Memory in the dark , Chapter 5
あれからかなりの月日が流れた。
レティアは妊娠し、そして無事出産することができた。
名前はまだ決まっていない。決める余裕など二人にはなかった。
レティアが動けない間はベストが動き回ってくれていたおかげでなんとかうまく生活できている。度々近くを通っている行商人と交渉することで、今では調理道具や毛布などがここにはある。
いったいどうやって、何を交渉材料にしているのか、そんなことは日に日にベストの装備が薄くなっていることから見れば一目瞭然だった。
「あー、んまぁー」
「はいはい。美味しいですかー? ふふふ」
レティアは三角の耳に体と同じくらいの大きさをもつふわふわの尻尾がついた自分の赤子に柔らかく剃り下ろした料理を食べさせる。
生まれた頃は栄養不足で母乳が出るか心配だったが、赤子自身そこまでたくさん飲む子ではなかったため、なんとか現在は離乳まで育てることができていた。
ここまで安全に暮らせているのはベストのおかげである。少しは自分も何かできる事があればと行動しようとするのだが、その度にベストに止められた。
何かしようとしたところでベストの負担を増やすだけなのはレティアも理解はしている。しかし、日毎にやつれて行くベストをただ見ているだけなどレティアにはできそうになかった。
「ただいま……」
「お帰りなさいベスト。今日は何をとって……!」
帰ってきたベストを見たレティアは目を見開いた。
ベストの服は至る所が破けており、顔には殴られたかのような複数の痣や擦り傷ができていた。
「ど、どうしたの!? 何があったの? 魔物? この近く? 逃げなきゃダメ?」
レティアはベストに近づき、痛々しい傷に顔を青ざめさせながら質問する。
「お、落ち着け! 痛っつ……魔物じゃない。安心しろ」
「じゃ、じゃあ何があったの? もしかして……この近くの人たち?」
「レティアは気にしなくていい」
「で、でも……!」
「いいから。ほら、あの子を見てあげないと」
ベストが向ける視線にレティアも追いかけるように視線を向けると、そこには先ほどまで食事を与えていた我が子が料理の入った碗をひっくり返してベチャベチャと叩いて遊んでいた。
「もう! ダメでしょ大事なご飯なんだから」
「んまぁー、えへへへ」
レティアは赤子の両手に付着した料理を自分の服で拭き取っていく。
妊娠したと分かったその日から、レティアはそれまでに着ていた服は着ていない。着ることができなかったということもあるが、出産した後も着ることはなく、汚れてもいいようなボロボロの布服を普段着としていた。
「ほらほら、動かないの」
口にもついていたのでレティアは拭ってあげていると、ベストが痛みで顔を歪ませながら口を開いた。
「ごめん、レティア。薬をくれないか?」
「うん……ちょっとまって」
レティアは食器を片付け、薬草の詰まった瓶を取りに行く。
その間、よほど疲れたのかベストは壁に背を預けて地面に座り込み、痛みを忘れようとしているかのように瞳を閉じて静かに待っていた。
「ごめん、待たせたよね」
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
レティアは急いで薬を調合し、布に染み込ませてからベストの傷に塗っていく。
ベストは痛いはずなのに嫌がるような動きは一切見せず、レティアにされるがまま受け入れている。
「何があったのかはもう訊かないよ。でも、あまり無理はしないで欲しいな」
「ごめん。次はうまくやるよ」
「あーもう! 全然分かってない!」
「いててててッ!!」
レティアはわざと痛みが走るように強く薬を塗っていく。
もう二度と、ベストが傷だらけで帰って来ないように祈りながら、ゆっくりと時間をかけて塗っていった。
そうして薬を塗り終えた時、待ってましたと言わんばかりのタイミングで赤子が泣きじゃくり始めた。
どうやら、先程のご飯が少し足りなかったようだ。だが、いくら泣かれても今夜のご飯はあげることは出来ない。自分でひっくり返しておいて、それで腹が膨れていないと駄々をこねるなど気難しい気質を持って生まれてきてしまった娘だとレティアは深い溜息を吐きながら愛しい娘を抱き上げる。
鳴き声は洞窟内を耳を塞ぎたくなるほどうるさく響くため、外に出て落ち着くまであやすことにしている。
すでに日は沈み、空にはキラキラと光る無数の星が輝いていた。
そこに、レティアのすぐ横にベストが並ぶ。
「レティア」
「ん?」
ベストは泣き喚く娘の頭を優しく撫でながら口を開く。
「この子の名前……『ベスティア』ってのはどうだ?」
「え……?」
「俺の名前とレティアの名前から取ったんだけど、ダメだったか?」
話が唐突過ぎてついて行けずにポカンとしているレティアにベストは照れ臭そうに頰を掻きながら訊いてくる。
「ううん、すごくいいと思う! ベスティアかぁ。なんだかとても強い子になりそうな気がする」
「ははは、そうだな。なにせ俺たちの子だからな」
未だ泣き続ける我が子をベストはそっと頭を撫で、レティアがポンポンと背中をさすりながらゆっくりと言い聞かせるように名前を呼び続けると、なぜか泣くことをやめ次第に眠りについていった。
まるで名前を知る事ができて安心したかのように落ち着いた表情をしていた。




