172話 礼拝堂です
騒がしい厨房を後に、クロちゃんとビーちゃんの散歩を兼ねてカントリーハウスの敷地内にある私設の礼拝堂へ足を運ぶ。
2匹とも礼拝堂は信仰が感じ取れるからか、大好きなようだ。
庭は綺麗に刈り込まれ、仔山羊は小鳥を背に乗せて足取りも軽やかに礼拝堂への小路をスキップで進んでいる。
この礼拝堂はエーベルハルトの初代がここに地を構えた時から存在しているので国内でも古いものである。
少々武骨ではあるが、作られた頃は国境沿いのこの地を治めるのに精一杯で、礼拝堂の修飾までは手が回らなかったのでは無いだろうか?
それでも祈りの場を作り、先祖はここで信仰を捧げたのだ。
建物ひとつからこの体に流れる血の歴史を想像して思いを馳せた。
中身は他所の世界のものだけれど、体は確かにこの地を守る一族のものなのだから。
私が聖女と呼ばれるようになる前は、侯爵家の私設礼拝堂なので週に一度聖教師が通って来て礼拝の儀をするくらいだった。
それがウェルナー男爵領から戻ってみると、常駐の聖教師が詰めてくれているようになっていた。
そのせいか屋敷の皆も、使用人も農業区の領民も侯爵家のカントリーハウスの敷地内に住む者は、みなこぞってこまめにこの礼拝堂に参拝に来るようになったとのことだ。
マーサなどは毎日私の無事な帰りを祈っていたと言うのだから、聖教師が来て大喜びだ。
もともとはひっそりとした建物だったのに、今では活気づき内装も華やかになっている。
その原因のひとつは聖女宛に寄進された宗教具や絵画、美術品にある。
カントリーハウスのゲストルームや画廊に飾ってはと提案したのだが、これは聖女へ送られたものだからと父が頑なに固辞し、礼拝堂へ運び入れたのだ。
お陰でこの礼拝堂はひと財産といえる資産を抱えている。
それが噂を呼んで聖女の礼拝堂をひと目見学させてくれと申し出てくる人間も出て来たというので、人とは面白いものである。
ひとつ間違えれば成金趣味な礼拝堂になりそうなのだが、それは内装を整えた母のセンスでなんとかまぬがれていた。
まったく母様さまさまである。
「聖女様、本日も良い天気で」
常駐の聖教師のフランクが私の姿を見ると恭しく礼をとる。
やめてくれとは言っているのだが、どうやら真面目な彼には無理な話らしい。
「こんにちはフランク様。あの、聞いているかもしれませんが明日、祭司長のゲオルグ様がいらっしゃるのだけれど」
「ええ、先ほど手紙を受け取りました。なにやら急ぎのお越しですね。礼拝堂の寝所の用意は出来ておりますので、問題なく滞在いただけますよ。エーベルハルトの家令の方からあちらで客室の用意もしている話も伺っておりますし、どちらに泊まられても問題はありません」
お偉いさんの急な訪問にもまったく動じることがなさそうで立派である。
「そうですか、では安心ですね。それでは今日のお祈りをさせていただきます」
男爵領への旅路で、いろいろな教会で毎日お祈りするようになってからすっかり日課になってしまった。
悪い事ではないし自分の考えや行動を見直す事も出来るのでなんとなく通っているのだ。
「毎日信心深くて、感心致します」
「人に感心されるようなものではありませんわ」
「今日はお付きの方はいらっしゃらないのですね」
言われて気付いたが、ソフィアは明日の準備に駆り出され、ハンス爺は厨房で足湯談義をしているので私のそばには珍しく人がいなかった。
護衛官のラーラは敷地内だと私の目につかないよう心掛けてくれているようで、声をかけなければ横には立たないのだ。
勿論何かあればすっ飛んでくるし、どこかで見ているはずだ。
護衛が常時目に入っては、気が休まらないだろうとの彼女なりの気遣いである。
「そのようですわ。珍しいこと」
聖教師はぐるりと周りを見渡してもう一度周りの使用人の有無を確認すると、もじもじと両手を組み合わせながら話をしだした。
いつも礼儀正しく実直なフランクにしては珍しい様子である。
「少しお話をよろしいでしょうか?」
「大丈夫ですわ」
「聖教師としてここに勤めておりますので、中々私事を話せなかったのですが、ウェルナー男爵領の聖教師はどのような感じでしたでしょうか?」
遠慮がちにそう聞く様子をみると、ずっと私に話を聞きたかったのか。
世間話をする聖教師は普通にいるというのに、お付きがいる間は言い出せなかったと思うと、真面目過ぎではと心配になってきた。
教会の沈黙の教えのせいもあるのか、この人が無駄口を叩いた事など1度もないのだ。
ウェルナー男爵領の不審死と神話生物の話は、冷害の事もあり春が来るまでは新聞や人の口の端を賑わせていた。
やはり同業者なので気になるのだろうか?
「男爵領の聖教師様の事ですね。最初は土地に起こる問題に気を落とされていらっしゃったのですが、私が男爵領を去る頃には目を輝かせて土地に骨を埋める決心がついたとまでおっしゃってましたわ。あの方は今後もあの土地を見守って、盛り立てていくのだと私は信じております」
私がそう告げると、フランクは止めていた息を大きく吐き出すようにして、安堵してみせた。
「ああ、そうですか。良かった。全ては黒山羊様の導きのままに」
そう言ってフランクは天を見上げて、祈りのポーズをとる。
ひとしきり祈ると私を思い出したのか、顔を上げて説明をしだした。
「実はウェルナー男爵領の聖教師は私の友人なのです」
あら、世間は狭い事。
これには少々私も驚いた。




