13話 ペットです
「仔山羊ちゃんはなんて呼ぼうかなぁ? あ、黒犬様ってみんなに言われてたしクロちゃんでいいか!」
仔山羊がめぇぇーと鳴いて答える。
どうやら気に入ったようだ。
ペットを飼うにあたっての一大イベント。
それは名付けだ。
ペットに最初に贈る名前は奇をてらっても誰も幸せになれない。
呼びやすく覚えやすくて親しみやすい。
それが一番だと私は思う。
兄の様子も大分落ち着いてきたのだが、どうしてもクロちゃんが怖いみたいで、離れた木の根元に身を寄せている。
まあ、兄といえど子供なのだ。
これは仕方ないと言えよう。
私は人生酸いも甘いも体験した大人だからね。
これくらい大したことないと心の中で威張ろうとしたけれど、これは私の特性ではなくきっと神様にもらった神酒の効能なような気もする。
そんなようなことを黒い雄牛が言っていたではないか。
なんだろう、神経が図太くなるとかかしら?
図太いのはおばさんの特権なので、今更な気もしなくはない。
「あの……。兄様? もう何も問題ないので、こちらへいらしては?」
縮こまっている兄に声をかける。
「問題だらけな気がするのだけど……。シャルロッテ。説明を、納得できる説明を、あの、してもらえないだろうか……」
か細く絞り出すように兄はそう言った。
まあ、ちょっとおかしかったのは認めよう。
「えっと、この子は黒き山羊様の家の子?みたいなもので恐ろしいものではありませんわ」
「黒き山羊様というのは地母神様、黒山羊様の事だよね?」
「ええ! だから魔獣除けが効かなかったんですよ。見て下さい! この角と足は神様とお揃いなんですよ! すごくかわいいですよね」
じゃじゃーん!見てくれ!と兄にアピールする。
はしゃぐ私に信じられないという目を向けているが気にしない。
クロちゃんはこんなにかわいいんだもの。
「私はその……。そうなる前の姿を見ているのだけど……」
「あーあー、あれはですね。神様のところにいた子だから人に親しみやすい形がわからなかったみたいです? ちょっと不器用なんですね」
「ちょっと不器用?」
「ちょっと不器用」
念を押しておく。
「じゃあ人を食べたと言うのは? 噂通りの外見だったのだから、それも真実ではないのかい?」
木の幹が唯一の味方だと言うかのように、しがみつきながら質問を投げてくる。
そんなにくっついてたら、顔に木目の跡がつきますよ。
兄の質問は確かに尤もだと思いクロちゃんを見ると、明後日の方向を向いている。
何か後暗いところがあるのかしら?
とりあえず事を荒立てても何もいい事は起きないだろう。
今はペットを飼う許可が欲しいのだ。
「人を知るために街に通ってたみたいです? 見てくれのせいか歓迎はされなかったそうですが」
それっぽいことを並べ立ててみたら、めぇめぇと同意の鳴き声がした。
クロちゃんからなんとなく「人の知識を摂取してた」みたいな意思が伝わってきたがよくわからないのでそこは兄には伏せておこう。
世間知らずな神様の仔山羊は暗闇に隠れて人を観察でもしていたのではないだろうか。
「そもそもどうして、それが黒山羊様のものだと思うのだい」
確かにそこは肝心なところだ。
「それはほら信仰の力です。地母神様への信仰があればすぐにわかるのです」
「信仰のチカラ???」
兄は素っ頓狂な声をあげた。
そんなこんなで、疑心暗鬼の兄からのクロちゃん質疑応答はとりあえず終了。
ぐったりした兄にはそれ以上問いただす気力が無かったのかもしれないが。
さて、デニスは大丈夫なのだろうか?
ルドルフは兄妹の絆のお陰か私が抱き付くことで落ち着きを取り戻せたわけだが、さすがに赤の他人の男性に抱きつくのは抵抗がある。
見た目、少女でもおばさんにハグされては困るだろう。
そもそも、つい先ほどまでは話をしたこともなかった人だ。
彼はどうやら私とクロちゃんの遣り取りの間に気絶したらしく、ぐったりと地面に体を投げ出していた。
倒れた彼に兄が何度か声を掛けると息を吹き返したかのように、勢い良くデニスが起き上がった。
「ルドルフ様! お怪我は!」
自分の身より主人を気にかけるとは、なんという侍従の鑑。
「ああ、大丈夫だ。シャルロッテも私も無傷だよ」
デニスはホッと息を吐くと、私の方を見やった。
また質問タイムの繰り返しかな?
デニスはじっとクロちゃんを見ると、苦笑混じりにしゃべり出した。
「ああ、私としたことが……。こんな可愛らしい仔山羊を化け物と見間違えるとは、お恥ずかしい。あまつさえお2人を守るべきところを気が動転して転んで気絶するなど侍従失格ですね」
しょんぼりとしているデニスを、兄は信じ難い顔でみている。
何かというか、全部おかしい。
「お前……。デニスお前も見ただろう? 木の肌みたいなものに目がいくつもいくつもついていて」
兄が詰問するが、彼からは要領を得ない言葉ばかりが返ってくる。
「はは、ルドルフ様も人が悪い。街の噂に惑わされて一瞬私もそのように見えましたがね? 担ごうとしても駄目ですよ? どこをどう見ても、かわいい仔山羊ではありませんか」
そういうとデニスは、自分の情けなさを笑ってみせた。
「お前……」
兄が言葉を濁す。
デニスは少し焦点の合わない目付きだが言っている事以外は、まともそうである。
あまりの恐怖に正気を失ったか、あるいは現実逃避のあまり自分で自分を偽ってしまったのか、それともすべてを忘れてしまったのか。
彼の防衛本能により、デニスの中の真実は書き換わってしまったのだ。
現実には子供が語る真実より、年長者の虚構が勝る時が往々にして発生する。
すなわち兄がどれだけ主張しても、噂の黒犬様の正体は、なんてことの無い黒い仔山羊ということになるのだ。
「それにしても、見事な黒い毛並みですね」
艶やかな漆黒の毛は、家畜を見慣れているデニスから見ても逸品のようだ。
「触って触って! すべすべもふもふなの! かわいいでしょ? クロちゃんっていうのよ」
先程まで兄にわかって貰えなかった分、デニスにクロちゃんのかわいらしさをアピールする。
「おお、これはこれは。ずっと撫でていたいですね。それになんて愛らしい目をしてるのでしょう」
「私のペットにしたいのに、兄様に反対されているの」
わざと声のトーンを落としてしおらしくしてみせると、デニスは果敢にも彼の主人に意見した。
「ルドルフ様、我が主。こんな愛らしくて美しい生き物を何故拒絶するのですか? 連れて帰れば確実に街の問題を解決したのはあなたの功績になる上、かの異形を侯爵家が調伏したと詩人達はこぞって歌うでしょう。しかも桜姫の庇護に入ったとなれば勇猛な兄と慈愛の妹と御二方の名声が上がるのは間違いありません」
流石、侍従だけあって兄の性格がわかっている。
子供ながらに武功と評判の重要さをわかっているからこそ、ここまで足を運んでいるのだ。
デニスが並べる言葉はルドルフにとって、最も重要で甘く響くものであった。




