154話 帰路です
「コリンナはウェルナー男爵領でどこが気に入りました?」
馬車に揺られながら旅の思い出話に花が咲く。
少女は一瞬考える様に首を傾げると、笑顔で答えた。
「蕎麦粉の可能性を感じました! お焼きもいいですが、やはり蜂蜜ナッツの蕎麦粉タルトが素晴らしかったです」
景色やのどかさを尋ねたのだが、やはりコリンナは甘い物が1番のようだ。
「領主館でいただいたあれは本当に美味しかったですものね。風景はどうでした? 家族に思い出を語る時に、あの土地のどの景色を勧めたいと考えますか?」
「そうですね。巨石も面白かったですが私が1番思い返すとしたら霊峰山脈かな。雪を被った神々しい山並みが毎日目に入るなんて、とても素敵だと思いました。何だか霊峰に見守られているようなそんな気がしてしまって」
これは私には意外な言葉であった。
私はおしろさんに気を取られすぎたのもあって、余り背後に迫る霊峰山脈を眺めて楽しんだりは出来なかったのだが、どうやらコリンナは満喫したらしい。
「登るのは大変そうですが、あの頂きに足を踏み入れてみたいと想像していました。シャルロッテ様はどうでした?」
私は正直登山には余り興味がないのだけど、そういう人もいるのか。
エーベルハルト領は火山を擁しているので、幼い頃から山並みを見慣れているせいもあり、そこほど思うところは無かったのだ。
「なるほど、参考になりますわ。私はあの風が渡る大地が印象深かったかしら? うちの領地も強い颪が吹くのですが、あの広大な荒れ地と強い風の組み合わせはとても男性的で感慨深いものですもの」
「人それぞれですね! なんの参考にするのですか?」
「ウェルナー男爵領が観光客を受け入れる準備が出来たら、案内本を出してみたいと思ったのです」
「案内本?」
「ええ、表紙や挿絵はギル様のスケッチを使って、内容は巨石の奇景を楽しもう!とか村の散歩の仕方とか、後は蕎麦粉料理特集におしろさんの童謡と言い伝えなど載せて小冊子にするの。それを読んだ人は足を運びたくなるし、案内本を片手に村歩きは楽しいと思いません? 地図も付けたいわ」
「わあ! 素敵です! 確かにそういうものがあると出掛けたくなりますね」
「そう言ってもらえると、ますます実現したくなるわ。そうね、出だしは『霊峰山脈に風に乗って会いに行こう』とかかしら?」
頭の中に思い描いたウェルナー男爵領のガイドブックをコリンナに聞かせながら、馬車は少女の笑い声と共に王都へ向かった。
辺境から王都へ向かうと、まるで自分が田舎者になったかのような錯覚を受けた。
どんどんと道は美しく整備され、街並みは色付き華やかになっていく。
見慣れているはずなのに、それは魔法の様に私の目を奪う。
男爵領に慣れた目には全てが鮮やかに彩られ、人の多さに圧倒される。
どちらが良いとか悪いとかはないのだ。
自然の厳しさをはらんだ美しさや雄大さと、人工の人が築き上げた文化がもたらす美しさは全く別のものである。
どちらも美しく素晴らしいものだ。
その叡智と技術を集めて建てられた最たる王宮に入る跳ね橋を過ぎると、馬車は王宮前の広場に止まった。
ようやく帰って来たのだ。
領地でもない王宮に帰ると表現するのはおかしいが、ここから出発したので間違いではない。
途中、貴族街のクルツ邸とアインホルン邸に寄ってコリンナと学者親子を下ろして来たので遠回りをしたが早馬が知らせていたのか馬車を降りると、いつかのお茶会の時の様に王子が待っていた。
「おかえり、シャルロッテ」
金髪で青い瞳の王子様はにっこりと笑って迎えてくれる。
「シャルロッテ・エーベルハルト、ただいまウェルナー男爵領の不審死事件の検証より戻りました」
礼儀正しくお辞儀をして挨拶をするも、王子はすぐに私の手を取りエスコートしてくれた。
「そんなに経ってはいないのに随分久しい気がする」
「ご一緒出来なくて残念でしたわ。お土産話はいっぱいありますのよ」
王宮茶会のひねくれた様子はすっかり鳴りをひそめて、穏やかな振る舞いである。
「何か楽しいことでもあったのかい? うれしそうだ」
「いえ、最初にここで挨拶をした時の事を思い出したのですわ。フリードリヒ殿下は嫌々挨拶に来たと言う感じで随分横柄でした」
そういうと王子はバツの悪い顔をした。
「あれは忘れて欲しいな。確かに良くない態度だったね。あの頃の君はナハディガルの歌で名前だけ独り歩きしていて有名だったから、さぞかし調子に乗ったお姫様が現れると思っていたんだ」
笑いながら本心を話してくれる。
久々の再会にギクシャクするかと思いきや、全く変わりなく接してくれて話しやすい。
「ナハディガルのお陰で困惑しておりましたわ。美化にも程がありますもの」
「いや、あの時桜色のドレスを来た君は風に吹かれてまさに桜の精霊の様に綺麗だったよ。私が女性に見惚れてしまったのはあの時が初めてだ」
「お上手ですわね。そういえばナハディガルを男爵領に送って下さって感謝いたします。心配をおかけいたしましたわ」
「彼は役に立ったかい? 君の前ではあれだけどその実、有能な男だからね。本当は私が行きたかったのだけどね。体調は大丈夫かい?」
寂しげな瞳でそういう。
王太子ともなると気軽にあちこち移動することは出来ないのだ。
ある意味籠の鳥である。
少し前の私と同じだ。
貴族の子供はそう易々と飛び回ったりする事は出来ない。
全てを手にする事が約束されている身であっても自由にはならないのだ。
「お気持ちだけで嬉しいですわ。体も万全です。ナハディガルが着いた頃には不審死事件については粗方終わっていましたが、決闘をしたり新しい歌を作ったりと大活躍したと報告いたします」
その歌のせいで、なぜだかおしろさんの事は私の手柄の様になってしまって肩身が狭いのだが、騎士団の気まずさを考えるとまだマシであろうか。
「決闘と歌?」
王子がきょとんとした顔をする。
それはそうだろう、事件解決に全く関係ないのだから。
「貴賓室でお土産の荷解きをしながら説明致しますわ。まずは新しく家族になったビーちゃんの紹介をしないと」
クロちゃんの背に乗る小鳥に視線を向けると、ビーちゃんは愛らしい声でぴいと鳴いた。
短い時間に色々な事があった。
目にした事、耳にした事、余すことなく伝えて王子にもあの土地に吹く風を知ってもらいたい。
国の端でも人々は懸命に生きて、生活をしている。
彼らは彼らの手の中の幸せを大事に守りながら日々を過ごすのだ。
それを護るのは王族なのだ。
少年の手は今はいまだ小さいけれど、彼は王国民の幸せの護り手となるのだから。




