155話 対策です
ウェルナー男爵領から王宮に戻り、王子の要請で派遣された侍医に1週間ほど体調のチェックをされた。
なかなか心配性である。
その滞在中に事の顛末の説明をして、お土産を配り、聖女の立場を利用してある対策本部を立ち上げて貰った。
確実に起こる冷害対策である。
学者が言うには、夏には明らかに例年よりも冷え込み穀物の収穫は落ちるとの事だ。
白綿虫の群れが消えると推測される次の春まで、雪の塊のようなおしろさんが国の北に居座るのだ。
自然を操るなんて、それはもう天災では無いか。
そう思うと良くあの手の平から生きて帰れたと、ビーちゃんへの感謝が再度訪れた。
学者は前に提出した白綿虫と冷害の論文を神話生物の存在を交えて補完し、新たな資料を添えて新しい論文を提出すると共に、王宮に早急な対応を求める申し立てをした。
私と学者、この二方向と事前の王子の根回しにより、予算案が見直されて災害備蓄用に今年は各領地からの国への穀物による貢納の4分の1を免除し、それを各領地の備蓄庫へ保管する事が決定された。
1度国庫に入れて冷害を受けてから放出するのも考えられたが、その運搬にかかる費用と時間を考えたらどちらが良いかは明白である。
その他、農業輸出国からの穀物の買い付けも実施し、来る冷害に備えたのだ。
「我が民を飢えさせるな」
後世、フリードリヒ・リーベスヴィッセンについて語られる時に必ず引用される文言である。
母を亡くし公から一時身を隠した彼が、表舞台に戻ってから初めての政治的発言として記録されている。
自らの野心でも虚栄でもなく、王国民を第一に置いた発言。
それは国内外に広く伝わり彼の人となりを表すものとなった。
それとは別に、学会にも動きがあった。
王子の後ろ盾を得た学者の論文に、今まで礼儀や格式にこだわってきた有識者達はケチをつける事が出来なかったのだ。
これまでならば、はみ出し者の論文など読むに値せずと、はねられていただろう。
中には彼の研究を認める者も存在してはいたが、同じ変人のレッテルを貼られては今後立場が無くなると、その論文の有効性を黙認するしかなかったのだ。
現状、学問が金のかかる道楽である以上、そこは貴族の社交場の側面が持ち込まれ、身分はあっても不精な格好に付き合いの悪い者は異端視され、疎外の対象とされる。
権威を振りかざして学者を見下していた学会の面々は、皮肉な事に王族の権威に平伏したのだ。
今回の事を受けて学会の体制に手が入る事になった。
狭い世界なので派閥やあれこれと問題はあるが、多少は今までより風通しが良くなるだろう。
そもそも学問に身分や格式は要らないのだから。
そのうち民間からも優秀な学者が出てくるだろう。
そんな時に伯爵家の身分ながら変人と呼ばれ爪弾きにされていた学者の研究が、国を救った話に彼らは光を見るかも知れない。
さて、国土の一部に冷たい生き物がいるので今年は寒くなりますとか、話に聞くだけならふんわりとした御伽噺だが、実際に例年よりも気温が下がれば経済全てに影響が出る。
気象予報士がいたらそんな馬鹿な事があるかと憤慨しそうなものだが、生憎この世界は天気図を読み解くだけでは天気は予測出来ないらしい。
炎の精がいて気温を上げたり、天候を変える呪文があったりと自然とは別の大きな力が存在するのだ。
それこそ冷気の塊であるおしろさんに対して、反対の炎の神をぶつければ問題は無くなるのかと思うのだが、そんな事をしようものなら神話的闘争が起こり、人が住めない事になるのだそうだ。
実際にそれに近い事をした国が滅んだという昔話があり、戒めとして伝わっているらしい。
何とも不思議な話であるが、ここは黒山羊様の世界。
神々が信仰を得る舞台にはそういう不可思議で、理解出来ない事がままあるのだろう。
頭をひねりながらも受け入れるしかないのである。
私が貴賓室でウェルナー男爵領のガイドブックを出すための手記をしたためている横で、ソフィアが荷造りをしている。
この間、王宮に戻ったばかりだが、冷害対策の目処もついてようやくエーベルハルト侯爵領に戻るのだ。
王子はもう少し私の滞在を望んだのだが、彼自身も忙しい身で顔を頻繁に出せない事もあり無理強いはされなかった。
その代わりにこまめに手紙を書くように念を押されたが、文通などした事がないので何だかくすぐったい気分だ。
王宮茶会に出るだけだった短い王都での滞在が思えば長くなったものである。
聖女に祀り上げられて、王太子殿下の婚約者になった事もさることながら、まさか王都を出て、はるばる霊峰山脈まで足を伸ばすことになるなんて思っても見なかった。
思いもしない事の連発で、私は自分自身ですら、きちんと見極められていなかったのだ。
人生は何が起こるかわからない。
まだまだ私は未熟で、知らない事がいっぱいで、大人ぶっていただけなのが身にしみた。
それがわかっただけでも良しとしよう。




