103話 掛け持ちです
「ここは広い地表に小さな人間がへばりついて生きているようなものです。ですがこの吹き渡る風の中を歩いていると生きている実感が湧いてきて明日も頑張ろうと思うのですよ」
村外れを歩きながら男爵は語る。
最初こそ小さな村を恥ずかしそうに案内をしていたが、広大な荒地に並ぶ奇岩を前に胸を張って誇らしげにしている彼はどこから見ても立派な領主であった。
「まるで黄衣の王の信仰を体現していらっしゃるようですわ」
褒め言葉のつもりでそう言うと、男爵はサッと顔を青ざめた。
「聖女様何をおっしゃいます! 私共は敬虔な黒山羊様の信徒。そのような……」
言葉を続けようとしたようだが、そこで言葉は途切れてしまった。
本人もわかっているのだ。
それが言い訳である事と、神の使徒と言われる聖女の前で嘘をつく事の罪深さを。
何故、この地を愛しながら、あれ程怖がり呪いを畏れたのか。
彼は黒山羊様と共に黄衣の王を信仰している事が後ろめたかったのだ。
彼のみではない、私共と漏らした通り領民もそうなのだ。
その為、起きた不審死を黒山羊様の罰とでも受け取ったに違いない。
だからこそ、国王ではなくその聖女に縋るしか無かったのだ。
私は同行していたコリンナやラーラ達に少し離れるよう人払いをしてから男爵に向き直った。
「私は父も母も兄も愛しておりますわ。勿論周りの人々も」
そう言いながらノルデン大公を思い出して、胸がチクリと傷んだ。
あれは憧れ。
短く一瞬の花火のような、自分の中のおばさんの部分の為の徒花。
前の生の自分に固執するあまりに王子を傷付けてしまった苦い思い。
「黒山羊様も自分だけを信じろとは仰っていませんし、夫である黄衣の王を同時に信仰する事に何の咎があるでしょう? 第一そんな事で怒るような嫉妬深い神ではありませんわ」
「本当にそうでしょうか? これは黒山羊様の呪いではないのですか」
断言は出来ないが、そんな瑣末な事をあの神様が気にするとは思えない。
「してもいない呪いの主にされては、それこそ怒ると言うものではないでしょうか?」
「しかし」
男爵は思い詰めたように口にした。
「死ぬのはいつも熱心な黄衣の王の信仰者なのです」
その告白は想像もしていなかったことだ。
被害者には共通点が無いという話であったはずだ。
それが根底から崩れるとは思ってもみなかった。
言い辛そうにしながらも、一度口にしてしまったせいかもう隠すことはしなさそうだ。
「熱心なと言いますと?」
「内密にして欲しいのですが、地母神教の教会に通いながらも、死んだ皆は黄衣の王の信仰を表す黄色い布を身につけていたのです」
宗教の掛け持ち?
私は例にもれず初詣に行って、仏壇で手を合わせてクリスマスを楽しむ一般的な日本人だったので宗教事情についてはまったく不案内である。
一神教は他の神様を認めなさそうなのはわかるけれど、この世界にはそれを否定するような制約とかは無かったように思う。
ただ正統と呼ばれるのは黒山羊様の地母神教だというのは確かであるし、大半の国教もそれが占めているはずだ。
千の仔を孕むと言われるだけに、この世界にあまねく知られる大半の神は彼女の夫であったり子供であったりと縁者なのである。
目に見えて邪教と扱われているのは頭部の無い悪徳と背信の神や彼女と袂を分かった孫にあたる生贄を好む蝦蟇蛙に似た微睡む怠惰の神などで、一般的に黄衣の王は伴侶と言われるだけに排除される対象ではないのだ。
「問題があるようには思えませんが、何故そのようなことを……」
「黄色の布が共通点だと気付いたのは偶然だったのです。たまたま目に付いたのを覚えていて、その後は不審死が出る度に答え合わせをするようなものでした。この風の強い土地に暮らしていると、皆、風の神の存在を身近に感じ信じるようになるもので信仰を辞めるように言う訳にもいきません。ただ聖女様の関係で人が出入りするようになったのもあって、あからさまに表明するようなことは控えるようにとは言い聞かせて回りましたが……」
だとしたら竜巻説は全くもってありえないということになる。
犯人は黄色い布を目印にしていた?
信仰というのは人に強要されるものではないので、領主がいくら伝えても信心深い者は行動を変えることはないだろう。
黄色の布をつけるなと言われれば、領民は弾圧されていると反発する。
この貧しい大地で人心が離れるような真似は出来はしない。
「でも、被害者は黄色の布をつけていたと公表すれば、みな自衛の為に控えるのではないですか?」
「それも考えましたが、黄衣の王の信者が狙われていると知れば遺族の感情はどこに向かうと思いますか?」
「ああ、狂信的な地母神教徒が犯人であると……」
結果的に地母神教徒と対立し、証拠もないのに疑心暗鬼に攻撃してしまうこともある。
この領地で領民同士の対立が出来てしまったらそれこそ終わりではないか。
確かにそれは避けたい事だ。
「確証も無いのにその様な混乱を呼ぶような発言をすることは出来ませんでした。それにあんな死体は人の手で出来るものではありません。地母神教に敵意が向くようなことになれば、黒山羊様の呪いであったとしたらそれがより一層強いものになるのではないかと怖かったのです」
この気弱な男爵はひとりで悩んでいたのだろう。
一連の事件を神の呪いであると信じ込んでしまった故に、その信仰心を試されていたのだと感じたのだ。
だが神様が黄衣の王と共に信仰されていることを許さない?
それで民衆を呪うというのはおかしな話ではないだろうか。
王都でみた限りはみな黄衣の王の存在を信仰するまでなくとも信じているのは見て取れた。
ちょっと熱心にそちらに傾倒したとして、何が変わることもないと思うのだけれど。
ここで今まで聞きそびれたことを思い出した。
「そういえば男爵は白綿虫の事を気にされていませんでしたか?」
一瞬躊躇がみられたがここまで内心を吐露したせいか男爵はぽつりぽつりと話し出した。




