第4話 変身少女の代わり様
「え……」
「正直信じられないわ。どうせ誰かが魔獣を一匹倒したという話を魔族と勘違いしたのでしょうね。そしてそれが街中に広まって尾ひれがついたってところでしょ?これならバカムとかいう頭の悪そうな生徒の方が勝てる確率が高い気がするわ」
そう言ったアリアがアヒトへ向ける視線は氷のように冷めたものだった。
今までの表情が嘘であったかのような人を見下したような瞳。アヒトへ向けられていた態度や感情は全て偽りだったのだろうか。そう思えてきても不思議ではなかった。
アリアの腕を掴んでいた手がゆっくりと離される。
アリアは用は済んだと言いたげに体の向きを変えようとしたところに、アヒトとアリアの間にベスティアが割って入ってきた。
「何かしら? あなたのような存在にはもう用はないのだけれど」
「……けせ」
「……? なんなの? はっきり言いなさい」
「取り消せ! あひとへの侮辱。私が許さない」
ベスティアの全身の毛が逆立つ。完全にアリアに殺意を向けている。
「お、おいティアーー」
「あら、私と戦いたいの? それでもいいわよ。私の考えが間違っているということを証明できるのはそれしかないものね」
「望むところッ!」
ベスティアがアリアに飛びかかろうと腰を低くする。
それを見たアリアは距離をとって左腕につけている「呼び寄せのブレスレット」を前にかざす。
「待つんだティア!」
アヒトはベスティアの腕を掴んでこちら側に体を向かせる。
「はにゃせ! あいつだけは許しておけにゃい!」
ベスティアの感情が高ぶっている。アリアのあの頭の良さだ。今の状態で戦っても冷静に対処されて負けるだけである。
アヒトはベスティアの体を強引に引き寄せて抱きしめた。
「……ッ」
「落ち着け、落ち着くんだ」
アヒトはベスティアに何度も言い聞かせるように優しく語りかけた。
頰から一筋の汗を垂らしていたアリアは静かに安堵し、表情を悪質なものへと変える。
「負けるのが怖いのかしら? それともただの物分かりがいいだけ?」
ベスティアの緊張した体の力が抜けていくのを感じたアヒトは抱きしめる力を緩めてアリアの言葉に応えるべく口を開く。
「いや、怖くはないよ。だって君には絶対に勝てると思ってるからね」
アヒトの言葉にアリアの眉がぴくりと動く。
「それならなぜかかってこないのかしら?」
「ここは校舎の屋上だ。傷つけると何を言われるかわからないからね。それに次の授業がもうすぐ始まる。日を改めるのはどうだ?」
アリアは少し考える様子を見せると、すぐに答えを出した。
「いいわ。今週の休日にもう一度この学園で会いましょう。そこであなたの言葉が間違っていたことを後悔させてあげるわ」
そう言ったアリアは髪を手で払うと、体の向きを変えて屋上から去って行った。
階段を下りていくアリアの足音が小さくなっていくのを聞いた後、アヒトは抱きしめていたベスティアをゆっくりと解放した。
解放されたベスティアはもじもじとばつが悪そうに視線を逸らしている。
「安心しろ。おれもあのアリアってお嬢様には一発ガツンと言ってやりたかったんだ」
ベスティアがアリアに攻撃しようとしたことに申し訳なさを感じていると思い込んだアヒトは、ベスティアを励ますように笑いかける。
実際はアヒトに抱きしめられて、ベスティアはアヒトの胸の中で顔を真っ赤にして心臓が飛び出すのではないかというほど鼓動が速くなっていたことに恥ずかしさを覚えて視線を逸らしていたなどとは決して口には出せなかった。
「とりあえず、教室に戻るか。あのお嬢様とは顔を合わせづらいのが難点だけどな」
「それは大丈夫なはず」
「え?」
何が大丈夫なのかはアヒトには全くわからないまま教室に戻ったが、そこでベスティアの言葉の意味がようやく理解できた。
アリアはアヒトの座る席や歩く場所、近くで何を話そうと視線を向けることはなかったからだ。もちろんアヒトもあんな約束をした後であるため、自分から声をかけるようなことはしなかった。そのため、午後からはいつもと変わらない学園生活が過ぎて行った。
だが、まだ何が起こったのか理解できていないリリィとルルゥは時折アヒトとアリアを交互に見てそれぞれ首を傾げていた。
そして、なんだかんだで放課後になり、アヒトとベスティアは寮へ帰るために学園を後にする。
「うあぁ〜。なんかこれといって何もしてないのに疲れたな」
学園からの帰り道、アヒトは欠伸を噛み殺しながら伸びをする。
「……それは少しわかる気がする」
ベスティアも今日は疲れたのかいつもより瞼が重たそうにしている。午前中かなり寝ていて疲れなんて無いように思えるが、本人が疲れたというのなら疲れたのだろう。
今日は早めの夕飯にして寝てしまおうとアヒトは考えていたが、面倒事は次々にやってくるのが定石である。そのことにアヒトはまだ気づいていなかった。
アヒトが自分の部屋の扉を開けると
「あ! おかえりなさいです。ごしゅじんさま!」
そこにはフリルのあしらわれたエプロンを身につけて台所に立つテトの姿であった。
アヒトはテトに問題を抱えていることをすっかり忘れていた。
「ん。ただいまテト」
ベスティアはテトに返事をして頭を撫でる。
それをくすぐったそうに瞳を閉じて受け入れるテト。
テトはレイラの勧めによって始めたバイトをするようになってからものすごい速度で言葉を覚えるようになっていた。
それはアヒトとベスティアにとって会話が通じなかった頃に比べてはとてもありがたいことであり、レイラには感謝をしなければならない。だが、いったい何のバイトをしているのか定かではないが、日が経つにつれてテトが覚えてくる言葉に違和感を覚え始めてしまった。
そしてその違和感を感じ取ることが遅かったアヒトは、気づけばテトを止める手段を失った後だった。いったい誰が教えたのか、語尾には必ず「です」が付き、「アヒト」と呼んでくれていたのが今では「ご主人様」である。
初めてこれを聞いた時はアヒトは頭を抱えたくなった。何度訂正しても次の夜にはまた元に戻ってしまっている。アヒトは学園があるため、テトのバイト先に訪れることも出来ずに現在の状況になっている。
しかし、テトがバイトを始めて悪いことだらけではない。そもそもテトに悪影響を与えるようなことがあればすぐにでもバイトをやめさせている。それをしないのは、テトが言葉だけでなく、炊事や洗濯といった家事全般を覚えて帰ってくるようになったのである。おかげで最近はアヒトと日替わりで料理を作ってもらうことにしている。
バイトを始めてまだ一ヶ月も経っていないのだが、相変わらずの物覚えの良さが功を成しているのか料理の腕は格段に上がってきており、今ではそこらの定番料理は作れるようになっている。
そのため、このまま腕を上げ続けて欲しいという思いと、何よりバイト先にレイラという顔見知りがいるということにより、なかなかやめさせることができなかったのである。
「今日、せんぱいってひと、教えてくれた、おむらいす、作ったです!」
テトは満面の笑みで少し茶色で歪んだオムライスが乗った皿をアヒトへ向けてくる。
「すごいじゃないか。偉いぞーテト。よし、全部運んでくれ。少し早いが夕飯にしよう」
「はいです!」
もう言葉だけで理解できるはずだが、テトを見つけてからの習慣のせいでついついテトが理解できるように言葉と一緒に身ぶり手ぶりで話しかけてしまう。
しかし、テトは気にすることはなく、可愛いらしく返事をして皿を落とさないようにゆっくりと運んでいく。
「テト、料理は私が運ぶ。だから座ってて」
テトに感化されたのか、ベスティアも最近はよく家事の手伝いをするようになった。今までは料理が運ばれてくるまでゴロゴロとしていただけだったことから良い傾向である。
テーブルに三人分のオムライスが並べられたのを確認したアヒトはゆっくりと自分の席に着く。
「よし、食べるか!」
「ん!」
「はいです!」
テトの話し方にはこの際もう手がつけられないため、アヒトは諦めることにした。
だが、会話をしている時のテトの表情はとても幸せそうで、話し方云々ではなく、話せていることが大事なのではないかと夕食時の会話の中でアヒトは思うのだった。




