175話 おもてなしです
美術談義をしてから3人で黒山羊様に祈りを捧げる。
ゲオルグが祭祀音で長い聖句を捧げるので、それは正式な長い、長い祈りとなった。
個人の礼拝堂でそのような正式な聖句の奉納はかなり稀な事である。
礼拝堂として格が上がり喜ばしいことなのだが、内装の見学の件といい観光地と勘違いする人間も今後出てきそうだ。
ここはあくまでエーベルハルトの私設礼拝堂。
先祖代々の私達の祈りの場なのだから、あまりそういう輩に踏み荒らされたくないと狭量かもしれないが思ってしまった。
もてなしもいらない、礼拝堂で泊まると言うゲオルグを無理やり説き伏せて館へ連れていく。
祭司長の為の晩餐もあるので、聖教師であるフランクも今夜の食事には出席してもらうことになっていた。
今頃は料理人が腕によりをかけて、自慢の品の準備をしている事だろう。
「聖女様はご実家では随分とお転婆のようですな」
祭司長の背をクロちゃんと一緒に押しながら、無理やり館に連れて行ったので、そういわれても仕方がない。
王宮ではクロちゃんも私もお世話になったのだし、ハイデマリーの件でも骨を折ってもらったのだ。
せっかく我が家に来てくれたのだから多少なりとも、もてなしたいに決まっているではないか。
「ゲオルグ様の為に、私、特別なものを用意しましたの」
1階のホールには椅子がおかれ、琺瑯の桶と水差し、水の張ったバケツと足ふきマットが用意してあり、そばにはタオルを持った使用人が待機していた。
「はて? 何故、床に洗面器が?」
不思議そうにする祭司長に、私は声をかけた。
「靴を脱いで下さいな。まずバケツの水で足を洗って下さい」
祭司長は珍しく、ぎょっとした顔をする。
昨日のハンス爺と料理人達の様子を見て気付いたのだが、どうやらこの国の人は土足文化のせいか、人前で極力素足を出したりしないのだ。
もちろん水遊びの場では違うだろうが、日常では屋内でも寝る時以外に、素足になることは殆どない。
その分、楽に過ごせる布やフェルトで作られた室内用のスリッパや室内履きが充実している。
ついでにいえば潤沢な水源に恵まれない土地では、毎日入浴などとんでもないことで週に1度入るだけでもましであると聞く。
大体そういう土地では昔ながらの肌の毛穴から瘴気の元が入り込み病になるという、なんともつかない迷信を信じている場合が多く、肌を清潔に保つどころか油を塗りこんで毛穴をふさぐという恐ろしく肌に悪いことをしたりもしているらしい。
そのおかげで体臭をごまかす香水が発達したのだから悪い事ばかりではないといえるが、体にはとても悪そうだ。
ところ変われば入浴に関してもいろいろである。
そういう背景があるので人によっては酷く入浴を面倒臭がったり、避けようという人も多いのだ。
最近は入浴が体に良いと啓蒙されてきたそうだが、なかなか浸透しないらしい。
それを考えると足湯は素足になるハードルさえ超えることが出来れば、適度な手軽さで楽しめるので、今後温泉宿を作ってみたい私にとって、入浴習慣を広める下準備としてよいものに思えた。
祭司長がマットの上でおっかなびっくり足を出すと、控えていた使用人が椅子を宛てがい座らせる。
そのまま丁寧にバケツの水で足を洗ってから、桶を前に据えた。
ハンス爺の時の様に自分でやってもらう方が早いが、お客様なのだからなるだけ格式張ってみる。
置き直した桶に温度を確認しながら薬草湯を注ぐと、ふわっとハーブの香りが広がった。
昨日何人かでいろいろ試してみてもらい、今回は薫衣草と加密列に檸檬茅を入れてみた。
「これは気が休まる香りですな。爽やかさもあり、元気もでそうだ」
香りは気に入ってもらえたらしい。
「では、洗面桶のお湯に足を漬けて下さい」
どうやら祭司長は新しい事に挑戦することは好きな様で、さきほどまでの様子はどこへやら、どぼんと足湯につけてくれた。
「薬草湯で足だけを温めるとは、いやはや初めて聞きますが気持ちのいいものですな。疲れがとれるようです」
「せっかくここまで来ていただいたのだから、特別なおもてなしをしたかったのですわ!」
足湯をするゲオルグの膝には、もちろんちょこんとクロちゃんが乗っている。
ビーちゃんは祭司長にはそこほど興味はないようだ。
かわりにウェルナー男爵にすごく懐いていたし、この子達には自分の神への信仰心がわかるのだろうか?
「いやはや生き返った気分ですな。体がぽかぽかしますわい」
足湯を終えて、サロンで温かいお茶を出して、ようやくゆっくり話が聞ける。
「シュピネ村の件でしたな」
「ええ、私を村に招待したいとのことだそうで、仔山羊基金の取引先なので無下にも出来ず、地母神教の立場からお話を伺いたかったのです」
祭司長は少し目を閉じて、考えをまとめているようだった。
「過去、地母神教がシュピネ村に送った者達は、芳しい結果を出すことは出来ませんでした。村に教会を建てたい穏健派の者はやんわりと断られ、改宗を迫った強硬派は奇跡を目の当たりにして信仰神を鞍替えをしてしまうしで、結局小さな村なので黙認する形で我々はあの村を放棄したのです」
少し硬い表情の祭司長を見て思ったが、アトラクナクア教が出来た当時を知っているようだった。




