178話 発注です
「エーベルハルト侯爵領の下町に腕のいい若い琺瑯職人がいるそうなので、足湯桶と水差しをそちらに依頼してみましょうか」
「まあ、王都だけでなく我が領地の職人まで把握していらっしゃるの?」
若者に仕事を振るのは賛成である、それが自領の者なら猶更だ。
だが領地の職人の事など、領主である父でも知らない事ではないか?
「商売をするものの手は広いものですよ? まあその職人については腕の割に仕事を取ってくるのが下手なのと、家族に病人が出てうちで借金をしておりましてね。返済の督促をする書状に署名を先日したばかりなので覚えていたのです」
「金融業までおやりに?」
「いや金貸しは恨まれる事が多いので本業ではないのですが、職人が独り立ちする時や、材料を購入する費用に事欠いた時に借用書を出すくらいです」
商売相手になら金を融通するという感じなのだろうか?
若手で融資を受けられたと言うことは腕が余程良いのだろう。
「まあ、彼に仕事を回せばうちは金を回収出来ますし、何より足湯セットが完成すれば販売の方でも利益はでますしね。今後もお付き合いしたいと考えておりますので、エーベルハルト侯爵領の人材を登用するのはうちとしても悪いことではないのです」
なんだか一人の若者の危機が救われたようだ。
ロンメルが言うのだから、腕がいいのは確かであろう。
とりあえず、うちの屋敷で使う分の発注をする。
どれも白地の琺瑯に、父には新緑の草模様、母には赤で花を、ハンス爺には青で何か絵付けしてもらおう。
「販売用には白地に黒で山羊のマークですね」
当然というように商会長がそう言った。
「あの、また仔羊のマークを?」
「シャルロッテ様、もうそろそろ観念して下さい。あのマークはもう広く聖女の印と浸透しているのです。それひとつで売り上げが変わるのですから」
「う……。では足湯セットに受注生産を設けてはどうでしょう? 仔山羊ではいくらなんでも子供っぽすぎると思う方もいらっしゃるでしょう? そういう方の為に絵付けを好きに選べるようにした方がいいと思います」
「なるほど、貴族なら家の紋章を入れたがる人も多いですし、あくまでも絵付けだけのセミオーダーにすれば職人の負担も軽いですし納品までの時間も短縮出来ますね」
「ではそのようにお願いします」
毎回、仔山羊のマークを使う件で疲れてしまう。
ああ、こんな事になるのならもっとちゃんとした意匠にしたのに。
気付けば国内に浸透し、取り返しのつかないことになってしまった。
売れるのはありがたいが、見る度に自分の絵心の無さを痛感する。
父のハンカチを飾る分には子供らしくてかわいくていいのだけど……。
「そういえばシュピネ村を治める領主のフーバー子爵様はどんなお方なのですか?」
商会長は記憶を辿るように考え込んだ。
「そうですね、真面目な方です。甘い物がお好きと聞いた事があります。社交界や華やかな場所は苦手だとも」
この人の鞄からはなんでも出てくるし、頭からはどんな情報も出てくる気がする。
「若くして代替わりをしたので今は20才くらいだったと思います」
「まあ、そんなにお若かったらそれこそ社交界よりも領主の仕事に慣れるのに精一杯ではありませんか?」
「そうですね。そのせいかあまり王都に顔を出すことはないそうです。5年程前に先代が病死されたそうで、まだ落ち着かないでしょうね」
「それはお気の毒に……」
年齢的には王都学院を卒業して社交界デビューも終えて1人前として扱われるのだろうけれど、心細い事だろう。
あまり迷惑を掛けないようにしないと。
そうだ甘い物が好きなら、この間手に入れた蕎麦粉の蜂蜜ナッツタルトをお土産に持って行くのはどうだろうか?
日持ちの問題はあるが侯爵家の別邸は主要な街にはある訳だし、前もってフーバー子爵領に一番近い別邸で手配しておけばいいだろう。
手土産も決まった事だし、早速旅の準備をしなければ。
マーサと小旅行など馬車酔いの酷い私には夢のまた夢であったが、酔い止めを手に入れた私は無敵なのである!
素敵な村を一緒に散策するのは、良い乳母孝行になりそうではないか?
知らない宗教はちょっと怖いが、話を聞くにそれは鏡の様なものかも知れない。
悪意には悪意が返る物だと思えば、理解出来そうな話である。
私は誰がどう見ても無害な存在なのだし、マーサに至っては紛うことなき善人である。
護衛のラーラはちょっと心配だが、短気ではないしどちらかといえば朴念仁のようなところがあるので、シュピネ村自体に興味を持たず任務に専念しそうだ。
マーサがいるのだし、この際ソフィアにはこの旅行の間休暇をとって貰うのもいい。
それとも女性向けのシュピネ村に行きたがるかしら?
ウェルナー男爵領までの長旅に付き合ってくれたのだし、まとまった休暇は必要だろう。
私の身の回りの事は他の使用人でも大丈夫なのだし、やはり休みは大切である。
一緒に行きたいと行っても断わって、その分かわいいお土産を買ってあげよう。
そうしてシュピネ村に行く話は本決まりとなって、それまでの期間、私は図書館で蜘蛛についての神話や魔物についての本を読んで過ごした。




