119話 葛藤です
ブリニの上に魚とチーズを乗せて頂くと、得も言われぬ大人の味のハーモニーが口の中に広がった。
これは白ワインかシャンパンで頂きたい。
周りの大人を見ると既にお酒を開けていて、子供の身が恨めしく感じる。
「はあ、それにしても聖女様が連れて来た料理人はすごいね。毎日新しい料理が出てくるのは魔法のようだよ。気のいい人だし私みたいな下働きにも、賄だってんでご馳走してくれるんだから、頭が上がらないさね」
ニコラがお皿を下げる時に話しかけてきた。
「本当ね。私にとってはおいしいものを作り出して幸せにしてくれる彼らの方が聖人に見えるわ」
「はっはっは! それは違いないね!」
旅する料理人だけあって現地の人間と温和にやっていく方法も身に着けているのだろう。
同じ釜の飯を食うということわざではないが、おいしい物をもらって敵視する人間はいないのだ。
そうやって現地の人間と交流しつつ、その土地独特の食材や調理法を手に入れているのかもしれない。
現に今日も現地の霊峰菜漬けが供されている。
これは漬けてすぐに食卓に上がるものではないので、誰かの家で保存されていたもので間違いない。
「聖女様達が帰っちゃうと思うと今から寂しくなるね。こんな賑やかさもうまい食事も夢の様だよ」
「ロンメル商会がこちらの開発に当たるようですので、これからはもっと賑わいますわ」
工場が建てば領地の人口が増えるのは間違いない。
それを目当てに行商人や期間工達も集まってくるだろう。
まあ、ロンメル商会が牛耳ることにはなるのだが、経済が回るのは間違いない。
「この館も聖女様のお部屋はそのままにして、普段は宿泊施設として営業しようという話が出てるんですがどうなんでしょうね。こんな豪華な料理を作る人間もいませんし、素泊まり宿にしてはもったいないし。私らでも作れるようなものがあればいいんだけど」
「料理人も流れてはきそうですが、そうですね。地元の人で作れる名物があれば……」
そんなものがあれば、商会主導の一方的な発展ではなく、領民も誇りを持って自分達もそれに参加したと言えるのではないだろうか。
ほんの小さな何かでいいのだ。
彼らが卑屈にならないように、彼ら自身で作れるものが必要だ。
ベッドの上で黄金の蜂蜜飴の瓶を前に正座をする。
頭の上にはビーちゃん、膝にはクロちゃんが居座り、かれこれ小一時間程この格好である。
この飴を舐めて眠るか否か、それが問題だ。
私はそれをずっと悩んでいる。
学者が言うところの「魂を宇宙に飛ばす」黄金の蜂蜜酒。
アルコール発酵していない飴とお酒では効果が違うのだろうか?
前回のあれは、幽体離脱のようなものなのかもしれない。
何故飛ばされた場所がこの村なのかは、わからないけれど多分に黄衣の王の信仰が浸透しているからではないだろうか。
何らかの意思が働いているにせよいないにせよ、この土地も不審死も黄衣の王を抜きに考えれはしないのだ。
飴の力で犯人を見つける?
そんな狡い事はどうなのかと思うけれど人命がかかっているのだ。
犯人を見つけれなくともなにがしらの収穫があるのではないか?
ただ、あれだ。
前の夢の様に、何かにひと飲みにされて生きたまま嚥下される感覚を自ら味わいたいという人間はいるだろうか。
いや特殊な性癖を持っていたらそれを喜ぶ事もあろうか。
残念ながら私はそうでは無い。
ひと飲みにされる恐怖。
それを1度味わってしまった事が私を躊躇させる。
対面する恐怖を知らなければどんな蛮勇にも出られようが、知ってしまえば生存本能が、危機回避の本能が否が応でも働くのだ。
無知は強い。
知らなければどれだけ残酷な事でも人は出来てしまうのだ。
だから学び学習するのだ。
でなければとっくの昔に何の手を借りずとも、人は自身の手で滅んでいるだろう。
「可愛い」の塊を侍らせながら、私は正座で悩んでいる。
なんとかクロちゃん達に和みながら、一歩を踏み出せないかと躊躇している。
「可愛い」と「恐怖」はまるで水と油で上手く混ざってくれないのだ。
ドレッシングの様に美味しく乳化してくれたら、直ぐにも踏み出せる事なのに。
時間は有限である。
いや、待て。クロちゃんとビーちゃんの元々の姿は、人によっては恐怖であったはずだ。
今ここにいる2匹が「可愛い」と「恐怖」を両方併せ持っているではないか。
もし、大きなおしろさんがいたとしたら、それは神話生物なのだ。
王国見聞隊の見解もそうだったし、魔獣なら人を捕食するはずと言っていたではないか。
神話生物。
虫は嫌だったけれど、ここにいるこの2匹は私の家族みたいなものである。
何を怖がる事があろうか。
おしろさんも、もしかしたらつぶらな瞳の気の優しい大きなシロクマの造形の可能性もあるのではないか?
もふもふの大きなお腹の上で飛び跳ねたり、お昼寝したりするのは、クロちゃん達を愛でるのとまた違う幸せではないだろうか。
私はゴクリと唾を飲んだ。
どうせ1度は死んでいる身だ。
2度3度飲み込まれても体が無事ならどうにかなるだろう。
私は腹をくくると瓶から一粒取り出した。
いざゆかん。
もふもふ天国へ!
そうして私はベッドに身を横たえると、コロコロと飴を口の中で転がしながら眠気を待つ。
右隣りにはクロちゃんが私の頬にその背毛がふかっと当たるように体を丸め、ビーちゃんはその上に毛を膨らませて目を閉じている。
ゆっくりと私達の体温は混じりあって、ゆらゆらと眠りに落ちていく。




