169話 下調べです
とりあえず、私個人で来訪を決めるのは不味い気がしたので保留とさせて貰った。
貴族相手の面会の日程など、即座に決まる方が珍しい事なので、多少の猶予はあろうというものだ。
女性が多くて暴力から守ってくれて、女性の好きな物が沢山ある村か……。
それだけ切り取ると、とても魅力的な村である。
人の気性を変えてしまう奇跡。
ロンメルが退室した後、私は図書室に向かって神の奇跡についての本を漁った。
勿論、ハンス爺も一緒だ。
「奇跡についてだとこの辺ですかな」
そう言って3冊ほど見繕ってくれる。
「あと、シュピネ村について知りたいのだけれど……」
「あの駆け込み村ですかな? 王太子殿下から逃げる先としては少々心もとないかと」
ハンス爺も知っているという事は、やはり有名なのだろう。
「私が駆け込む訳ではないわ。殿下に失礼よ」
私は笑いながらたしなめた。
茶会から中々帰れなかった事で、少々この老人の王子への評価は辛めなのである。
王子についてはたまに怖くて逃げ出したくなる事もあるけど、今のところは友人として良好な関係であると言っていい。
春にあった私の誕生会でも、バスケットいっぱいのお菓子と花をプレゼントしてくれたのだ。
ドレスや宝石よりも君が喜ぶだろうと言って。
「シュピネ村が駆け込み寺として名を上げたのはここ3、40年と記憶しておりますな。さて、文献には載っているか怪しいところ」
「3、40年……。まだ歴史が浅いのですね」
その年数だとまだ教祖は初代では無いだろうか。
「では最新の宗教年鑑と貴族名鑑をお願い。そちらになら何か記載されているはずよね」
ハンス爺は迷うこと無く、大量の蔵書の並ぶ本棚から私が指定した2冊を取り出し運んでくれる。
この老人は図書室の中のみならず、エーベルハルトのカントリーハウスの中なら、何でも把握していそうである。
さすが元家令と言わざるを得ない。
宗教年鑑は国内の宗教について、その概要に規模や収益が書かれたものである。
大半の頁は国教である地母神教の事が書かれているが、その他の宗教の項目にアトラクナクア教を見つける事が出来た。
アトラクナクアは蜘蛛の姿をした女神である。
深淵の谷間にて一心不乱に蜘蛛の巣を張り続けており、巣作りを終えると世界が滅ぶとも言われている。
機織りと糸紡ぎの守護神とも呼ばれるそうで、昔から対象の職業の人間が仕事場に祀る習わしがあるくらいで、宗教というほどの信仰を持たない神だ。
その中で異例としてシュピネ村の名前があげられている。
34年前にドリスという女性がアトラクナクア神の天啓を受け、廃墟に近かったシュピネ村で女性の保護活動を始めそのまま村に定着したとある。
教義としてはアトラクナクアを母と崇め、その娘を保護するという何とも言えないものだ。
皆の母である千の仔を孕むと呼ばれる黒山羊様に対抗してそういう形をとったのかもしれない。
不遇の身で黒山羊様が助けてくれないから、他に母を求めた?
そう考えると成り立ちとしては理解出来なくもない。
奇跡については何も書かれてはいなかった。
貴族名鑑の方ではシュピネ村を治めるフーバー子爵を調べてみた。
現当主はトビアス・フーバー。
領地としては程々の農地を持ち、普通の領地といっていいだろう。
主な産業には、刺繍と紡績のシュピネ村が特筆されているがこちらには宗教のしゅの字も書かれてはいない。
貴族名鑑の数字以外の領地の記述は、虚偽でなければ内容に領主の意向も反映されるので、国教を蔑ろにする領民の事を知られたくないのかもしれない。
シュピネ村に行くなら、領主であるフーバー子爵にも挨拶をしなければいけないだろう。
旅先ならともかく領主を無視して、貴族が村に行くなど顔に泥を塗る行為に等しいのだ。
きっと何泊か滞在するように勧められるだろうし、それを思うとひどく面倒くさい気がした。
新興宗教の事がなければその面倒も気にならなかったろうが、ひとつ気になるといろいろと億劫になるのは仕方がない事だ。
仔山羊基金の商品の為にも、ロンメルの顔を立てるにも出向いた方がいいとは思うが、どうしたものだろう。
私は分厚い本とにらめっこをしながら思案にくれた。
とりあえず祭司長にシュピネ村の事を確認する書簡を出して、その返事をみて決める事にしよう。
奇跡の本については神が人に罰を下した話や、一夜で畑が実った話、病が信仰で治ったやらどれも似たり寄ったりで参考にはならなかった。
天候を左右したり、地形を動かしたりと派手なものもあったが、人の気性を変える奇跡については何処にも載っていない。
近いものは呪いを受けて人の性格が変わるという事くらいか。
私が身をもって知っている高慢の種だ。
ただ、人を悪くする呪いはあっても、その反対は見たところないようだ。
まあ宗教によって心が穏やかになるのはない話でも無いので、わざわざ取り上げる人がいないだけなのかもしれないが。
それを奇跡というからには、その変化は劇的なのだろう。
わざわざ奇跡と呼ばせているのだ、特別な業である事は間違いない。
恐怖をもって支配している?それとも類まれなる包容力で荒い気性を治めるのだろうか。
なんとも雲を掴むような話である。




