第一章 第三節
アパートから小学校までは約十分程で到着した。道中見つけたものは相も変わらず転がる死体のみ。
唯一変わったものと言えば学校を囲むように配置されたパトカーだろうか。
おそらく学校に避難した人達を守ろうとしたのだろうけど、残念なことにあまり意味はなかったようだ。その証拠にパトカーの中や側には変形した元警察官達のパーツがいくつも散乱していた。
この分では警察の手助けは望めそうにないと、僅かにあった希望を捨てる。
数年ぶりに目にした母校は私の卒業後改築されたというのに、空の色と相まって薄暗く淀んで見えた。窓ガラスが何枚か割れていることから中でも乱闘騒ぎがあったのだろうと推測する。
ここまで、ゾンビらしきものは目にしてこなかった。それが運がいいのか悪いのかは分からない。
しかしこの先、小学校の中には確実にゾンビが存在すると私の中の第六感的なものが告げる。
対する私の武器といえば傘と包丁、後はスプレー缶ぐらい。もしも数十体のゾンビに囲まれたら確実にジ・エンド、おさらばである。
もっと殺傷能力のある武器でもあればと頭を悩ませていると、パトカーの運転席で倒れる頭部のない死体が目に着いた。正しくは、その手が持つものに、だが。
「拳銃」
そろそろと近づきドアを開けると倒れ込んでくる死体。それを地面に寝転ばせ、固まった指をそっと外して手に取った。
ずっしりと手にかかる感触はあまり気持ちのいいものではない。
残念ながらミリオタでも何でもない一般的な日本人である私は銃について詳しくない。撃つ時はセーフティを解除するとかそれぐらいの、映画なんかを見てれば知ってるような知識しかない。
弦はやたらと詳しくて、一緒に映画を見てるとあれはどこの会社の何たらっていう銃で~と話してくれるが、残念ながらそんな話は右から左に通り過ぎていっていた。
だから銃を触ったのがこれが初めてかというと、実はそうでもない。
何年か前に卒業旅行で行った韓国で私は射撃体験をしているのだ。まぁ、したのはその時の一回限りで、記憶としては“緊張した”ということしか覚えていないのだけれど。
(セーフティは……あれ?セーフティどれ?これ?ん?あれ?…………あれ~?)
くるくると拳銃を回してあちこち見てみるがそれらしきものが一向に見当たらず、出鼻を挫かれた私は誰もいないのに何だか恥ずかしくなり、ポケットからスマホを取りだして銃の撃ち方を検索した。
どうやら日本の警察官が使っているようなリボルバー式の拳銃はセーフティがないらしいということが検索の結果分かったが、何だか抜き身で持つのも怖かった私は小物を突っ込んでいた巾着袋を空にしてその中に拳銃を仕舞った。
(まぁ、これは本当に本当、最後の手段だし)
とりあえずは別の警察官の側に転がっていた警棒と傘でどうにかしよう、そうしよう。
拳銃の入った巾着袋はリュックの中へ、右手には伸ばした警棒を持つ。軽くぶんぶんと振り回して体を慣らしていると、視界の端を何かが通り過ぎた。ような気がした。
さっそくおでましかと慌てて警棒をかまえてみるも、しかしそこには何もいなくて。
確かに何かが通ったと思ったのにと首を傾げる。
(葉っぱでも飛んでたのかな?)
葉っぱをゾンビと間違えるなんて、やはりそうとう緊張しているらしい。
すーはーすーはーと何度か深呼吸をしてから、私は小学校の門を潜った。
ガラスの割れたドアを潜り、まずは一階から捜索を始めていく。
が、すぐにそれは行き詰った。
「っ!?」
ここにきてようやく、私はゾンビと遭遇する。
しかし驚きはあったものの心構えはしていた為冷静に距離を取り、そのゾンビを観察した。
(動きは遅い。意思がある様子もない。本当に動いているだけなんだなぁ)
試しに落ちていたガラス片を遠くに投げると、ゾンビは向きを変えてそちらに向かっていった。
これだけ動きが遅いなら走って逃げることに支障はない。問題は集団で囲まれ、逃げ場がなくなった時だ。
(逃走経路を常に意識しながらの行動になるなぁ。はぁ、疲れるけどやるしかない)
ゾンビから2、3メートルほど距離を取り、まずは“職員室はこちら”と書かれたプレートの方へ踵を返す。
しかしそこで再び予想外のことが起きた。
振り返った先。
誰もいないと思っていたそこには、一人の男が立っていた。
「なっぐっ!」
「静かにしろっ!奴らが寄ってくるだろうが!」
思わず声を上げそうになった口を塞がれ、男は小声でそう言った。その格好のまま男に引きずられるようにして入ったのは校長室。そこでようやく塞いでいた手を離した男はドアに鍵をかけ、ソファーに座った。
「とりあえずここなら安全だ」
「……あの、あなたは」
「オレは井沼、フリーのジャーナリストだ。あんたは?」
「……枦木です。看護師をしてました」
「ふーん。ま、お互いこんな状況で災難だったな」
「そう、ですね」
井沼という男はへらへらと笑いながらタバコに火を点ける。その煙から逃れるように一歩、後ろに下がった。
「で、看護師さん。あんたどうして小学校になんかきたんだ?助けが欲しかったならここにきたのは最悪の選択だぜ」
ふぅ、と吐きだされた煙に顔が顰めるのは許してほしい。
どことなく胡散臭さを感じるこの男にどこまで話してもいいものかと迷ったが、特に隠し立てするようなことでもないだろうと判断して要点を掻い摘んで伝えた。
「それで見ず知らずの女の息子を探しに?はぁ~、律儀だね、おたく」
「いや、そんな。これは私の自己満足、みたいなもので」
「あははっ、確かに」
「……はは。ところで井沼さんはどうしてここに?ジャーナリストが小学校に用事があるんですか?」
必殺笑って流すを発動して話題を変える。すると男は聞いてもいないことをつらつらと喋りだした。
「実はこうなる前から怪しい情報を手に入れててさ。で、その情報源の女にこの近くで会う予定だったんだけど一向に現れなくて、そうこうしているうちに突然パンデミックが起きて慌てて避難したのがこの学校だったってわけだ。最初は警察官もたくさんいてな~。それなりに安全だったんだけど暫く経ったら突然避難してた子どもの腹がバンッ!て風船みたいに割れて。それからは大変だったぜ。一般人も警察官も次々体が変な風に変形して死んで、かと思ったらゾンビになってまだ無事な人間を襲い始めて。あれこそ正に地獄そのものだったな。ま、そんな中でもオレは颯爽と危機を回避してこうして生き残ってるわけだけど」
「はぁ、そうですか」
まるで映画のあらすじでも語るような口調。
(お前はそれを見て何も思わなかったのか)
なんて。
口に出せるほどの勇気はなくて。
「私、そろそろ行きますね」
「は?どこに?この学校の中に生きてる人間なんていないぞ?」
「そうですか。でも私はそれを確認してないので。それじゃ」
つとめて明るく言い放ち、鍵を開ける。
こんな男となどもう一分一秒も一緒にいたくなかった。のだけど、
「いやいやいや、一人でこの中を探すつもりか?言っておくけどな、この校舎の中はゾンビだらけでまともに捜索なんて出来やしないぜ。な?だから大人しくオレとここに」
「お断りです」
掴まれた腕を振りほどく。
男が口を開けば開くほどなぜか癇に障った。
「ここにいたいのならお一人でどうぞ。私は私でやることがあるんです。邪魔をするのなら、」
…………ん?今、私何を言おうとした?
「……とにかく、私は行くので。情報提供ありがとうございました」
湧きあがった衝動を抑えるように話を無理やり終わらせ、ドアを開ける。
するとそこには数体のゾンビが集まり始めていた。
(そりゃこれだけ喋ってれば寄ってもくるか)
変わらず緩慢な動きのゾンビがドアを塞ぐ前に廊下に出、足早に数メートル距離を取る。あの男も同じように出てくるだろうと振り返ると、男はゾンビを見てソファーに腰を抜かして座り込んでいた。
(………………は?)
一瞬何をしているのか理解できなかったのはしょうがない。饒舌にあんな語りをしておいてそれはないだろうと、深い深いため息とともに吐き出す。
(どうしてこうも面倒事が……)
天を仰いでも空は見えず、ゾンビの上げる呻き声の合間に男の「ひぃ」という情けない悲鳴が割り込む。
音や声を出せば出すほど危険になるというのに、さっきまでのあの姿はいったい何だったんだと殴り飛ばしたくなる。
(見捨てたい。見なかったことにしたい。記憶から消し去りたい~っ)
そうは言っても都合よく記憶がなくなることはなく、顔を覆った指の隙間からチラと視線を向ければ縋りつくような目がこちらを向いていた。
――だから、仕方なく、覚悟を決めた。
警棒が勢い余って手から飛び出さないようにしっかり手首のストラップを締め、今まさに部屋に侵入しようとしたゾンビの膝めがけて勢いよく振り下ろす。
ミシ
とか、
ゴキッ
とか、そんな何とも形容しがたい音。膝の骨を叩き折るつもりで振り下ろした警棒は、しかしそれだけでは止まらずその周囲の肌や肉までも破壊して、めり込んだ。
確かに勢いよく振り下ろしたけどそんなに!?と驚きながらもバランスを崩して倒れ込んできたゾンビを慌てて避ける。
びたんと廊下に倒れたゾンビは、それでも尚動き続け腕を振るう。そんなゾンビから無理やり目を逸らし、呆ける男の腕を掴んで引きずるようにして部屋を脱出した。
ばたばたと足音を立てるわけにもいかないので息が切れない程度の早歩きで次に飛び込んだのは音楽室。昨今の音楽室は防音対策をしているのが普通な為、ここでなら多少声を出しても問題ないと思ったからだ。
音楽室に入ると同時に男を投げとばし、ドア前に机を置き簡易的なバリケードを敷く。
それが終わってから私はようやく息を吐き、男の前に仁王立ちした。
「お前、舐めてるのか?」
「ひっ」
「あれだけ上機嫌に武勇伝語っておいて何だあれはっ。たかが足の遅いゾンビが数体現れただけでびびってっ!腰抜かしてっ!挙句助けてくれ~ってこっち見やがって!な!め!て!ん!の!か!て!め!え!は!!」
「す、すすすすすいません!」
「謝るなら最初っから虚勢張ってんじゃねぇっ!あ~っ!もう!くっそムカつくぅ~っ!!お前を助けるために私はっ、私はっ!!」
ぐぐぐっと歯を噛み締め拳を握る。たとえ今はゾンビでも、元は人だった。仕方ないとはいえどうしても割り切れない。割り切ってはいけないのだと、私の中の何かが訴える。
それが所謂良心というものなら、私ははたしてどちらに従えばよかったのだろう。
男を助けろという声と、元とはいえ人を傷つけてはいけないと。いったい、私は、どうしたら――
沸騰していた怒りは数分もすると徐々に収まっていった。
男は教室の壁にもたれて震えながら泣いていた。
泣きたいのはこっちの方だと、ふざけんじゃねぇと、再び湧いてくるほどの怒りはもうなくて。
(なんか、バカみたいだ)
視界がじんわりと歪んでぽろりとこぼれかけた時、上着のポケットの震えと同時にそれも引っ込んだ。
(弦……あ、もう、そんな時間か)
通話ボタンを押すとつい一時間前に聞いたばかりの弟の声。なのに随分久しぶりな気がして。
『ごめん、連絡ないから大丈夫かなって。今平気?』
「……うん、大丈夫。こっちは問題ないよ。そっちは?」
『オレも大丈夫。あぁ、そうだ。百合が保護されたってさっき連絡きたから』
「っ、そっか。よかった!」
『ん。ねぇ、姉ちゃん、ない』
「こっちもさ。一人生存者見つけたよ。他にもまだ生きてる人、いるかも」
『……分かった。無茶するなよ』
「弦もね」
『じゃ、また』
「はいはい、じゃあね」
きっと何かを察しただろうにそれ以上追及してこなかった弦をありがたく思う。
今はまだ、その時ではない。無事に生きてまた皆に会えたら、そしたら、それから。
「私は行く。あんたは足手まといだからここにいて」
敬語も外面も取っ払って男に告げる。
男は私の言葉を聞いてガバッと顔を上げ「置いていくな。助けてくれ。一人は嫌だ」と喚き始めた。
そんな懇願すらも今は耳障りな音としか認識できず、背を向けてバリケードの机をどかす。
「生きたいのなら自分でどうにかして。私はもうこれ以上誰かの面倒は見れないし、見る気もない。ゾンビの餌になりたくないならさっき語った武勇伝のように颯爽と逃げたら?」
「あっ、あれはっ、実はっ」
「それじゃあさようなら、井沼さん」
にっこりと、しかし煽るような笑みを残して音楽室を出る。
「違うっ、違うんだっ!オレはっ、あれはっ!たの、頼む!オレを、オレを、二人にしないでくれぇっ!!」
男は最後まで喚いていた。
騒げばゾンビが寄ってくるだけだというのに、いったいいつになったら学習するのだろうか。
(――あぁ、まったく)
なんて耳障りな虫だろう。
拳銃などについてご指摘ありましたら遠慮なくどうぞ……当方にわかなので、一応個人的に調べてはいるのですがどうしても間違いはでてくると思います。フィクションでファンタジーなのでその辺さらっと読んでいただけると(-_-;)




