144話 決闘です
「さあさあ! そろそろ〆ますよ? 紳士淑女の皆さま掛け忘れはいないですか?」
学者がそう言うとコリンナとヨゼフィーネ夫人が遅ればせながら出て来た。
「ナハディガル様! いつのまにいらしてたのですか。そしてこれは一体どうしたのでしょう? シャルロッテ様」
驚くコリンナに説明をすると、彼女はにっこり笑って私物入れから銀貨を取り出した。
「ナハディガル様に掛けますわ」
「おや? お嬢さんナハディガルは分が悪いようだけれどいいのかな?」
学者が興味深げにそう声をかける。
賭けはラーラ優勢一方なのだ。
この場にいる村人と騎士団にとっては顔見知りということもあるし、なにより神話生物に立ち向かった女騎士である。
相手が屈強な戦士ならば熟考したかもしれないが、優雅な詩人相手では勝負はやる前からわかっているというものだ。
詩人が打ちのめされるのを、既に気の毒がっている人までいる。
「ラーラ様に賭けても手に入れるお金はしれていますよね? 無駄になったとしても私にはファンであるナハディガル様の応援をした事実は残りますし、勝てば戻りも多く儲けられるのだから一切の損はしませんわ」
何というかコリンナも、ちゃっかりしていた。
これも一種の貴族の駆け引きなのだろうか?
私にはさっぱりわからない。
ふむふむと感心したように学者は頷くとこれで最後ですよというの掛け声を上げた。
そこに女性の声が響いた。
「ナハディガルに銀貨100を」
その場にいた全員が驚き、どよめきが走った。
銀貨100と言うと金貨1枚である。
この領地で金貨を使うような場所は無いと言っていいほどの高額なのである。
金貨といったら村人には一生お目にかかることがない硬貨だ。
確かにラーラに騎士達は銀貨数十枚を掛けているが、1人で銀貨100枚も掛ける人間はいない。
その声の持ち主に一斉に視線が集まる。
それはヨゼフィーネ・アインホルンであった。
「母さん、一体何をしてくれるんです?」
勘弁してくれと学者が頭を抱えた。
「あら? 私が掛けてはいけないルールでもあるのかしら?」
澄ましてそういう夫人に学者はぐぬぬと言葉を無くしている。
「そんな大金をいいのですか?」
貴族から見たらはした金でも、村人から見たらとんでもない大金である。
こんな余興に投げ捨てるには、額が大きすぎやしないか。
ある意味貴族らしい散財行為ではあるのだが、この夫人がそんなことを良しとするだろうか?
彼女の主義に反しているとしか思えないのだ。
学者の代わりに私が聞くと夫人は微笑んだ。
「ふふふ、私もナハディガル贔屓なのよ? まあ見てらっしゃいな」
扇で口元を隠して笑う様は、今まで見た彼女の中で一番貴族らしく一番不穏であった。
「はじめ!」
広場の中央で向かい合った二人は学者の号令で剣を構えた。
教会の前で剣戟が鳴り響く。
金属と金属がぶつかり合い弾かれ、空を切るのを固唾を飲んで観客は見守っていた。
「へえ、意外とあの兄ちゃんもやるじゃないか」
村人の声がすべてを物語っていた。
すべてを?いやそれは一部なのかもしれない。
これは意外どころではない。
ラーラに一方的に打ち込まれ終わると思われた試合が、ここまで激しいものになるとは誰が予想出来たことだろう。
ラーラ自身も起きている事実が信じられないのか、それが表情に出ている。
一方の詩人と言えば終始冷徹な瞳でひらりひらりとラーラの追撃を交わし、受け流し、ここぞという時に重い一撃を放っていた。
それはまさに舞台で繰り広げられる殺陣のようなものであった。
ナハディガルには彼女の動きが全て見えているのか、無駄な動きはなく息ひとつ乱していない。
宮廷詩人とは宴の間謡い続ける、人の喉を借りた楽器である。
よく響き伸びる美しい声に必要なものは、天性の声質と膨大な肺活量。
優雅な宴で息を切らせて歌うさまを、誰が見たいものか。
そう、詩人は軟弱なのではなかったのだ。
ラーラどころか騎士団の面々も息をするのを忘れたかのように、この場に視線を釘付けにされている。
この様な打ち合いはあってはならない。
戦場では汗と血が飛び合い、怒号が響かねばならないはずだ。
優雅に敏捷に風に乗るような戦い方など、ありはしないはずなのだ。
剣を躱す柔軟さ、繰り出す攻撃は鋭くうねる様に繰り出され、特筆すべきはこうまで激しく戦っているというのに、詩人の足音がほとんどしないことだ。
一切の無駄を省いた優雅な動きが、それを実現させているのであろうか。
ラーラの勝利で一瞬で終わると信じていた人々は、自分達の賭けを忘れた様に詩人の剣に魅せられていた。
これは舞踏である。
剣を使った舞いである。
一心不乱に詩人の攻撃を捌き打ち込むラーラが、まるで鳥の王様に反逆する悪漢のように仕立て上げられた舞台になってしまった。
彼は歌声だけでなく、剣をもってしても人を魅了してしまうのだ。
これが王国史に残る当代の宮廷詩人ナハディガルであった。
この実力ならばどのような敵が来ても、王族にたどり着くことはないだろう。
まさに王宮の守り人なのである。
キインと音を立てて、ラーラの剣が宙を舞った。
その剣の落ちる先でさえ演出ではないかというように、図ったように人々の輪の真ん中に刺さったのであった。




