135話 畏れです
次の日には体もスッキリして調子も戻ってきた。
学者は宣言通り昨夜は帰らなかった様で、どこで何をしていたのか朝方ふらふらと帰ってきて寝てしまったそうだ。
ヨゼフィーネ夫人がだらしないの何のと愚痴っているのが聞こえた。
一晩帰らなかったなんて、夜中に開く店も無いこんな田舎でどこで何をしていたのだろうか?
「聖女様、ごめんなさい」
ホールでの読み書き教室の前に、リンディが男爵に連れられて自室に謝りに来た。
ラーラ達の怪我の様子を見て、子供ながらに自分が起こした事の次第を自覚したらしい。
実際はその件は関係ないのだが、わかりやすい何がが必要であったのだ。
ビーちゃんは男爵を見ると、まさに飛びつく勢いで肩に止まったり、頭に乗ったり歓迎の意を表していた。
ビーちゃんには男爵の黄衣の王への信仰が伝わっているのだろう。
目には見えないが、この真面目な男の根底にあるのは風の神への信仰なのだ。
国教である黒山羊様の事も勿論大事にしてはいるだろうが、この土地で育まれる風への信仰を止めることは誰にも出来ないのだから。
ビーちゃんは男爵の事を同志の様に思っているのかもしれない。
インコに懐かれる中年男性を横にしては、なかなか真剣に話を出来るものでもないので、簡単に危険な事はしないよう伝えればいいだろう。
「リンディがいなくなったら皆心配だもの。おしろさんに連れて行かれたら皆悲しむわ。会いに行くのはやめておきましょう?」
私がそう言うと、涙を溜めながらリンディはうんうんと頷いた。
「おしろさんは私達と違う生き物で考え方も違うの。だから悪気があったわけではないのは覚えててあげてね。嫌いになったりしないでね」
なんというか、私としては彼女のおしろさんへの好意を否定したくなかったのだ。
おしろさんは冷害を伴い、人を死なせる招かれざる客かもしれない。
でも彼は彼なりの生き物として存在しているだけなのではないか。
リンディの笑顔は、クロちゃんやビーちゃんや私のように人から見たら異端とされるものに向けられたもので、それを否定する事は私達自身を拒否するような気がして私には出来なかった。
悪意が無いのに誰も彼もから嫌われたら、それは悲しい事だ。
誰か1人でも好意を向ける者がいてもいいでは無いか。
「畏れというのはわかるかしら? 自然と同じように畏れ敬わなければいけないの。近付き過ぎず遠くからおしろさんを思いましょう?」
リンディにはわからなかった様できょとんとしている。
今はわからなくても大人になって真相を知った時に私の言葉を思い出してくれたらいいのだけれど。
「さあ、皆とお勉強をしてらっしゃい」
そう送り出すと男爵を残してリンディは笑顔で駆けていった。
「聖女様!ありがとう!」
その無邪気さが彼女から消えませんように。
明るい笑顔に私はそう思った。
「男爵もお疲れのようですね?」
残された男爵は目の下に隈を作っている。
おしろさんの事でそんなに気に病んだのだろうか?
まあ形だけとはいえ王子の婚約者の聖女が危ない目にあったのだから気にはしなければならないか。
「あ、いやこれはアインホルンさんと」
そこまで言ってしまったと口を抑える。
「ギル様と?」
「いえいえ、まあちょっといろいろありまして、とりあえず領がいい方向に向かっているのは喜ばしい事です」
昨夜戻らなかった学者と酒盛りでもしていたのだろうか?
「おしろさんを畏れよとはいい言葉を聞きました。私は恐怖し震えるだけでしたが、今後は畏れ敬いきちんと対応していくつもりです」
あれだけ無力そうだった男爵は、姿勢も正しその意気込みに貫禄が出てきた気がする。
なかなか頼り甲斐が出てきたのでは無いだろうか?
お金の心配が無くなったのと別に、今回何か思う事があったのかも知れない。
それは彼にとっても領地にとっても良い事である。
人は幾つになっても変わる事が出来るのだ。
「ご立派ですわ。今後この土地がどうなって行くか楽しみですわね」
まだおしろさんの解決はしていないが、何だか自分の役目が終わった様な気がしてすっきりとした気持ちでそう伝えた。
何故か肩の荷が降りた気持ちだ。
私がした事と言ったら単に攫われただけなのだが。
「不思議ですね」
男爵が感慨深げに言う。
「どうなさいましたか?」
「いえ、なんと言うか。聖女様と話していると、まるで私の母の様な歳上の女性と話をしている様な錯覚をしてしまいまして、申し訳ありません。こんなうら若い令嬢に失礼な事を」
思った事を口にしてみたら、失礼過ぎた事に気付いたのか直ぐに撤回した。
母の歳か。
ちょっと上に見積もり過ぎじゃないかと思ったけれど、そう言われたらおかしくも無い年齢かも知れない。
年嵩というものは、隠していても滲み出るものなのだろうか。
「私などよりよっぽど落ち着いていらっしゃるので、そう感じたのですね。やはり聖女様ともなると違いますな」
汗をふきふき何とか挽回しようと言葉を繋いでいるのを見ると、先程見直したのがどこへやら。
私はつい、おかしくなって声を立てて笑ってしまった。
いつもの頼りなげな男爵がそこにいた。




