110話 開発です
悪戯というには大掛かりすぎるが、私を驚かそうというのは間違いではないだろう。
「もしかしてこの領地に見られる木々は香檜木なのですか?」
昼間に見て回った村の様子を思い返す。
加工しやすい木材がとれるから日常品から家具まで皆、木工を冬の副業にしていたことを。
「ええ、大体目につく限りは香檜木か、それに似た植生のものですね。どれも柔らかく加工はしやすいのですが、如何せん強度に欠けるせいで建材には向かないし輸出しようにも運び賃でもう赤字になってしまいますから」
確かに柔らかい木材は他の土地にもあるのだから、わざわざ膨大な輸送費をかけたここの材木を使用する必要はないのだ。
人の手も材料もどこにでもあるのにわざわざここを選ぶ意味。
私が長の滞在をした場所で製作することで、ありがたみを加算する作戦か。
それだけではない。
私は技術の流出は止められないと言ったが、ロンメルはそう考えなかったのではないか。
人の出入りの無い土地に工場を作ることで必然的に漏洩は減る。
雇用する人数も少なくはないだろうし、農民はとにかく子沢山なのだ。
働き口はいくらあっても足りなくはないだろう。
地元には感謝され、働き手はお互い見知ったものばかりだとしたら、よそ者が入る隙などない。
従業員に教会で誓約を強いる訳でも警備兵を置くわけでもない、エーベルハルトの農業地区と同じく住民の警戒心を利用した、無料の強固な防犯である。
そもそも鉛筆工場に限らずそういう場所を商人は必要としているはずだ。
他にもそういう土地を長年作って来たに違いない。
新しい事業に新しい土地、新しい運搬ルートの確立。
人も金も増えれば、ここでの商売も十分見込めるだろう。
商品や食料を納入し、帰りにここで作った商品を運び出せば無駄も無い。
貧しいと言われ続けたウェルナー男爵領は息を吹き返す、いや初めて花を開くのだ。
もう領民の暮らしの為に金策に走らなくてもいいだけでなく、商人の手が入る事で繁栄が約束されたのだ。
それは僥倖という他にあるまい。彼の顔もほころぶというものだ。
それが例えロンメル商会の植民地となってしまうといえど。
悪い言い方ではあるが、この土地はもう聖女の名前とロンメル商会から逃げられないのだ。
どちらかが失脚すれば、そのまま打撃を食らう事になる。
それがあるので古参貴族は自分の手で領地を運営することに余念がない。
貴族でありながら、まるで商人が如き商談をしたとしても、商人に手綱を握られる訳にはいかないのだ。
100年前に無知故に、この荒れ地を押し付けられたウェルナー一族は、やはり無知故に商人に土地を渡してしまったのだ。
土地はより良く領民も幸せになるだろう。
万一これが一時の繁栄だとしても、彼らは元の生活に戻るだけなのだ。
今より失うものの無い領地の為に走り回っていたこの男爵は、その為に貴族の矜持を失うのも厭わないであろう。
それなのに何故か苦い思いが私の中に沸いてしまった。
聖女という称号、それがその一端を担ってしまっているのだから。
「木材の売買をされるなら、早めの植林をおすすめしますわ」
ともあれ、契約は成されてしまったのだから少しでも良い方向に向かっていかなければならない。
一時の金銭の為に山林を丸坊主にしてはいけないのだ。いつかは枯渇する資源、そう考えていかないと。
「植…林ですか? ほっといても生えてきそうな気がするのですが。現に今も好き放題に茂っていますし」
この土地で暮らしているのでピンと来ないようだ。
そういえばこの人は領民が勝手に木を切り倒すのも許可しているくらい木々に頓着していなかったのを思い出した。
「いくら木が余ってるとはいえ全部切ってしまっては将来どうなさるおつもりですか? 今後開発したい場所から伐採をして、それ以外は区画を仕切って計画的に伐採と植林をしていかないと思うより早く使える木は無くなってしまうというものです。売る他に薪や加工したりと領民の生活にもかかわるものですよね? 無計画のまま進めては男爵が生きているうちは問題なくてもケイテやリンディの子供の代には一本も木の生えない土地になっているかもしれませんよ」
ちょっと脅しすぎかもしれないが浮足立った男爵にはこれくらいがいいのかもしれない。
「管財人なり差配人なり準備して今後の税も分けておかなければいけませんし」
私のお小言が効いたのかすっかり男爵は小さくなってしまった。
「シャルロッテ様はお小さいのにしっかりしているのね」
ヨゼフィーネ夫人もナイフを止めたままぽかんとしている。
つい興奮してしまった。
コホンと咳ばらいをして場を直す。
「ともかく今後は男爵領も商会の手が入り変わっていくのですわ。それに備えないと」
食事の時間にお金の話など相応しくなかった。
「そういえば村の皆さまの木工加工は素晴らしいのですが、何故木造の家の方は古いままなのでしょうか?」
この土地の違和感。
それは粗末な建物に充実した木工品である。
「ああ、先ほども申し上げましたように香檜木は柔らかすぎて建材には不向きで。堅く耐久性の高い木材はこの領地では少ないので自然、家だけ古くなっていくということです」
なるほど、木材といってもあれもこれも使える訳ではないのか。
「ご覧の通り風の強い土地ですので石造りが理想的なのですがレンガに適した土や粘土が無いのでレンガを焼く窯もない始末です」
ポリポリと頭を掻いている。
「この領主館も当初建てた時は、建材を運び出す馬車も少なく木の枠に採集した石を漆喰で固めたりと苦労したようです。昔は今よりもレンガは珍しかったですからね」
ここではレンガは贅沢品なのだ。
元来レンガとは木や緑に恵まれない土地で木造に変わる材料を求めて出来たものでは無かったろうか。
ところ変わればというが、それを実感する。
新しく建った聖女館は短時間で建てるため煉瓦造りであるが、教会以外に石造りの建物を周辺で見た事がない。
領民の目にはさぞかし物珍しく映ったことだろう。
簡単に手早く建てたかっただけなのに皮肉なものである。




