171話 薬草です
「お湯に入れるハーブで、疲れをとったり血行を良くするのは何があるのかしら?」
「ハーブティをご所望ですか?それならそうですね……」
「あ、足湯に入れるものなの。浴槽に入れたりするものを教えていただきたいのです」
足湯?と怪訝な顔をしているがいくつか候補を上げてくれる。
「迷迭香、加密列、薫衣草あたりでしょうか?あとは少々、肌に刺激はありますが薄荷や生姜に唐辛子も温まりますよ」
私は口の中で復唱するとお礼を言ってハーブ園に向かった。
「あ、この洗面器と水差しをちょっとここに置かせてね。ハーブを摘んだらすぐに戻ります」
そんな雑用は小間使いがしますと止める料理人を尻目に、私は厨房の裏にある薬草園に向かう。
ハーブはとても生活に密接しているものだ。
軽い頭痛や腹痛、料理の臭み消し、お風呂や掃除に虫除けまで、いろいろと使われている。
なのである程度の規模の貴族の庭にはハーブのみの花壇が作られているし、修道院などでは薬草のみを育ててそれを収入にしているところもあるのだ。
もちろん自生する野生種の薬草もあるし、野山で育つそれらの生命力の高い薬草は回復薬としても使用されているそうだ。
薬草園に入るといつもなんともいえない爽やかな青い匂いに包まれる。
花の甘い香りも好きだが、この清浄ともいえる独特のハーブの香りは格別だ。
薄手のシャツを作るよう彼女に伝えて
パセリ、セージにローズマリーとタイム
縫い目のない服を縫ってね
針の跡も無い服を
つい、ご機嫌で鼻歌を歌ってしまった。
「なんとも不思議な歌ですな? それもウェルナー男爵様の土地で覚えたのですかな?」
「ふふ、そうね遠いところの歌なの」
スカボローフェアというイギリスの伝統民謡である。
遠い遠いところの記憶。
日差しの入る窓辺でいつも本を読みながら、あの人はこの曲を聞いていた。
もう、虚ろだが夫が好きだった曲なのを覚えている。
まさかこんなところで口をついて出てくるとは思わずに自分でも驚いてしまった。
あの頃の家族の名前も顔ももう浮かばないのに、曲名はしっかり思い出すなんて変な感じだ。
あの場所にはもう帰れない。
この場所で幸せにしていますと誰ともなしに呟くと、懐かしさと寂しさが湧いてきた。
それを振り払うようにいくつかの薬草を摘んで、私は厨房へ戻った。
戻ると料理人達はハンス爺が持ってきた大ぶりの洗面セットを覗きこんで不思議がっているところだった。
どうやら祭司長へのメニューは後回しになっているようだ。
悩みすぎても良くないし、足湯がいい息抜きになると良いのだけど。
「お湯を沸かしてもらっていいかしら?」
私に言われるまま、料理人がお湯を沸かしてくれる。
ぐつぐつと沸き立つ鍋に薬草を入れた。
「煮だした方が効能が強いですよね?」
「ああ、柔らかい薬草は蒸した方がいいので、すぐ火から下ろしましょうか」
「まあ! てっきりじっくり煮出す方が良いのだと思っていました」
「堅いハーブ、枝ものとか根はその方がいいのですが、手で摘み取れるものはお湯で蒸らすくらいで十分なんですよ」
これは失敗したが、料理人がすぐに対処してくれたお陰で大丈夫そうだ。
「いろいろですのね。勉強になりますわ」
薬草を勉強して魔女にでもなるつもりですかと料理人達がにこやかに笑う。
熱を入れたハーブはより香りを広めて厨房を満たす。
「ではこの桶の半分より下くらいまで注いでいただけます? 残りは水差しに入れて下さい」
熱湯と薬草が入った桶に水を足して程よい温度にする。少し熱いくらいか。
「さあ、ハンス爺! この桶に足をつけて!」
足湯を説明したのでわかってはいそうなのだが、どうやら土足文化のせいか脱ぐのをためらっている。
「ちょっと先に裏で足を洗ってきますわい」
そそくさとタオルを手にとり厨房の勝手口から外にでて、バシャバシャと井戸の水で足を洗う音がした。
そうか人前で素足を出す事に慣れていないし、普段靴を脱ぐことがないので足の匂いも気にしたのかもしれない。
ちょっと悪い事をした気分になった。
「さあ、爺の心の準備は出来ましたぞ」
桶の前に椅子を置いてもらって、神妙な顔つきのハンス爺にズボンの裾を上げてから座って足湯に漬かってもらう。
「おおう」
ちゃぷんと、お湯に足を漬けるとハンス爺は声を上げた。
「なんとも……。なんとも不思議な感じですな。服を着ているのに風呂につかっているような……。じんわりと足が温まってこれは……」
目を閉じてふーっと深呼吸をしている。
私から見ても気持ちよさそうな様子である。
「これはどのくらい漬かればいいのですかな?」
「そうですね15分くらいがいいのかしら? 冷めてきたら水差しから熱いお湯を入れればまた温度はもどるので自分で調整してみて」
私に言われるままに差し湯をして、満足そうな表情だ。
時間になり足を引き上げるとピンク色になっていてしっかり温まったのが見てとれる。
「はあ、これは素晴らしいですな。風呂となると面倒くささが先に立ちますが、足だけをお湯につけるなら毎日したくなりますし、何より足が軽い」
タオルで濡れた足を拭くと立ち上がりその場で何度も交互に足を上げて見せた。
それを見た調理人達も、やりたくなるのを止められないようだ。
「お嬢様、その残り湯でいいので自分もひとつ試させてもらっても……」
「お前なに、ひとりだけ抜け駆けしようとしてるんだ! シャルロッテ様、是非俺に使わせて下さい!」
結局、厨房のみんなひとりずつ試すことになって、てんやわんやである。
これは新しく足湯用に琺瑯桶を頼む方がいい気がしてきた。
ロンメルに頼んで作ってもらおう。




