160話 お小言です
私は身振り手振りを交えて、小言という名の演説を続ける。
「あの素晴らしい論文を皆様が目を通さなかった理由はご存知ですね? あなたが隠遁者のような恰好と態度で、周りを拒んだ結果です。身なりを整えるのはあなたにとって馬鹿らしい労力かもしれませんが、それによる信用の失墜の方が余程馬鹿らしいと言わざると得ませんわ。大人ならば大人の義務を果たすべきです」
「大人の義務ですか」
学者が神妙に復唱する。
「最低限のマナー、身なりをするだけであなたの周りは変わるはずです。考えて見て下さい、もしドレスも着ない感情のままわめく令嬢がいたらどうしますか? あなたはその女性を淑女として扱えますか?」
本当の紳士ならば扱うかもしれないが、これはそういう話ではないのだ。
淑女として扱われたければ、淑女として振る舞わなければならないということ。
そう扱うに足る品位と礼儀を持ち合わせなければ、文句を言えるものではないのだ。
反対にそう振る舞えるのならば町娘でさえある程度の扱いを受けることが可能であろう。
現に賢者と呼ばれる娘は貴族の令嬢であるにもかかわらず、その服装と言動で周囲の人間に眉を顰めさせているのだから。
人は見た目ではないと言うが、それは理想論である。
皆、見た目と言動である程度判断しているのだ。
視覚がある以上、中身だけで判断しろというのはかえって横暴であると言わざるを得ない。
周りには時間をかけて中身まで吟味する謂れはないからである。
残念だが、より単純に最初に目に入る情報というのに左右されるのが人間だ。
見られる方も見る方も、お互いある程度の歩み寄りの努力は必要であると私は考える。
「それは……、そうですね。難しいかもしれません」
「研究に没頭したいのはわかりますが、あの髪と髭の鎧はその成果の邪魔にしかならないのです。本来なら発表の後、いろいろな人の目に留まってもおかしくなかったのに、だらしのない無精者……、はっきり申し上げますと変わり者ですね。その異端者の論文を全うに評価するということは貴族社会では難しい事は想像出来ることです。学会が狭量かもしれない? それは事実ですが、あなたが貴族に擬態するのを怠けた結果、論文は埋もれ本来避けられた冷害で民は取り返しのつかない打撃を受けたかもしれないのですよ」
これは異端を排除する学会の体質のせいでもあるので、学者ひとりに責任を突きつけるのは気の毒であるかもしれないが、少々きついお灸は必要だろう。
「確かに……。私は論文を埋もれさせるだけですみますが、その結果が国と国民が不幸になるのはいけませんね。僕の怠慢であるというのは正しいでしょう」
そう有識者の知識というものは、個人だけの財産ではないのだ。
その深い知識と広い見解で、国や人々に貢献するという重い責任を担っている。
理不尽かもしれないが嵐が来るのをわかって黙っているのは、殺意無き殺人のようなものである。
特にこの様な情報伝達が緩やかで限られている世界では、声を上げて導くことは非常に重大なのだ。
「自分がやりたいことをと、自由にさせてくれた親に甘え過ぎたようです。研究さえしていれば結果、人の役に繋がることなのだと思い論文の行方もさほど気にしてはいませんでしたが、今後改めなければいけませんね」
真剣な顔でそう語る学者に、私はぷふーっと我慢できずに吹き出してしまった。
「お嬢さん! せっかく僕が心を入れ替えたというのに失礼ですよ!」
「だって、いえ、申し訳ありませんわ。でも、ほら」
私の前にいるのは、真面目な顔のてるてる坊主なのだもの。
一気に場の雰囲気が砕けたものになってしまった。
やはり目に入る情報は大事なのである。
てるてる坊主と真面目な話をするのは、私には難易度が高かったのだ。
「せっかく決意表明をしたのにその恰好では締まらないわね」
夫人も苦笑いをしている。
「いや、いい話でしたよ?」
医師が笑いながら、顔を赤くした学者からシーツを外してくれた。
「はあ、これがアインホルン殿だと?」
私の移動に付き合って外科室の外で待機していたラーラが、学者を見るなり声を上げる。
この遣り取りは、きっと会う人ごとにしそうである。
夫人は横で声を殺して笑っていた。
「ちゃんと顔を覚えてあげてね。確かにこの方はギルベルト・アインホルン様ですから」
私が念を押して保証をする。
「それは心配ありませんが。はあ、こんなお顔をしていたのですね。たしかに夫人にも似て面影はありますが……」
学者はラーラの不躾な視線に、少々バツが悪そうである。
「まあ、これならば悪漢が学者に成りすまそうとしてもバレますし良いですね。今までは白い毛むくじゃらであれば誰でもアインホルン殿になれそうでしたから」
ラーラは素直に感想を言っているだけなのだが、何気に学者にはショックだったようだ。
まあ、確かに顔を見れない状態は偽物が出やすいと言わざるを得ない。
「では、いつもあなたは僕を疑っていたのですか?」
「ええ、出入りのたびに。それが私の任務ですから。何か?」
何を当然なことをと、事も無げに答えるラーラに学者は今後はきちんとしますとぽつりと呟いた。




