第2話 少年を待っていた者は
学園に到着したアヒトは、まず初めにテトの件を伝えるためにグラット先生の研究室へ向かった。そこでテトと出会った出来事を事細かに説明すると、なぜか簡単に許可が出た。
学園長に話を通さなくていいのか疑問に思ったが、グラット先生曰く「バレなきゃ問題はない」だそうだ。本当にそんなことをしていて教師としての立場は大丈夫なのだろうかと心配になったが「その時はその時」だそうだ。
アヒトが授業を受けている間、テトはベスティアと保健室で過ごすこととなった。なんでも養護教諭であるユカリ先生はグラット先生が幼少の頃からの知り合いだそうで、かなり頼れる存在らしい。
とりあえず解決した問題にアヒトは安堵し、まだ誰もいない保健室にベスティアとテトを置いて、気だるい授業を受けるために一人教室へ向かっていった。
今日は初日の授業という事もあって授業は午前の間しかない。そのため、授業が終わり教室や廊下の大掃除をした後は濁流のように多くの生徒が帰宅していった。おそらく仲良くなった友人たちと街の方へ遊びにいくのだろう。楽しそうに会話をしながら教室を出て行く光景が目に入ってくる。
ちなみにアヒトは未だに友達と呼べる存在はできていない。バカムたちと喧嘩まがいのような会話をするくらいである。そのせいもあってか、同じクラスの生徒たちの中ではアヒトはバカムたちの仲間だと勘違いされて距離を置かれているのかもしれない。周りの教師からもよく注意を受けてしまい、全くもって迷惑この上ないことである。
これ以上迷惑をかけていては停学処分にもなりかねない。アヒト自身は真面目に生活しようと心がけているというにもかかわらず、世界は理不尽にできているというものである。
そのバカムたちはというと、いつものメンツで学園にあるジムで筋トレをするようだ。怪我も治っていないというのに、無理はしないほうがいいとアヒトは心の中でバカムたちに注意の言葉を言うのだった。
そして、誰もいなくなった教室に一人ぽつんと残されたアヒトは静かに自分の席から周りを見渡して
「……おれも帰るか」
そう言って席を立ち鞄を片手に教室を後にした。テトを迎えに行くべく保健室へ。
保健室へ近づくにつれて誰かが笑う声が聞こえてくる。おそらく養護教諭のユカリ先生だろう。入学したばかりの頃はよく世話になっていたため、会話するにあたっては緊張することはもうほとんどない。なにぶん、綺麗な人であるため、目のやり場に困ってしまうのだ。
そっと保健室の扉を開ける。
そこにはテトが机の上に紙を敷いて何かを書いている光景が目に入った。
「ん? あらあら、お迎えよ」
アヒトの存在に気がついたユカリ先生はテトに声をかけた。
「……む……かえ?」
テトはまだ耳にした言葉ではなかったのか小首を傾げて女性を見る。
「テト、あひとが来た」
「アヒト!?」
ベスティアの言葉でようやく気づいたのかテトは勢いよく扉の方に視線を向ける。そこにアヒトが立っているのを確認すると机の上の紙を手にとってアヒトのもとへ駆け寄って行く。
「アヒト! 見る! 書けた!」
そう言ってテトはアヒトに手に持っていた紙を広げて見せる。そこには何人かの絵が描かれており、その絵一人ひとりの頭上に名前が書かれていた。
「文字が書けるようになったのか? すごいじゃないか」
「すごい!」
アヒトの言葉を聞いてテトが目をキラキラさせて微笑む。
「ああ、すごいぞ」
アヒトはテトの頭を撫でる。そして改めてテトが描いた絵を見る。
そこにはアヒトを中心に左右に人が描かれて一列に並ぶような絵になっていた。アヒトの右にベスティア、左にテト。そしてベスティアの隣にはサラ、テトの隣にはチスイの絵が描かれていた。そして両端にはグラット先生ともう一人
「これって、ユカリ先生か?」
そこには白い服を着た女性らしい人物が描かれていた。
「あらあら、もしかしてそこには私が描かれてるの?」
そう言ってユカリ先生は白衣を翻しながらアヒトたちのもとに近づいてくる。
「本当ね! 凄いわねテトちゃん。こんなに絵が上手だったなんて先生知らなかったわ」
「すごいぃー!」
アヒトとユカリ先生の二人に同じ言葉を言われたテトは両手を広げて部屋を駆け回る。
それをベスティアが優しく注意して止めに入る。
そんな光景を微笑ましく感じながらもアヒトはユカリ先生へと視線を向ける。
「えっと、今日はテトを見てくれてありがとうございました」
そう言って頭を下げる。
「いえいえ、違うのよ。私は度々ここから離れていたからあまり見ることができなかったのよ。どちらかというとあの子にお礼を言うことね」
そう言ってユカリ先生はベスティアへ視線を向ける。テトを上手く落ち着かせたベスティアはベッドに腰掛けて大きなあくびをしていた。
「ありがとう、ティア。助かったよ」
「ん……」
ベスティアは余裕といった表情をしながらアヒトの方へ寄って来る。
「養護教諭といっても裏仕事はとてもハードなのよ。だからずっといてあげられるわけじゃないの」
「そうだったんですか。すみません。面倒ごとを増やしてしまって」
「いいのいいの。それに子どもたちの元気な姿を見ていることが何よりも好きだもの」
そう言ったユカリ先生の視線はアヒトたちではなく、どこか遠くを見ているような気がした。
「え、えっと……」
「あ、ごめんなさい。立ち話しすぎたわね。私はちょっと用事があるからここを離れるわ。帰るときは気をつけて帰るのよ」
「は、はい。ありがとうございました」
アヒトは保健室を出ていったユカリ先生に再度礼を言うと、白衣を揺らす彼女は背を向けながら片手を挙げてゆらゆらと手を振って歩いて行った。
そしてそれを見送ったアヒトは呟くように口を開いた。
「……いい人だったな」
「ん。とってもいい人」
「いいひとー!」
アヒトの言葉にベスティアとテトも同意する。
「さ、帰ろう。帰って昼飯でも食べに行くか」
アヒトの言葉にベスティアの尻尾がピンッと立ち、アヒトに素早く視線を向けて来る。
「今日は外食?」
「たまにはな」
「……そ」
ベスティアは素っ気なく返すが、尻尾が忙しなく左右に揺れているため外食が楽しみなことは間違いないだろう。
最近はテトが来たことで金銭的な問題によって食事を制限する必要があったため、ベスティアとしてはそこそこ食べられる料理屋は嬉しいものである。
そんなわかりやすいベスティアの反応に苦笑しつつ、アヒトは正門へ向けて歩き出した。
「悪かったな。ティア一人でテトを見る形になってしまって。疲れただろ」
学園を出る手前、アヒトはベスティアが保健室であくびをしていたことを思い出して訊いてみた。
「これくらい余裕。妹を見守るのもお姉ちゃんの役目」
「そか。無理すんなよ」
「ん」
最近ベスティアがどこか大人びている気がするが、これもテトのおかげなのだろうかとアヒトはテトに視線を向ける。
テトはその視線に気づいてアヒトを見上げ、ニカッと満面の笑みを向けてきた。
それにアヒトは笑みを返して心の中で密かにテトに感謝の言葉を言うのだった。
そして、アヒトたちは学園の正門を出て商店街の方に向かおうとしたところで誰かに後ろから声をかけられた。
「ちょっ、ちょっとまってよ!」
「ん?」
振り返るとそこには頭にスカーフを細めてカチューシャのようにして巻いた少女。というよりアヒトにとって絶対に忘れてはいけない少女がそこにいた。
「なんで君がここにいるんだよ。レイラ」
レイラーーそれはアヒトが幼い頃からずっと一緒に暮らしていた、大切な妹であった。




