156話 侯爵領です
侯爵領への帰路はどの街も歓迎してくれて、華やかなものだった。
だが、領地での熱狂はそれを上回るもので花が飛び、領民がこぞって馬車が通る大通りにつめかけ、私の帰還を喜んでくれた。
馬車の中でもその熱は伝わる程である。
久しぶりの領地は王都に比べたら所詮地方都市ではあるのだが、私の故郷であり、やはり格別なものだ。
馬車は街を抜け丘を上り、カントリーハウスに到着する。
私の慣れ親しんだエーベルハルトの館と自然。
馬車を降りると乳母のマーサやハンス爺、その他に使用人や料理長までが出迎えてくれていた。
「私のかわいいシャルロッテ様。やっとお戻り下さって……」
マーサが感極まった様に目に涙を浮かべ、声を震わせて私を抱き寄せた。
考えて見れば産まれてこの方、マーサとこんなにも離れていた期間はないのだ。
「ただいま帰りましたわ。戻るに決まっています。ここが私の家なのだもの」
腕を回して抱きつくとマーサはそのまま泣いてしまった。
「王都に出たと思えば聖女になって、まさか王太子殿下の婚約者にまで……。誇らしい事ですが、もう帰っては来ないかと皆心配しておりました」
確かにそう思われてもおかしくない程ここを留守にしてしまった。
待つ人の身になればもっと長く感じたかもしれない。
「遅いお戻りにこの爺は待ちくたびれましたぞ。土産話をたくさん聞かせていただかねば」
ハンス爺は、元家令らしく背筋をピンと伸ばして迎えてくれる。
鼻の頭が少々赤いのは彼も感傷的になっているからか。
彼らには寂しい思いをさせてしまった。
「ハンス爺もただいま」
そう声をかけたところで、私も感極まって泣いてしまった。
自分で言うのもなんだが、まだ幼いのだからやはり生家を離れて辛かったのだ。
自分の子供の部分をそうやって確認して、感情に任せる。
我慢しないでも大人ぶらなくてもいいと今ならわかる。
ハンス爺も寄り添ってくれて、ふわっとアルニカの香りが私を包んだ。
ハンス爺の匂い。
この香りがこの家で私を守ってくれたのだ。
彼の無意識の行動が、悪い種を私から遠ざけてくれていたなんて想像もしていなかっただろう。
やっと帰って来たのだ。
ウェルナー男爵領も王宮を去る時も離れがたかったが、やはり私の家はここなのだと感情が教えてくれる。
ソフィアも感極まったのか涙を零している。
結局、迎えに玄関に出てくれた皆で泣いてしまって、先に帰っていた母に呆れられてしまった。
当分は元の引きこもり令嬢に戻って、のんびりとカントリーハウスで過ごせるはずだ。
ここ数ヶ月は今まで人前に出なかったツケを払うかの様に目まぐるしかった。
充実はしていたが、やはり実家で過ごす時間は格別である。
冷害が来るのが分かって準備をしても実際には各地で混乱も起こるだろうし、その対応に王宮も忙しくなるだろう。
私のような小娘がいても、もうやれる事はないのだ。
後は大人達がその経験と技量をふるって国と民を守るのだ。
冷害や大きな災害がある年は新年会や各種パーティも控えられるのが常なので、私の誕生日の春までは、ひっそりと静かに領地で過ごす事になるだろう。
領民が大変な時は領主は地元を離れられないし、生活苦から野盗や山賊に転向する輩も出て普段以上に物騒になるのだ。
勿論、気軽に領地を行き来する事も出来なくなるので、貴婦人は忙しい領主をしり目に暇を持て余しついでに大掛かりな刺繍をしたり、慈善活動に勤しんだりと地元で静かに過ごす。
侯爵領でもそれは例外ではない。
冬ごもりの為に、どこも薪の準備に奔走している。
穀物は確保さえ出来れば、後は脱穀や製粉と手間はあっても確実に手に入れられるものだが、薪はそうはいかない。
木の種類にもよるが半年から2年は乾燥させなければいけないのだ。
生木では燃えにくいので前もって準備期間が必要である。
寒さが厳しい年には、生木の山を前に凍死する事もあるのだ。
そういう訳で一刻も早く薪を作り乾燥させなければと、国を上げての伐採特需が現在、起きているそうだ。
エーベルハルト領は山脈を擁しているので私兵を上げて毎日伐採と薪割りに大忙しだという。
食べる物を確保していても、凍死してはどうにもならない。
アルニカオイルの出荷もあり父はそれは忙しいようだ。
それでも準備無しに冷害に挑む事を考えれば、余裕がある分贅沢は言えない。
反対に王都で多忙を極めた母は、やっと荷が降りたという風にひと息ついているところである。
寒い暑いはあれど、気温がここまで生活に影響するなど前の世界ではなかったことだ。
改めて科学文明の力に脱帽する。
私にもっと知識があればやれる事もあるのだろうが、残念ながら一般人の自分には冷害に関する知識や情報は全く持ち合わせていない。
せいぜい去年より野菜が高いだの暖房で電気代がどうこうくらいしか関心もなかったのだ。
あんなに便利で快適な生活の中、それを享受するだけだった自分に今更ながら歯痒い思いをする。
求めれば何でも知る事が出来たのに、何だか宝の持ち腐れのような気持ちだ。
私はここで祈る事しか出来ないのだ。
なるだけ被害が抑えられると良いのだが、どうなるかはなってみなければわからない。
そんなふうに冷害の憂いを抱えて、時間は冷たい季節へと移っていった。




