10話 侍従です
戻ってきたメイドに水を差された形で兄妹の話は中断されたが、部屋に戻っても興奮は覚めやらない。
化け物探しなんて子供にとっては一大イベントである!
幽霊の正体みたり枯れ尾花という言葉があるけれど、正体が何であっても、それに挑むというのが大事なのではないだろうか?
ドレスやワンピースでは動きにくいから、乗馬服とブーツを出しておいてもらわないと。
他に必要なものはないか考えないといけない。
遠足どころではない楽しみである。
問題は子供2人で敷地内とはいえ、出してもらえるかということだ。
胸を躍らせながら、兄の話に出てきた魔獣を図書室から持ってきた本の中に探しながら静かに夜は更けていった。
自立を促されている兄と違って、私には1人の時間というものがあまり存在していなかった。
自分の部屋でさえも下がらせない限りはメイドが付き従っていたし、下がってもらったとしても声を出すかベルを鳴らせば誰かが直ぐにかけつける距離に待機しているのだから。
この生活で一番衝撃を受けたのもそれだ。
侯爵の娘をひとりきりにするのは使用人の怠慢であるというかのように、どこに移動しても人の目がついて回る。
なまじっか核家族やら個人主義やら主張されていた世界を知っているだけに、こればかりは息が詰まるし歓迎できなかった。
あれから兄と2人で計画を練ろうにも、必ず誰かがそばにいるので難しくその機会に恵まれなかった。
このままでは兄はひとりで行ってしまうのではないかと不安になった頃、ようやくチャンスが巡ってきたのだ。
乳母のマーサが里帰り、ハンス爺は息子である現在の家令と屋敷の点検に回ることになり、屋敷内の目が一時的に緩んだのである。
そこに、その日の私担当のメイドへの兄のひと押しだ。
「シャルロッテは私と暫く庭の散策をするから、たまにはゆっくりしておいで。お目付け役には私の侍従がいるから大丈夫」
屋敷の坊っちゃまににっこり優しく言われてしまったら、これは聞くしかないわよね。
思わぬ自由時間を得て私の衣装替えを済ませると、嬉しそうにメイドは退出した。
兄、賢い。
「これが目撃されるのは日が落ちてからだから、昼間は動けないのだと思う。今なら寝ている時間で危険もないと思うんだ」
手に持った紙を指し示しながら兄が説明する。真ん中には口のついた黒いもじゃもじゃな毛糸の塊に4本の足がついている落書きが鎮座し、それを囲むように目撃証言や推測がキレイな字で記入されている。
どうやら兄のお手製資料のようだった。
残念ながら、絵心は皆無のようである。
絵と文字のギャップで笑い出しそうになったが、彼の名誉のため我慢した。
こういう子供の書き散らしはとても愛らしく思えて、事が終わったらこの資料をもらえないか交渉してみよう。
そうやっておばさんは思い出をため込むのである。
それはそうと、兄は侍従を横に置いたまま平然と話している。
茶色の髪の細い目の侍従だ。
この国での成人年齢は18才なのだが、見た目はそれより少し若い。
つまりは若造であるが、子供では無い微妙な年頃だ。
私達だけの冒険は、どこにいったの?
不安気な眼差しを侍従に向けると、兄が彼を紹介してくれた。
「私の側近候補のデニスだよ。彼に噂の調査もしてもらったんだ。なかなか優秀だし、今回のことで私の評判があがれば、そばにいる彼の将来の安泰にも繋がるからね。父には内緒にして私達の警護についてくれるそうだ」
兄が満足気にデニスを見やる。
子供なのに家来の将来も気にかけるとは流石である。
彼も促されて自己紹介をした。
「初めてお目にかかります。評判高き侯爵家の桜姫とこうして会話をする栄誉に預かり光栄の至りです。私はデニス・バルテン。バルテン伯爵家の三男にあたります。今年15で王都の学院にルドルフ様の侍従として同行が決まっております。以後、お見知り置きを」
デニスは腹部に左手を、背中に右手を回し礼をとる。
私もちょこんと略式の礼を返した。
「丁寧なご挨拶痛み入りますわ。桜姫とは何か存じませんが、シャルロッテです。兄様への忠義、期待しております」
デニスが、ほぅと感嘆の声をあげる。
「お小さいのにやはりご立派な振る舞いですね。桜姫というのは王国でのあなたを指す言葉ですよ。『桜色を纏う金の髪、白き顔は憂いを帯び、風に吹かれて 消えていかないで儚い姫』と幼いあなたを教会で見た、かの宮廷詩人ナハティガルが歌ったのが最初だったと言う話です。他にも勉学に秀で、大人びた方と評判で面会希望やパーティへの誘いが殺到してると聞き及んでおります」
その話に顔がぼっと火を吹いたように赤くなった。
何その恥ずかしいエピソードは!
聞いた事がないのだけど、どこのご令嬢と間違えているのか。
「父様がね……。君への面会を、片っ端から断っているのだよ……」
兄様が頭痛を抑えるような面持ちで教えてくれた。
「もう、とうに茶会やなにやと外へ出ていい歳なのだがね。母様も困ってらっしゃる」
「侯爵様の守りが厚く、中々会えないのもあって幻の桜姫とも呼ばれているのですよ」
デニスがそう続けた。
私が呑気に暮らしている間に、そんな事になってたとは。
普段は敷地内の礼拝堂に通いの聖教師が来ての儀式だし、街の教会へ出向いての礼拝の時は侯爵家貸切状態だ。
そんな人にあった覚えは……。
いや、そういえば何故かいつも貸切のはずの教会のすみで、私をじっと見守る派手な衣装の男の人を見た気がする。
幼い子供へのサービスの道化かと思っていたけど、確か一度「私はあなたの小夜啼き鳥なのです」とかなんとか変な事を言われた気がする。
多分、侯爵家の威光に惹かれて娘を褒めれば甘い父親の覚えが良くなるとか考えての行動なのだろうが、大変迷惑な話である。
評判が独り歩きして幻滅されるのを危惧して、父様も私を中々外に出せないのかもしれない。
考えてみれば尤もな話で、地位や権力があればある程、その家の娘の実際の容姿など問題ではないのだ。
そういうものに目がくらんでしまえば、普通の女性でも絶世の美女扱いされておかしくない。
「残念ながら私は幻でもお花でもありませんわ」
さすがにごめんなさいまでは言わなかったが、申し訳ない気分になった。
「そうですね。言葉を尽くしても足りないと思いますよ。さて、我が主とお嬢様。それでは探索と行きましょう」




