第8話 動き出す闇
使役士育成学園の校舎からグラウンドが見渡すことができる窓、そこから一人の男がアヒトたちを見ていた。
「あれがイレギュラー? 聞いていた情報と違ってかなり弱そうに見えるが……」
その人物は使役士育成学園の学園長。彼はアリアに話しかけるアヒトに視線を向ける。
「どんな手品を使ってヴェルニクスを倒したのかは知らんが、あれなら私でも殺れるぞ。パラゴゴスの奴は何をやってるんだ」
万が一のことがあるため自らの手で殺しに行くようなことはしたくない。
そのため、イレギュラーである亜人の抹殺を命令した魔族がなかなか連絡をして来ないことに苛つきを露わにしていた。
「わたくしを呼びましたかぁ?」
「いっ……!?」
突然、背後から聞こえた声に学園長は悲鳴をあげそうになるのを堪えて振り返る。
そこには男か女かわからないやたら細身の魔族----パラゴゴスが影に潜み立っていた。
「き、貴様!……どうやって人界に入った。門には警備の者がいたはずだ」
パラゴゴスに自分の方が下に見られることだけは避けたかった学園長は上ずりかけた声を整えて冷静に質問した。
「あのようなものは警備とは言えませんよぉ。気づかれずに簡単に入ることができました」
「……誰かに付けられたりしていないだろうな」
「ええ、ええ。もちろんですよ。わたくしが人間より劣っているとは思いませんから」
パラゴゴスの学園長を見る目が細められ、口角が釣り上がる。
学園長の頰に一筋の汗が伝う。
「ま、魔王と我々人間は手を結んでいるということを忘れるなよ? 私の方が貴様より上の存在だ。逆らったら容赦しないからな」
「わかってますよぉ。今は貴方の方がわたくしより強いということを頭に入れておきます」
「今は……だと?」
「いえいえ、何でもありませんよぉ。忘れてください」
パラゴゴスはわざとらしく頭を下げてかしこまった態度をとる。
話し方といい、態度といい、かなり人間を苛つかせてくれる。
「……まあいい。貴様に出した命令のことだ。なぜイレギュラーはまだ死んでいないのだ?」
先程の試合を見た限り、あまり脅威とは感じないが何が起きるかわからない。なにせこの世界の者ではないのだから。
脅威とわかってからでは対処は難しいだろう。あの方の計画が狂ってしまう。
だから、危険な芽は摘み取っておかなければならない。
「そうですねぇ。ちょっと手違いがありまして……殺しそびれてしまいましたぁ」
「ふざけるのも大概にしろッ! 貴様の事情であのイレギュラーが生きている限りあのお方の計画が完成しない可能性があるんだぞ」
「まあまあ、落ち着いてください。あまり大きな声で話されますと外に聞こえますよぉ?」
パラゴゴスがニヤッと笑みを浮かべる。
「ちっ、誰のせいだと思ってる……」
「安心してください。すでに手は考えてあります。面白そうな人間を見つけたのでぇ。ひひひ……」
「ふん、ならさっさと動け」
「ひひひ……御意」
パラゴゴスは一礼して日の当たらない影の中へ消えていった。
「まったく、これだから魔族は……」
学園長は苛立たしげに髪を掻く。
再び窓からグラウンドへ視線を向けた時にはすでに一年の生徒たちの姿はなく、亜人を連れた少年と金髪の少女が最後に学園を去るところだった。
世界を一からやり直す。
それがあの方の願い。
「それを邪魔する可能性のある存在は全て消し去ることが私の使命」
強く拳を握りしめた時、廊下から高い音を響かせながらこちらに歩いて来る音が聞こえた。
「君か。どうだ、君の目から見たイレギュラーは」
学園長は自分のもとに近づいて来た存在を確認すると、窓から外を眺めたままの状態でその存在に質問する。
「はい。私から見ても今のところ脅威と感じられるようなものはありませんでした」
「そうか」
「どうしますか? このまま監視を続けても?」
「いや、しばらくは放っておけ。君には別の任務を与える」
学園長は生徒がいなくなったグラウンドに、一人で整備をしている存在に視線を向ける。
「君には酷かも知れんが、私に絶対の忠誠を誓っているのなら断るなんて事はしないだろ?」
「はい。貴方様、そしてあのお方の命令ならばどんなに辛い任務であってもやり遂げてみせましょう」
「いい返事だ。それではーー」
学園長は新たに任務を言い与える。
「……はい。お任せください」
「いつ実行するかは君の判断に任せる。だが、あまり遅くなりすぎるなよ」
「わかっています。では」
そう言い終えると、一礼し、この場を去って行った。
後には静かな廊下で窓から外を眺める学園長だけが残されていた。
「まさか、わたくしのキマエラちゃんが負けるなんて思いもしませんでしたよぉ。とっておきだったんですけどねぇ」
住宅の屋根の上で膝を抱えて座るパラゴゴスはその家が立ち並ぶ道を歩く一人の人物に視線を向ける。
その人物は苛ついているのか、通りにあったゴミを蹴り散らかしている。
「もう少し、溜めさせるべきですねぇ。完全に実った時にはわたくしが作った気持ちよくなれる魔法をプレゼントします。楽しみにしていてください」
パラゴゴスは太陽がきらめく青空の下でこれまでにない以上の深く歪みきった笑みを浮かべるのだった。
アリアとの勝負を終えたアヒトとベスティアは、アリアと別れた後の予定を考えていなかったため、とりあえず寮に帰ることにした。
「今回はお疲れ様だな、ティア。よくアリアの使い魔に勝つことができたよな。特に分身してきた時とか辛かっただろ?」
寮に帰る道すがら、アヒトはベスティアに労うついでに質問した。
アリアの使い魔は見た目に反してかなり上位の魔物だったに違いない。正直、あの勝負は負けると思っていた。
風を操り戦場を自分の独壇場に変えて自由に動き回る姿には美しさすら覚えるほどだった。
しかし、ベスティアはそんな苦しい状況下でも勝ってみせた。負けると思ったアヒトの予想を覆したその方法が気になったのだ。
「ん。あひとが教えてくれたから」
「おれが?……何を教えたんだ?」
アヒトは先程の試合を思い出してみるが、戦いの最中にベスティアに何か助言のようなことをした覚えはない。
「本物のシナツがどれか教えてくれた」
「待て、何の話だ? おれはどれが本物かなんてわからなかったぞ」
「えっ……」
ベスティアは足を止めてアヒトを見上げる。その瞳には困惑した色がありありと現れていた。
聞き間違いではない。声のした方向に本物のシナツは存在していた。だが、よく考えてみればあの声はアヒトの声ではなかった。話し方も違い、声の高さ的に男というより女の声だった。
そして何より、その声にはどこかで聞いたことがあるような気がしてならなかった。ベスティアがこの世界に来てから出会った人たちではないのは確かである。もっと、ずっと前から聞いてきたような、そんな気がした。
「んー……まあ、よくわからんが、とりあえず今日はたくさん飯を食おう。帰ったらテトと一緒に買い物に行くぞ」
ベスティアが立ち止まったまま動かないでいると、アヒトがベスティアの頭にぽんっと手を置きながら言った。
「……わかった」
ベスティアは煮え切らない思いのまま、歩き出したアヒトの後をついて行くのだった。
この章はこれで終わりです。
次から13章になります。




