145話 剣士です
「参りました」
剣を手放し尻もちをついた形で、ラーラはそう言った。
今までの緊張が嘘かの様に、歓声が響き渡る。
観客の大半は賭けに負けたというのに、それが惜しくないと思わせる仕合いであったのだ。
「なんだなんだ、何を見せられたんだ俺たちゃ」
「あの兄ちゃんの背の反らし方見たか? どうやって立ってたんだよあれで」
「いやあ女騎士さんもすごい猛攻だった。2人ともお疲れさん!」
惜しみない拍手と賞賛が、2人に降り注ぐ。
本当に、一体全体どういう事なのだ。
狐につままれた気分である。
詩人は魔法に秀でているのではなかったのか?
騎士団の連中も拍手をしていた。
「いや、こんな逸材が隠れているなんて思いもしなかったよ」
「これだけの実力があって、何故詩人をしているのだい?」
口々に賞賛が向けられていると言うのに、詩人の眼差しは何故だか冷めていた。
「つい、熱くなってしまった」
そう言いながら、詩人は座り込んでいるラーラの手を取り立ち上がらせる。
「いやはや、完敗だ。私はいつの間にか驕っていたようだ」
彼女は詩人の手を両手で掴んで立ち上がる。
「一方的に翻弄させられたのはいつぶりだろう。是非稽古を付けてくれないかな? 詩人殿、いや師匠!」
負けたというのにラーラは微塵も悔しがる事無く、詩人に頼み込んでいる。
まるで高みを目指す事しか考えていないかのようだ。
「師匠は魔法も相当とアインホルン殿から聞いております。てっきり魔法師であると思い込んでいました。思い込みとは恐ろしい。剣技だけでこれでは本気を出されていたら勝負どころでは無かった」
「師匠はやめてくれまいか? それに私は宮廷詩人。騎士様の栄誉を称えるのが仕事なのだから」
脇に置いた羽飾りのついた帽子を拾い上げて形を整えると、深くかぶり直した。
調子に乗って私の雄姿を見ましたかとか言い出すかと思ったのになんだか大人しい。
「詩人殿は何を言っておられる。強さと職は関係ないではないか。稽古を付けて私が強くなればお嬢様はより一層安全になり、それはあなたの手柄だろう?」
それを聞くと、憂鬱そうだった詩人の顔がぱあっと明るくなった。
さすがラーラ、人の上に立つだけあってツボを押さえていると言わねばなるまい。
まさか私をダシにするとは思ってもみなかった。
「私は今回神話の生物を前になすすべが無かった。そして今、詩人殿にも負け自分の未熟さを再確認したところだ。詩人殿に師事すれば、今後お嬢様をお護りする強さは詩人殿のものなのだ。その場にいなくとも貴方はお嬢様を私を通して護る事が出来る。そうは思いませぬか?」
ラーラの熱い演説に、あからさまに詩人はソワソワと私とラーラを交互に見やると、時間が合うようなら手合わせくらいならと妥協し始めた。
それを見てヨゼフィーネ夫人が笑う。
彼女は視線を詩人からはずさないまま、私に語り掛けて来た。
「シャルロッテ様、あれが天才剣士の名を欲しいままにしたナタナエル・バルシュミーデ。魔法と詠唱の才能を買われて騎士の道を断たれた悲劇の剣士ですわ。剣を置いて絶望の淵にいた彼の希望となって下さった桜姫に、私もギルベルトもどれだけ感謝したことか」
私は口をあんぐりと開けてしまった。
そっと、夫人は自身の扇で、私の顔を隠してくれる。
気が利いて優しい……、ではなく私は新しい情報に混乱していた。
ふいに、王宮で彼にハンカチを渡した時の母の言葉が脳裏に蘇った。
剣を返上した詩人にハンカチを渡して騎士に任ずるのはどうとか木霊の様に繰り返される。
「では、ではあのお話にあったギル様の夢を断たれた親友というのは……」
「ええ、ナタナエルの事よ。彼のお姫様にその剣の腕もよく知っておいてもらいたかったのよね。いい機会でしたわ」
彼の才も人となりも、是非私に知って欲しかったという。
ええ、彼の話には心を打たれました。
そして類まれなる剣の才能を隠している奥ゆかしさ。
なかなかそんな好人物はいないことでしょう
ああ、でもヨゼフィーネ夫人。
この人は涙ながらに私の持ち物を欲しがったり、子供に混じってダンスを踊ろうとする人なんです。
私こそ夫人に彼のそういう常軌を逸した部分を知って欲しかったが、微笑む彼女にそんなことを伝える事は出来なかった。
夫人にとって詩人は、我が子の親友であり、同じように見守ってきた子供なのだから……。
「はあ、素晴らしい剣技でした」
呆けた私の口から、ようやく出た言葉はこれだけであった。
夫人が私に零した言葉は騎士団の耳にも入った様で、行方知れずの天才剣士の話題で持ち切りのようだった。
母も夫人も知っていたのだからある一定の年齢の貴族であれば、彼の剣技の才能は知っているのだろう。
特に秘匿されるものでもないのだろうが、情報伝達の緩やかな時代なのだ。
天才剣士の行方を気にしたのは同年代の剣を志す若人くらいなもので、取り立てて騒ぐ話ではなかったのかもしれない。
名前と出で立ちまで変えていたのなら、見かけても誰も同一人物とは思わなかったのだ。
「いやあ幼少の頃、名前をよく聞いたものだよ。天賦の才を持つ子供の話を。いつか騎士団で会えると思っていたがそれらしい人物はいなくて不思議だったんだよなあ」
「あんな剣筋見せられたら皆、自信なくして剣を折るだろ。同僚で無くて良かったというべきか」
漏れ聞こえる言葉に、もっともだと思った。
今が戦乱の世の中であれば騎士を登りつめ英雄になっただろうが、平和な時代には過ぎた才は毒なのだ。
出る杭は打たれるではないが、国が欲しいのは足並みを揃えた画一化された騎士。
時代的に彼を騎士団から取り上げ、王宮の守り人に据えたのは間違いでは無いだろう。
目に見える国外の敵勢力が無いのならば、王宮内部の陰謀を封じたいものなのだから。
そうした世相が彼から剣を取り上げ、詩人に抜擢し私を幻の桜姫にたらしめたのだと思うと何とも複雑な気持ちになった。




