第2話 昼食の時間
午前の授業が終わりを告げる鐘が鳴る。
「はっ!……もうお昼?」
鐘の音とともに机に顔を伏せて爆睡していたベスティアが勢いよく跳ね起きる。周囲を数回キョロキョロと見回した後、ベスティアはアヒトに現在の時刻を訊いてきた。
「はいこれ。よくそんだけ爆睡していたのに、きっちり昼に目が覚めるよな」
ベスティアの体内時計が狂うことは永遠に来ないなと思いながらアヒトは苦笑する。
「……爆睡なんてしてない」
ベスティアは視線を逸らしながらアヒトが渡してきた弁当を受け取る。
「口元によだれの跡がついてるぞ。気づいてたか?」
「……(ゴシゴシ)……それは貴様の気のせい」
ベスティアは素早く手で口周りに付着した爆睡していた証拠を拭ってとぼけてみせる。
アヒトはやれやれといった様子でベスティアを見つめていると、午前中に一緒に昼食を取る約束をしていたアリアとその後ろに付き添うリリィとルルゥがやって来た。
ベスティアが見覚えのない三人に警戒の視線を向ける。
しかし、その視線に気づくことなく、アリアはアヒトに向けて口を開いた。
「ついて来なさい。アヒト・ユーザス」
「え、ここじゃだめなのか?」
「こんな人が密集した狭い場所で食事をするなんて御免だわ。それにあなたの使い魔のことも知っておかなければならないもの」
そう言ってアリアはアヒトの手を取って席から立たせる。
それを見ていたベスティアの目が大きく開かれる。
「行くわよ」
「お、おい! どこに行くんだよ」
アヒトとアリアを見ていた他の生徒たちが普段見ることのない組み合わせにざわつく。
「お待ちください、アリア様!」
「アリア様!」
「あなたたちはついて来なくていいわよ。護衛は彼にしてもらうから」
リリィとルルゥがアリアの後を追いかけようとするがアリアの言葉によって固まる。
「そ、そんな、アリアさーー」
リリィが困惑した表情で手を前に出すが、すでにアリアはアヒトを連れて教室を出てしまっていた。
そして何が起こっているのかまったく理解できずに固まっていたベスティアはアリアとアヒトが教室から出ていったところで我に返り、アヒトの後を追いかけるために、弁当を片手に教室を飛び出していった。
一方、アリアに引っ張られて教室を出たアヒトは現在階段を上っていた。
「おい君! そろそろ手を離してくれないか? すごく歩き辛い。それと、どこに向かってるのか教えてくれ」
「あら、ごめんなさい」
アヒトの言葉を聞いたアリアは階段を上る足を止めて手を離す。それによって必然的に足を止めて、何段か上にいるアリアを見上げて質問する。
「どこに向かってるんだ?」
「屋上よ」
「屋上? なんでそんな場所へ?」
「あそこなら人は少ないし、気持ちよく食事ができるわ」
そう言ってアリアは再び階段を上り始めた。
それを見てアヒトも階段を上る足を進め、次の質問をする。
「なぜあの二人をついて来させなかったんだ?」
「それは……」
あの二人とはリリィとルルゥのことである。なぜ彼女たちの追従を断ったのかについての質問にアリアは少しの沈黙の後、口を開いた。
「たまには貴族という堅苦しい名前から解放されるのもいいかなって思っただけよ。威厳がどうこうとか正直疲れちゃうわ。こんなこと、あの二人には言えないわ。きっとがっかりしちゃうもの。あなたみたいな身分とか関係なく普通に話せる人が今は欲しかったの。学園祭について話し合うついでよ」
「そっか」
アヒトにとって、貴族という地位に存在する人たちはそれより下の地位にいる人たちを見下し、駒にしようとしている者ばかりだと思っていたが、偏見が過ぎたようだ。
リリィが「下民など眼中にない」などと言っていたがアリアはそう見えるように振舞っていただけであって実際は貴族という地位にうんざりしていたのかもしれない。たとえ「高貴なる義務」というものを汚すことになったとしても、アリアはアヒトのような人たちと関わり、ありのままの自分でい続けるのだろう。
そんなことを思っていると、目的の場所に到着したようだ。目の前には屋上へとつながる扉がある。
そしてアリアがその扉のノブに手をかけた時、ちょうどベスティアがアヒトたちのもとに追いついて来た。
「あら、来たのね。てっきり来ないものかと思ってたわ」
「あひとは私が守る。だから離れるわけにはいかない、それだけ」
ベスティアがアリアに鋭い視線を向けて言葉にする。
しかし、アリアはそんな視線を気にもしていないのか口元に小さな笑みを浮かべて口を開く。
「そ。まあいいわ。あなたが来てくれたことで鮮花祭について話しやすくなったわ」
そう言いながらアリアは扉を開ける。
薄暗かった場所に光が入り、視界が一瞬白く眩む。無意識に目元を手で覆いながら扉をくぐり、屋上へと足を踏み入れる。
「へぇ……」
屋上からはかなり遠くまで見渡すことができ、アヒトたちの住む寮だけでなく、普段足を運ぶ商店街まで見ることができた。
「素晴らしいと思わない? なんでここに誰も訪れないのか不思議に思うわ」
そう言ったアリアの表情はとても穏やかで今までの硬く尖った雰囲気はどこにもなかった。そしてたまに吹き付ける風によって揺れ、陽の光に当てられたアリアの金髪はより輝かしさと美しさを魅せていた。
「どうしたの? 早くお昼にするわよ。時間は有限よ?」
「あ、ああ……どこにするんだ?」
アヒトは屋上の周りをキョロキョロとするが、ベンチのようなものは見当たらない。
「適当に地面に座ればいいでしょ」
これも偏見なのかもしれないが、貴族の者がそんな軽々しく地面に尻をつけていいものなのかとアヒトは思ってしまった。
だがそんなアヒトの内心の驚きも裏腹にアリアは気にした様子もなく、躊躇いなく地面に腰を落ち着かせる。
「何をしているの? 早く隣に座ったら?」
「そ、そうだな」
アヒトはそう言って、アリアと少し間を空けて隣に座る。
「何よ。もう少し近くに座ればいいのに」
「これくらいが丁度いいだろ。お互いまだ知り合ったばかりなんだし」
アヒトは自分の弁当の蓋を開けながら言葉にする。
「ふーん、そ。なら私から近づいちゃうわね」
「お、おい」
アリアは少し悪戯めいた顔でアヒトとの座る距離を縮めようとしたが、アヒトとアリアの間にスッと何事もなかったかのようにベスティアが腰を落ち着かせた。
「ティ、ティア?」
「…………」
ベスティアはアヒトの言葉に返事をすることなく、自分の弁当の蓋を開けて昼食を取り始める。
アヒトはベスティアの行動を理解できずに首を傾げるが、アリアは何かを悟ったかのように口元に笑みを浮かべて「ふふっ」と声を漏らす。
その声にベスティアの三角の耳がピクッと反応する。
「あなた、私と彼が一緒にいるのがそんなに嫌?」
「…………」
アリアが質問するが、やはりベスティアは無言で食事を続ける。
そんなベスティアの反応にアリアはやれやれと言った風に溜息を吐いて口を開く。
「ヤキモチを抱くのは勝手だけど、私の邪魔をしないでくれるかしら」
「にゃ!? べ、べつにヤキモチにゃんか……」
「ふふっ、口調が変わってるけど、何かわけでもあるのかしら?」
「〜〜〜〜ッ」
アリアの指摘にベスティアの顔が赤く染まり俯いてしまう。
ベスティアのわかりやすい反応にアリアはクスクスと口に手を添えて必死に笑いを堪えている。
「可愛いわね、あなた。名前は何て言うの?」
アリアは俯いているベスティアの顔を覗き込むように顔を近づける。
それをベスティアは鬱陶しそうに徐々に顔を背けていく。
「あー。この子はベスティアって言うんだ。あまりからかわないでやってくれないか?」
アヒトが代わりにベスティアのことを紹介したことで、アリアはベスティアに顔を近づけることをやめてアヒトに向き直る。
「そうね。あまりからかいすぎると嫌われちゃうものね」
アリアの言葉にベスティアが「もう十分嫌いだ」と言いたげにアリアを睨みつける。
そんな視線にアリアは勝ち誇った笑みと視線でベスティアに返しながら話し出す。
「それに、鮮花祭の話ができなくなるわ」
「そうだな。もう一度詳しく説明してくれないか」
アリアの言葉に、アヒトが今まで話ができていなかった鮮花祭についての説明を促した。




