105話 給仕です
冷たい空気で目が覚める。
一瞬、自分がどこにいるのか分からない。
茶会に出てから1度もカントリーハウスに戻らないまま、辺境と言われる隣の領地にいるなど、あの時の私には思いもつかないことだったろう。
図らずも旅したいという願いは叶ったのだが。
ここは観光地ではないけれど空気は澄んで気持ちがいいし、点在する巨岩が並ぶ不思議な風景は観光に値する奇景と言える。
後は何か美味しい食事や珍しい郷土料理があれば、聖女に関係なく人を呼べるのではないか?
この時代ガイドブックはないし、土地の紹介などは著名人の随筆か紀行文、王国見聞隊発行の風俗記くらいなので簡略化した地図に風景画や、食べ物の版画挿絵をふんだんに使った案内本を出したら結構当たるのではないだろうか。
識字率から言っても挿絵多めの本は売れそうな気がする。
北の大地で霊峰と奇岩を眺むとかキャッチコピーをつけたりは?
そうやっていろんな土地を歩いて、紹介するのも楽しそうである。
やはり、郷土料理は蕎麦粉を使ったものが望ましい。
ガレットも美味しいけれど王都で食べられない訳では無いし、何かいいものはないだろうか。
聖女館の食事はホールで、それぞれが好きな時間にとる形だ。
勿論、料理人は移動中にお世話になったプロである。
同時に、村人をロンメルの勧めで何人も短期間の下働きに雇い入れて現地雇用もしている。
職に限りがある土地での新しい雇用は収入面でも、珍しさからも歓迎されているようだ。
一時的とはいえ村人が臨時収入を得ることは稀なのだから。
村民全員を雇用するのは無理だが、商品の買い取りをした村人以外から募集したりと、格差が出ない様、気を付けているらしい。
本来なら王都からの使用人が全てを務めて、村の店が幾ばくかの収入を得るだけのところを、私を使って現在進行形で村おこしをロンメルはしているのだ。
商人というのは目聡く狡猾であるというが、こんな狡猾ならば歓迎というものだろう。
朝食は蕎麦粉で作った香ばしいパンと野菜のスープと貴族のものにしてはみすぼらしいと言われるかもしれないが、私はもとよりコリンナも浪費家では無いし孤児院に出入りする夫人は言わずもがな、その息子の学者も気にもとめない様だ。
伯爵家の娘のラーラに至っては炙った蕎麦粉でもまったく問題なさそうだし、それどころかお湯で溶いて飲めればいいくらいの事は言いそうだ。
ここにいるのは珍しくも実に庶民よりな貴族ばかりで、浪費や誰それに目通りしたなど貴族らしいどうでもいい会話が無いことは私にとっては居心地がよかった。
みすぼらしいと表現したがあくまで貴族にとってであって、普通で考えれば薫り高い焼き立てのパンと栄養が十分に取れると思われるスープはどこから見てもご馳走である。
テーブルについて爽やかな窓の外の陽射しを眺めながら配膳を待っていると、給仕の女性が食事を運んできた。
その人には見覚えがある。
化粧こそ薄くしているものの、あの夢でみた酒場の女性ではないだろうか。
「あら? あなたは酒場の?」
女性は一瞬目をキョトンとさせたが、すぐに気を取り直したように笑った。
「誰かに私の事を聞いたのかと思ったけど、聖女様は何でもお見通しだったね! 昨日の酔っ払い聖教師の顔ときたら思い返しても笑えてくるよ! あいつに酒を控えてもらってはうちの商売あがったりだけど、その代わり騎士様達が寝床に使ってくれているし、私もここの給仕の仕事をもらえたしで当分は左団扇さね」
カラカラと笑う陽気な彼女につられて私も笑ってしまう。
「宿屋の騎士様の世話もあるから私はこの仕事は遠慮したんですよ? でも村のみんなは接客なんてしたことがないから気後れしちまうしで、他のみんなが慣れるように私もここを手伝うように男爵から言われちゃ断れなくってねえ。あくまで私は酒場の女だから聖女様もお酒が飲める歳になったらうちの店にも来ておくれね」
さすが酒場の女主人である。
生来の話好きもあるのだろうけれど、ニコラと名乗った彼女は矢継ぎ早に話を続けていく。
「このクソみたいな肥溜めだった村も聖女様が来るとなってから急に息を吹き返したように活気が出てありがたいばかりさ。小さい身でこんな遠くにまで来てくれて本当にありがとうね」
クソやら肥溜めの単語に反応してソフィアが咳払いをした。
「私がここにいるのは男爵の計らいですわ。男爵を労ってあげて下さいね」
「あらあら、さすが聖女様は謙虚でいらっしゃる」
ニコラはソフィアを気にも留める様子もなく笑いながら自分の仕事に戻っていった。
なんだろう聖女の立場は面倒で嫌だったけれど、ニコラから飾り気のない言葉で感謝をされて悪い気はしなかった。
実際動いてこの村を改善に導いているのはロンメルだ。
その発端も男爵である。
でも、つまらない平凡だった私がここに来るのを決断したことがきっかけになったのは事実であり、それが誰かの為になったのならばこれほど喜ばしいことはない。
聖女の地位やクロちゃんは黒山羊様から与えられたものかもしれないけれど、この小さな決断がもたらした感謝はなんだか私だけのもののように思えてじんわりと心に広がった。




