第六章 1 そして彼女たちは戦場へ
午後四時五十分。
ドーム状の黒い膜に覆われた今は見えない西山への登山道に優子は立っていた。
先の戦いで予め本部と繋がっている簡易テレポーターが西山周辺に設置されていたため、その一つ、あの博物館の駐車場に置かれた物から出発した優子たちは他の班よりも早く所定位置に付き、作戦開始の合図を待っている状態だ。
右隣には元の服装に上着を黒いコートに着替えた茶々が、その右上にはティアーネ、そしてそこから少し離れた場所にリョウが中が見えないドームを睨みつけるように前を見据えていた。
ちなみに、この黒いコートは一見普通のコートだが、実際はエデンの技術を用いており、耐刃、耐衝撃など様々な攻撃に耐性を持ち、温度調整で来ている間は常に快適、さらに輝石の力を受ける事で更に防御性能が上がるという恐るべき装備である。
ただ、優子的にはまるで悪の秘密結社の幹部が来ていそうなデザインが今一つだったが、ティアーネ曰く。
「それはそうじゃ。まんま『悪の秘密結社が使ってそうなコート』をコンセプトにデザインされたものじゃからな」
(結局、来ちゃった……)
茶々とティアーネから渡された茶々と同じ黒いコートのポケットにある万能ツール、ヤオヨロズを握りしめて優子は緊張を和らげるために何度も深呼吸するが、残念ながらその効果はいま一つだった。
(自分で選んだはずだけど……。やっぱり乗せられたのかなぁ?)
あの人の好さそうな風貌のギルドマスターに誘導に乗ってしまった気もするが今更引き返すわけにもいかない。
ただ、優子の緊張に拍車をかけているのが、この班でただ一人の男、自己紹介をスルーしてくれた不機嫌さを隠そうともしないリョウの存在である。
(先輩は『人見知りだから』って言っていたけど、絶対に違う気がする。せめて別の班にしてもらった方が良かったかな。でも、そうすると先輩とも離れちゃうし……)
この状況でも茶々はマイペースで、ドームを近くによって観察しようとしてティアーネに怒られている。
茶々も実はまだ実戦経験の少ない新米だと聞いたが、それでも自分が好感を持っている人の姉という点、そして実際に言葉を交した結果、いい人だと優子は判断している。
だが、ろくに話してもらえないリョウに関してはどう対応すべきなのか分からず、特に何も言われていないにも関わらず優子は直立不動を貫いていた。
「優子ちゃん、きんちょーしてる?でも大丈夫!この茶々先輩がばっちり守るし、何と言ってもここには勇者ギルド最強の師匠もいるんだから!ね、師匠?」
「知るか。おい、お前」
「ひゃ、ひゃい!?」
距離が近い分、食堂で味わったプレッシャーを数倍増しにした迫力に優子の声が上擦ってしまうが、リョウは構わず続ける。
「一つだけ言っておく。俺の邪魔をするんじゃねぇぞ」
「……」
あまりの恐怖に優子はカクカクと首を縦に振るしかなかった。
だが、そんな二人のやり取りをなぜか微笑まし気に見ていた茶々が。
「えっとね、師匠の戦い方は荒っぽいから、巻き込まれないように離れているようにって言いたいんだよ。師匠は本当に口下手なんだから~」
自分は分かってますと言いたげにドヤ顔で『師匠の本意』とやらを補足してくれる茶々だが。
「勝手に言ってろ」
ますます不機嫌そうなリョウの様子を見るに当たっているかは微妙だと優子は感じた。
それに師弟と言いつつも明らかに茶々を邪険にしているリョウを見ると果たして信じても良いものかと思うのも当然の事と言えた。
(いきなり置いて行かれたりしないよね?)
敵を追って、どこかへ走り去ってしまうリョウの姿を容易に想像できてしまう。
そうなると、まだ新米の茶々と二人っきりとなる訳で……。
考えれば考えるほど頭が痛くなってきた。
(帰れば良かったかな……)
多分今からでも「帰りたい」と言えば帰れるだろう。
だが、ここに来て生来の気の弱さが頭をもたげ「茶々たちに迷惑をかけたくない」という気持ちになってしまう。
それに何より自分自身が決めたことを土壇場で覆すことが許せないのだ。
(他の誰かに頼まれた事ならいい訳がたつのに……)
あるいは自分の性格を見抜いての策だったのではと優子の思考は迷走を始めていた。
その一方で。
茶々は屈伸運動をしながら来るべきを待っていた。
(よっし、今回のミッションをばっちり成功させて師匠に認めてもらうぞ~!)
ちらりと見たリョウは相変わらずドームを睨みつけている。恐らく普通の人がこの様子を見れば「恐ろしく不機嫌」以外の感想は出てこないと思われる。
だが、茶々の目には「これからの戦いに向けて闘志を燃やしている」と見えるのである。
(師匠も燃えている!これは茶々も気合を入れねば!)
茶々のリョウに対する尊敬の念は彼女が勇者となった理由と深く結びついている。
三月の初め頃。友達の家へ遊びに行った茶々は、帰り道で喰らうモノの巣へ偶然迷い込んだ。
後から聞いた話では、たまたま巣へ戻った喰らうモノの付いていく形で入り込んでしまったらしい。
「幻視者でもないのに、よくもまあ、そんな神がかり的なタイミングを引き当てたもんだ」
そう陽太郎が大爆笑しながら言っていたのを茶々は今でも憶えている。
ただ、一つ間違えば大惨事になっていた事件を速やかに解決したのがリョウであった。
二つ隣の町から勇者の包囲網を潜り抜けて逃げたクラウモノを追ってきたリョウが見つけ出した巣の中でキャーキャー言いながら逃げ回る茶々を見つけた。
「あっ、そこの目つきの悪い人!助けて下さ~い!」
「……ちっ、めんどくせぇ事になったな」
「あの、名前は?」
「うるせえ、黙ってついて来い」
「その腕、すごいですね!触ってもいいですか!?」
「近寄るな、鬱陶しい!」
「あのさっき同じとこ行ったり来たりしてません?」
「…………」
「あっ、また変なのが出てきましたよ!」
「見りゃ分かる。おい、俺より前に出んじゃねぇ!」
一人でサクっと片付けるつもりだったのに、なぜか妙なおまけがついてきた来たことにうんざりしつつも巣を潰したリョウは茶々をギルド本部へと連れ帰った。
そして、なぜかリョウではなく茶々が巣の中の事を会話内容も含めて出来るだけ正確に話すと、陽太郎は腹を抱えて笑い転げ、あの寡黙なチーフも肩を震わせ笑いを堪えるのに必死だった。
「てめえら、殴り倒すぞ!」
「いや、いや、誰だって笑うだろ!いや、コイツの無愛想をものともしない子がもう一人いるとはな。いや~、笑った、笑った。ところで、藤城さん、良ければうちに来ないか?」
「おい、説明を省くんじゃねぇよ」
「やります!」
「お前も即答してんじゃねぇよ!」
一応、この後チーフから優子にもした諸々の説明を受けたが茶々の決意は揺るがなかった。
「茶々も、あの人みたいになりたいんです!」
困っている人を颯爽と助けるヒーロー。
それを体現したのがリョウだと茶々は本気でそう思っているのである。
そしてまた自分もそうなりたいと強く思ったのだ。
これこそが自分が進むべき道なのだと。
無垢な少女にそう思わせ行動に走らせるほどにリョウの存在は茶々の魂に焼き付いていた。