158話 歩み寄りです
「貴族らしく振舞う事。それは虚栄や修飾された馬鹿馬鹿しいものかもしれませんが、シャルロッテ様のお立場だと、ないがしろにして良いものではありませんわ。普段の言葉や立ち振る舞いが貴女の守る盾となるのですから」
村ではあんなに気さくだったのに、やはり身分を演じるということはとても大切な事のようだ。
わかっていても見に染み付いた庶民臭さを抜くのはなかなか事である。
立ち振る舞いが相応しくなければ王子の評判も悪くなるし、心得なければと反省する。
幾度目かの反省なのかわからないけれど、貴族らしさというものを身に着けて歩み寄らねばならないのだ。
そう内省していると、お嬢さんは大変だねえと、他人事のようにお茶をすする学者を見やる。
彼については、すっかり夫人も諦めているようだ。
私は今後も貴族たちと遣り取りする世界に身を置かねばならぬというのに、無性にこの気楽さが羨ましくなった。
「ギル様、先ほど今回の事を私のお陰とおっしゃいましたわね?」
「なんだい? 藪から棒に。確かにそう言ったけど何かおかしかったかな? 君がいなければ僕の論文は埋もれたままだったし冷害の被害が大きくなったのは事実だろう?」
「いえ、ではギル様から私にご褒美をもらえないでしょうか?」
「ええ? 僕に出来る事ならなんでもするけど、神話生物の本とかは貸す事は出来ても、あげるのはちょっとなあ……」
自分の身は差し出せても、本ばかりは勘弁してくれという感じである。
「本も魅力的ですが、今回はギル様には座っていていただくだけで結構ですわ。ジッと座ってお時間を下さるだけでいいの」
私は悪戯な笑みを浮かべて、可愛らしくお願いをしてみた。
ソフィアにそっと指示を出すと、そそくさと退出して私の用を足しに行ってくれた。
「それで僕は何をすればいいのかな? 何だか怖いね」
学者は私の申し出にソワソワと身の置き所がないように、落ち着かない様子である。
「こういうのは、待つのも楽しみというものです」
「一体、何が始まるのかしら?」
夫人も興味深々であるが、私の小さな企みはまだ伏せておきたい。
「ヨゼフィーネ夫人にも、きっと気に入ってもらえる提案ですわ」
しばらくしてソフィアが戻って来ると、私の耳元に口を寄せて準備が出来た事を告げる。
「では場所を移すとしましょう!さあ、お2人とも部屋を出ましょう」
冬越会で褒賞を貰うのは憂鬱だが、せっかくなのだしこの機会を楽しもうではないか。
私達はソフィアに先導されて、王宮の軍部のある施設を歩いている。
「お嬢さん、僕は荒事はからっきしなのだけど……。まさか軍部の荒くれ者と戦えとか言ったりしないよね?」
縁もゆかりも無い施設を、学者はキョロキョロと見回している。
そういえば彼は剣の帯刀も無く、普段は手ぶらなのだ。
王宮に上がる時などに、きちんとした身なりが必要な時だけ杖を持っているくらいか。
それも仕込み杖などの細工のあるものではなく、ただの杖である。
ただのといっても伯爵家なのだから、ある程度価値のあるものだろうが。
杖は紳士の装飾品であり、手が塞がっていても不自由ないという上流階級の示しの様なものなのだが、学者にはそんなことは関係ないのだろう。
軍部がある棟は全体的にこざっぱりしていて、過度な装飾は控えているようだ。
私達はある部屋の前で足を止めた。
外科室である。
「え? ここに入るのかい?」
怪訝そうに私の顔を覗く学者に、私は頷いてみせる。
ソフィアがノックをすると、中から返事が返ってきた。
看護士姿の女性が扉を開けて中へと私達を案内する。
消毒液の臭いが、ぷうんと鼻をつく。
部屋の中は清潔に保たれ、薬品棚には日光を遮断する色付きガラスの薬瓶が並んでいる。
中央には体を固定する革ベルト付きの椅子とベッドが置かれ、鋏や鉗子、あるいはノコギリといった道具がぬらりと銀色の輝きを放っていた。
見る人が見れば、良く片付けられた拷問部屋にも見えるかも知れない。
「は……。一体、なに、を」
馴染みのない外科室に、学者は怯えた様子だ。
そんな学者を余所に机に向かっていた医師と思われる男は振り向いて挨拶をした。
「ようこそむさ苦しい軍部へ、聖女様。今日は訓練もなく暇でしたからちょうど空いていて良かった」
医師は医者と言うよりも戦士か木こりが似合いそうな益荒男で、白衣から見える腕はそれこそ丸太のように丈夫そうであった。
普段から荒くれの兵士達をその腕っぷしで押さえつけ、あるいは気絶させて治療をしているのかもしれない。
「お初にお目にかかります。シャルロッテ・エーベルハルトでございます。突然の申し出に快くお返事いただいて感謝申し上げます。」
「あの、お嬢さん。私はどこも悪くはないのだけど……」
看護士の女性に為す術なく椅子に座らされた学者は、助けを求める様に私を見る。
「いやはや、これは腕がなりますな」
医師が学者を見定めて、うんうんと頷いた。
どうやら夫人にはこれから起こることがわかった様で、可笑しそうに笑っているのがみえた。
「母さんも何とか言って!」
椅子に座ったと同時に、学者の手首と体は革ベルトで手早く固定される。
手馴れている。
看護士の様子だけでも、この医者は熟練なのだとわかる。
きっと何人もの負傷兵が、ここで治療を受けたのだろう。
「ギル様、歩み寄りは大事ですのよ。覚悟なさって」
さあ、医師の腕の見せ所である。




