120話 歩む死です
大地には並ぶ巨石。
それは何者の力で配置されたかわからないが、測ったように正確にVの字を作っている。
ここからだと良く見える。
私は空高く舞っていた。
あの古びた苔むした巨石。
あれは奇岩ではなくて神を喚ぶ装置なのだ。
大昔、人々はここで祈りを捧げていたのに違いない。
夜天にかの偉大なる王を表す星が瞬く時、黄色い布を身に着けた人々が呪文を唱えてその信仰を奉じるのだ。
夜の宴。招来の儀式。
人々は此処に集い彼の神に語り掛けるのだ。
いあ いあ はすたー
それに続く呪文をこの体は喜びと共に聞きながら、風の神に仕える奉仕種族であることを誇る。
空を舞い謳い、夜風に乗り呪文の溶けだした空気を全身で楽しむ。
ああ、今私はバイアクヘーなるものになっているのか。
これは夢。
記憶であり夢である。
ビーちゃんの記憶と私の夢が混ざりあって、太古に行われていただろう祭祀の記憶を天空から眺めているのだ。
吹きすさぶ冷たい風が荒れ野を渡る。
今と昔が重なる風景の差異が、彼の長い孤独を私に教えてくれていた。
空を飛ぶのは楽しい、だがここにはひとりきりなのだ。
かの神へ捧ぐ祈りを受けて、遠くから渡ってきた。
帰る術もなにもなく、ただ神への思いを連れ合いに、朽ち行くまで風の中を漂うのだ。
なんという孤独と崇高な信仰。
時折、この地に訪れる白い大きなものは、その巨大な体躯を屈め顔を地面に寄せては口を大きく開けている。
地面にある魔素の雲。
白綿虫の群れをそうやって捕食していたのだ。
それはひとしきり食事を終えると、空高く浮かぶと風に乗って歩いていってしまった。
そんなことを何回も繰り返す。
山の様に大きなおしろさん。
紅い宝石の様に輝く瞳に白い山のような巨大な体。
凍てつく寒さが伝わってくる。
そこにいるだけで周囲を冷やしてしまうもの。
私はどうして、もしかしたら可愛いものかもしれないとかお腹の上に乗ってとか思ってしまったのだろう。
あれはそんなものではなかったのだ。
風に乗りて歩む者。
あれにとって人など矮小な存在で、どうでもいい塵芥も同然なのだ。
その存在に圧倒されていると、一人の男がそれにつまみあげられ連れて行かれてしまった。
左腕に黄色の布をつけているのが辛うじてわかる。
なんの気まぐれなのだろうか。
腰を抜かしたのか恐怖のあまりか声も出せない様子だ。
でもそう長くは生きれまい。
彼の手から零れるだけで、そのまま命は尽きてしまう。
しばらくするとまたそれは現れて、既に動かない男を興味無さげにポイ捨てした。
そんな無為に見えるやりとりが、早送りの様に目の前で繰り返される。
悪意も殺意もなにも存在しない。
人は大いなる手に取り上げられ死んでいくだけだ。
あれは何も語らず黙したまま、静かに白綿虫を捕食し、たまに人を連れては消え、戻って死体を捨てにくる。
ふと気付くと、こちらに気付いたのかその大いなる白き沈黙の神話生物なるものはこちらに向かって手を伸ばしていた。
これは夢なのか現なのか。
次は私の番なのかもしれない。
また食べられてしまうのか、それとも何処かに連れていかれるのか。
その何処かとはどこなのであろうか。
これは災害の様なものだ。
どうあがいても無駄なのだ。
諦め覚悟するしかない。
緊張に身を硬くしていると、そっと額に気配が触れた気がした。
こちらは小さく、あちらはとてつもなく大きな存在。
触れることさえ慎重に精密な動作でなければ、こちらはぺちゃんこに違いないがそうはならなかった。
実際には触れてなどいないのかもしれない。
存在が、気配が触れた。
あれはこちらを憐れんでいた。
バイアクヘーを憐れんでいた。
彼の様に自由に風に乗り行き来の出来ない、この箱庭の檻に囚われた小鳥のような、かの神の奉仕種族を。
だけれど私は憐れまない。
ここで彼の神に思いを馳せることは、惨めなことではないのだ。
この寂しさでさえ、一遍残らず神に捧ぐのだ。
それは私ではなくビーちゃんの気持ちだったのかもしれないけれど、私は真っすぐにかの者を見返した。
憐れむな。
「お前のそれは届きもしないではないか」
バイアクへーは凛として、そう声を上げた。
実際には動物の出す鳴き声の様であったが、その音には意思が乗っていた。
白き山のようなそれは、人を乗せていたはずの手の平をじっと見つめると、そのまま何処かに消えてしまった。
小さな柔らかく温かいものが頬に押し付けられている。
微睡みから醒めて、目を開けて確かめるとそれはビーちゃんの頭であった。
私の頬にその黄色い小さな頭を押し当てて擦り付けていたのだ。
彼を潰さないようにゆっくりと起き上がると、私は自分が泣いていた事にその時気付いた。
ただひとりで岩が苔むし風に削られる長い時間、神の信仰の地を見守り続けた誇らしさ、祠の一族と共に過ごした一時の温かさ、枯れゆく人々を見送った寂しさや、残されたものの悲しさが私の中で一緒くたになり、それは涙となって溢れたのだ。
本来なら巨体で大空の覇者であったこの子が、こんなに小さく成り果ててしまっても尚、捧げる祈りを持ち続けている事に胸が締め付けられる思いがした。
夜は静かにねと前に言いつけたのを覚えているのか、ぴぃとも鳴かずに私の顔を覗いている。
あれはこの子の全て。
この子も私がそれを知った事を理解したのだ。
不意にその小さな頭を下げた。
これはインコが撫でて欲しい時の仕草だ。
そっと指先を差し出し、ふかふかの羽毛に私は指を沈める。
軽く撫でるように顔や首を掻いてあげると、気持ち良さそうにビーちゃんは目を閉じた。
お互い何の音も立てず、声も出さず再び眠気が訪れるまでの間、可愛い仔山羊の寝息を聴きながら私達は夜闇の中寄り添ってそうしていた。




