177話 歌う壺です
祭司長は来た時と同じように、慌ただしく去って行った。
話を聞いてシュピネ村へ出向く意思を固めた私は、さっそくロンメル商会に使いを出す。
それとは別に、足湯を新しい商売として匂わせれば商会長がすっ飛んでくることは間違いない。
売る売らないはともかく館内の評判は上々で、両親とハンス爺や使用人達の専用足湯桶が欲しいのは確かだ。
とりあえず皆が使う分は作りたいので、ロンメルにいい琺瑯工房を紹介して貰うつもりである。
「早目にお返事を貰えて良かった。シュピネ村の村長とも連絡をとりましたところ、いつでも歓迎するとのことでした」
相変わらずのビジネスマンという風体で、商会長がやってきた。
「ありがとうございます、ロンメル様。頻繁にエーベルハルト領に呼びつけることになり、申し訳ございません」
「いえいえ、お嬢様にはいつもいいお話をいただいておりますので、これくらい何ともありません。職員など寄越してもそれが金の卵になるかどうかの判断が付きませんでしょうし、私が直接会って話を聞きたいのですから」
新しい商売を匂わせたからか、少々前のめりである。
「して、今回はどのようなご用件で?」
「まずは、体験していただくのが一番だと思います」
私がソフィアに目配せすると、待機させておいた使用人が足湯セットと大きな金属の壺の様な物を運んでくる。
大仰に足を洗わせたり桶を取り替えたりと、今回はより儀式めいた手順を増やしたのだ。
馬鹿みたいな話なのだけれど貴族は合理的に物事を進めるよりも、七面倒臭い作法をありがたがる傾向があるからだ。
その動作にもはや意味は無くても、伝統だからと思考を停止してその伝統の持つ歴史に浸るのだ。
そんなわけで本当なら手早く足をお湯につけるだけのことを、時間をかけてやってみることにした。
最北の国ノートメアシュトラーセは、広大な土地と冬が長い事で知られる国だ。
ウェルナー男爵領で食べた蕎麦粉のブリニも最北の国の料理である。
緩やかであるが、細々といろんな国の文化が伝わり交流しあっているのだ。
寒い中、台所へ何度も立たなくてもよいようにか、広間で湯が沸かせる卓上湯沸かし器というものがある。
金属製の壺のような形で内部の中心部が円筒形の空間になっており、そこに松ぼっくりや炭を入れて加熱出来るようになっている。
その熱をもって、周りを満たした水を沸騰させるのだ。
あまりこの国には浸透していないが、だからこそ特別感が出て貴族の優越感をくすぐることだろう。
このサモワールは赤銅で出来ていて、美しい装飾もついているものだ。
最北の国の文化物という事でいつの代かはわからないが、エーベルハルト侯爵が手に入れた物でカントリーハウスの画廊にあったものを使わせてもらうことにした。
綺麗でも日常品なのだから、使ってこそ道具は輝くというものだ。
「これはまた珍しいものを。さすがエーベルハルト侯爵家と言わざるを得ませんね」
まさかの湯沸かし器の登場に商会長も驚いたようだ。
サモワールに火を入れると、松ぼっくりと炭の独特な香りに気持ちが向く。
そのうちにコポコポと、沸騰する音がしてくる。
「このお湯が沸く音を『サモワールが歌う』と言うんですって。とても素敵ではありませんこと?」
そもそもはハンス爺が展示してあるのを覚えていたので私の手柄ではないのだが、使い方などは図書室で2人で調べてその時に「サモワールの歌」を知ったのだ。
寒い冬の中、部屋の中でお湯が沸く歌に耳を傾けて楽しむなんて、人はどこにでも喜びを見出すものである。
付け焼刃の知識なのだが、商会長は感心したように頷いてくれている。
お湯が沸騰したら水差しに薬草を入れて、サモワールのお湯を注ぐ。
お湯が準備出来るまでの間に商会長には裸足になってもらい、使用人に足を洗わせる。
十分に薬草が蒸らされたと思ったら、次は桶にお湯を差して完成である。
「さあ、お湯に足をおつけ下さい。これは足湯というもので、足の血行を良くして健康に導くものですわ」
「ほお、なるほど」
商会長は足を漬けるなり、大きく息を吐いた。
「これはいいですね。サモワールを使った演出といい貴族受けも良さそうだ」
「私もそう考えておりますわ。商売になりそうではありませんか?」
「これは『受ける』と思いますね。発想が斬新ですし、何より気持ち良いということが実感できるのが大きい」
「まずはどこか喫茶室の一角ででも『足湯屋』としてサモワールを置いて予約制で開店するのですわ。ロンメル様のお得意様には招待状をお出しして試してもらうのもいいですわね」
「なるほど、予約制では人数も絞られるし希少価値がでますね」
「それでですね、足湯の良さを知ってもらったら次は足湯セットを売るのですわ」
「足湯セット?」
「足ふきマットにタオル、琺瑯の水差しに足湯桶。柄も統一して一式買えば自宅でも足湯が楽しめるというわけです」
なんだか楽しくなってきて私は大きな身振りを交えて説明する。
「今は大ぶりの洗面セットで試していただいておりますが、専用のものを作って『足湯にはこの道具でなければ』と思わせるのです。実際は薬草湯に桶があれば足りるので家にあるもので流用可能でしょう。ですが最初に『これでなければ』を刷り込めば新しく売ることが可能ですわ」
ロンメルは頷きながら、鞄からメモを取り出して色々と書き込みだした。
これは彼もやる気であるということだ。




