてくる。

 妻が笑ったのを最後に見たのは、いつだったろう。

 笑う彼女の顔が見たい。

 次は良い夫になろう。

 明日からでいい、優しい夫に。



 女はほんの少しずつこってりと甘い味のする脳を吸うと、口の中でゆっくりとそれを味わった。

 吸いすぎると死んでしまうので、その量には気をつけなければいけない。

 脳のどの部分を吸えばいいのか、彼女には何故だかわかっていた。

 新しい体に熱も腫れも、もう何も無い。

 自分が生まれ変わった気がした。

 あの巨大な蜘蛛とお揃いの蜘蛛の腹部。

 全能感に満たされる。

 あの毒は聖別の試練だったのだ。

 毒に打ち勝てば、まさに生まれ変わるのだ。

 噛まれたくるぶしには、今は黒い蜘蛛の巣のような模様が浮かんでいた。

 それは印。

 大蜘蛛の母の娘である印。



 どうして、こう成ってしまったのだろう。

 こんな素晴らしい事が私の人生に待っていたなんて、思ってもみなかった。



 久しぶりの甘味に舌鼓を打つと、彼女は高らかに笑い声を上げた。

 こんなに笑ったのはいつぶりだろう。

 これは奇跡。

 大蜘蛛様が起こした奇跡。

 皆に知らせなければ。

 信仰を捧げなければ。

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