第3話 弱みにつけ込まれた者は
「ふっ、そんなに堅くならなくても良い。楽にするといい」
その言葉でアヒトとアリアの上がっていた肩の力が抜ける。
「先程のトラブルだが、今回の行事は年に一度きりのものだ。これ以上大事にしないでくれると学園側も助かるのだがね」
「はい。重々承知しておりますわ。当日はこのような事が起こらないように行動していく所存でございます」
「そうか。それなら問題ないと思っても良いのだな? 君はあのエトワール家の娘だ。期待しているぞ」
「はい……」
学園長はアリアとの会話はそれで終わりなのか、次はアヒトの方に視線を向けてきた。
「君は先程のトラブルを収めてくれた生徒だね? 私からも感謝するよ」
「い、いえ。そんな大したことはしてませんよ」
礼を言われて恥ずかしくなったアヒトは頰をポリポリと掻きながら謙遜する。
「だが、彼はどちらかというと学園祭にではなく、君に対して怒りをぶつけていたように感じられたがね」
「それは……そう、ですね」
「今後このような事が続くようではせっかくの優秀な生徒を『処分』しなければならなくなるからね」
「……ッ!」
「学園長! 処分なんてそれは大袈裟過ぎるのではないのですか?」
アヒトが驚愕で声も出せないでいるところに代わりにアリアが質問する。
「言っただろう? 今後だ。この先常に同じ程度のトラブルで済むと思っているのかね。生徒間のいざこざはこちらからは何もする事ができない。そのために君達のような実行委員がいるのだ」
学園長の強い視線と言葉にアリアはたじろぐ。
重大な責任を課せられたようにも感じて胃がキリキリと痛むのをアリアは感じた。
「理解したのなら気をつけたまえ」
そう言って学園長はアヒト達に背を向けて校舎内へと戻って行った。
それを見送ったアヒトとアリアは同時に「ふぅ〜」と息を吐き出す。
まるで時が止まっていたかのように空気が重く感じられた。
そして、学園長と入れ替わるようにベスティアがグラット先生を連れてこちらに向かって来るのが視界に入った。
実はアヒトがバカムを止めに入る直前に、事が大きくなったときのためにベスティアに先生を呼びに行ってもらっていたのだ。
「大丈夫だったかい? バカム君と喧嘩になったんだって?」
「あひと、大丈夫? 顔が少し青い」
グラット先生とベスティアが心配そうにアヒトの顔を眺めてくる。
「あまり大事にはしないでくれよ? 学園にも規律があるんだ。それに違反すれば私でも庇いきれない」
先ほど学園長が言っていた事と似たような事を口にするグラット先生。
「先生、私たちはもう大丈夫ですわ。心配してくださりありがとうございます」
アリアが髪を払いながら、グラット先生を遠ざけるような口調で言葉にする。
おそらく、これ以上アヒトが思いつめないようにするためのアリアなりのフォローだろう。
「そ、そうか。なら良いんだ。学園祭まで残り日数が少ない。私はしばらくこの辺を見廻るから何かあれば頼りなさい」
「わかりました」
アリアの返事とともにアヒトたちは自分のやるべき作業へ戻って行く。
途中、アリアが持ち場に戻るアヒトに視線を向ける。
なぜ学園長はアヒトに向けてあんな言葉を使ったのだろうか。もっと別の言葉があったはずである。何か嫌な予感を感じながらアリアは自分の仕事に戻っていった。
「クソがッ!」
学園から出たバカムは通りのレンガ造りの壁に拳を叩きつけた。
殴りつけたことで手に激痛が走ったが、そんなことは大したことではない。
「なんでだよ。なんでいつもあいつなんだよ……ッ」
バカムは亜人の少女を連れた少年を思い浮かべて拳をより強く握る。
「あいつさえ、あいつさえいなければ俺は最強になれたんだッ。なのに、どいつもこいつも俺の邪魔ばかりしやがって!」
使い魔を生徒同士で戦わせたあの日。最強種と言われる魔物を召喚したバカムはアヒトに負けた。しかも、よりにもよって最弱種と言われる亜人に。
この日以降、バカムは密かに生徒たちからバカにされていた。
バカム自身、そのことには気づいていた。だが、止めようとはしなかった。勝手に言わせておけばいいと思っていた。陰口を叩いている生徒の多くはバカムとアヒトの試合を見ていないからだ。
アヒトが召喚した亜人があんなに動けるなんて誰が想像できるのか。だから負けてもしょうがないと考え、バカにする生徒を放置して、合宿の時に挽回すればいいと思っていた。だが、それも上手くいかなかった。
一緒に組んだ桁違いの身体能力を持った魔術を使わない魔術士が大概の魔物を殺していったからだ。自分の出る幕なんて一つもなかった。おまけに魔獣が出たとか魔族が出たとかで騒ぎ出したが、バカムのいた場所には魔族どころか魔獣一匹も現れなかった。
これによってますますバカムの評価が落ちていき、バカにする生徒は増えていった。
多くの陰口は耐えてきたが、あまりにも飛躍した陰口だけは校舎裏でボコ殴りにしたこともあった。そのせいもあってかもはや挽回などできないところまで来てしまい、ついには最後の望みであった「鮮花祭」ですらアヒトが選ばれてしまった。
自分自身が悪かったところもあるが、アヒトさえいなければ確実にバカムは「鮮花祭」に出ることができていたと考えているとますます怒りが湧いてくる。
もう一度バカムは壁に拳叩きつける。
「おやおやぁ? いい感じに溜まってきてるではないですかぁ」
「……ッ!?」
突如背後から声が聞こえたことに驚いたバカムは、素早く振り返る。
そこには黒いローブを着た何者かが立っていた。体はやけに細く、男か女かなど全く判断ができなかった。
「な、なんだてめぇ」
「ひひひ……ただの通行人ですよぉ」
黒いローブの何者かはそう言うが、全く信用できない。なぜ話しかけてきたのか、おそらく理由があるはずだと思ったバカムは警戒しながらも口を開く。
「……なんの用だ。用がねぇなら話しかけんじゃねぇぞクソが」
「いやいや、貴方の望みを叶えてあげようと思いましてねぇ」
「なんだと?」
「はぁい。わたくしは貴方に力を授けることができますよぉ」
そう言って黒いローブの何者かは手をかざす。そこに黒のローブよりもさらに暗い漆黒の渦を巻いた球状のものが浮かび上がる。
あまりの禍々しさにバカムは一歩後ずさる。
「これを使えばぁ、貴方に眠る内なる力を解放してくれるでしょう」
「俺の、内なる力だと?」
「その通りですぅ。貴方は素晴らしい逸材です。力を閉じ込めておくなんてもったいない。どうですぅ? これを使ってみませんか?」
聞く限りとても信用できるとは思えない。だが、もしこの黒いローブの言っていることが本当なのであれば、残りの二年間でバカムは汚名返上ということができるかもしれない。
どうするか迷っているバカムに黒いローブの何者かがもう一言付け加える。
「貴方を苦しめてきた人を諸共せず、全てにおいての『最強』になれますよ?」
「最強……」
バカムの脳裏にあの少年の姿が浮かぶ。
あいつがいなくなれば……。そう思ってしまったバカムは無意識に漆黒の球状に触れていた。
すると、一瞬強く発光したかと思うと、漆黒の球状はバカムの胸元に吸い込まれるように入っていった。
「な、なんだ……がっ!?」
バカムは胸を押さえながらうずくまった。体の内側から何かに侵食されているような感覚にバカムは襲われた。
「ひひひ……安心してください。それは一時的なものです。しばらくすればおさまりますよ」
額に玉の汗をを浮かべながらバカムは黒いローブの何者かを見上げる。そいつのフードからのぞく口元がニヤリと弧を描く。
「ただし、その時はもうあなたではないかもですけどね」
その言葉を最後にバカムは意識を手放した。




