第5話 刀少女が得たものは
「ほう……」
駆け出した智翠の速度はこれまでにない速さだったことに鍔鬼は思わず言葉が漏れた。だが、逆に鍔鬼にはまだ言葉を漏らせるほどの余裕があるということ。
「まだまだだな」
「はっ!」
裂帛の気合とともに繰り出された智翠の上段からの振り下ろし。それを難なく鍔鬼は躱し、智翠の背後に回り込む。そして木刀で智翠の背中を何のためらいもなく振り下ろす。
「があッ」
背中を強打され仰け反りながら前に転がる智翠。しかし、すぐに鍔鬼に向けて構えをとる。
「力み過ぎだ。この一週間何を学んできた?……このままでは、貴様は死ぬことになるぞ」
「…………!」
鍔鬼の言葉に息を呑む。頰に冷たい汗が流れ伝う。
目の前にいる女性が口にすると何故かそれが現実に起こってしまうような錯覚を得る。それだけで、本当に己は勝つことができるのかと不安で足が竦む。
「どうした。来ないのか? ならばこれで終了となるが構わないな?」
「くっ……」
鍔鬼の言葉に智翠は拳を握り、そして己の心の弱さに羞恥を覚えて顔を赤く染める。
何も成長していない。鍔鬼の言う通り何を学んできたというのだろうか。勝つことばかり考えていて教わった事を忘れている。
智翠は刀の柄先で太ももを殴る。
「まだだ……!」
智翠は鍔鬼に鋭い視線を向ける。
対する鍔鬼は、右手に握られる木刀をだらりと垂らし冷酷な瞳で見つめ返す。
「そうか。ならば来い。お前の力を私に届かせてみろ」
それを聞いた智翠は一旦構えを解く。鍔鬼は攻めず、智翠のタイミングを待つかのように静かに立っている。実際の戦場では敵は待ってはくれないが、今は試練だ。己の最大と思える状態の時に好きな瞬間に立ち向かえる。
瞳を閉じ、ゆっくりと深呼吸をする。肩の力を抜いて、刀を手で添えるようにして握り直す。そして数瞬の時が過ぎた時
「…………ッ‼︎」
カッと目を開いて一気に鍔鬼との距離を縮めた。
駆け出す直前、智翠は刀を脇に寄せて水平に構え剣先を後方に向けて隠し、相手から剣の軌道を悟られないようにした。その結果、今まで躱す事しかしてこなかった鍔鬼が接近して横から振り抜かれた智翠の攻撃をその手に持つ木刀で受け止めた。
智翠は鍔鬼が自分の剣を受け止めた事に嬉しさを感じたが、勝負はまだ続いているため気を引き締める。一瞬、鍔鬼の口元が笑みを浮かべていたように思えたが、長い前髪に隠れた時にはもとの硬い表情に戻っており、気のせいだろうと思考を切り替える。
鍔鬼は受け止めた刀を押し返し、攻撃に転じる。
刀を押し返された事で後ろに若干よろけたところを鍔鬼が横薙ぎに木刀を振るう。
それを智翠はなんとか刀で防ぐ事ができたのだが
「く……おもっ……」
鍔鬼の繰り出された一撃はとても重いものだった。
実は、今まで一方的に倒されていたため、智翠も鍔鬼の攻撃を受け止めたのはこれが初めてである。故に、鍔鬼の攻撃がこれほどまでに重いものだとは気づかなかった。
鍔鬼は攻撃を防ぐ事でいっぱいいっぱいの智翠に向けて腹部に蹴りを放つ。
「ぐっ……」
態勢を崩した智翠に追撃を見舞う。
片手で木刀を振るってくる鍔鬼に対して智翠は両手で刀を握り、刀を弾かれないように必死に打ち合う。しかし、やはりどこかで遅れが出てきてしまい、徐々に智翠の体の至る所に鈍痛が増えていく。
一旦智翠は距離をとって、乱れた呼吸を整える。
「はあ……はあ……くっ……」
額から流れ落ちる汗を拭う。
智翠が呼吸を整えるのを待っている鍔鬼の方は全く呼吸が乱れている様子がない。
すでに智翠は鍔鬼によっていくつもの傷を与えられ、疲労も溜まってきている。このままいけば確実に負けるのは智翠の方だろう。
「はああああッ」
智翠は深く腰を落とし、鍔鬼に接近する。
再び真剣と木刀での打ち合いが始まった。この一週間で鍔鬼に教わった剣術が自然に繰り出される。鍔鬼と全く同じ剣の軌道、同じ足運び。側から見るとまるで芸術的なものを見ているかのように全てが同調していた。
幾たびも打ち合い、永遠と続くかと思われた剣戟にやがて変化が生まれる。
智翠の刀が鍔鬼の木刀によって打ち上げられた。
「ぐっ!?」
鈍い音とともに打ち上げられた智翠は反動で仰け反らせる。
そしてがらあきになった智翠の腹部に向けて鍔鬼は木刀による突き技を行う。
いくら木刀と言えども、腹部に突きを与えられたら内臓が無事では済まない。くらえば負ける。これをくらえばもう立つことはできない。
無意識の行動だった。
脳より先に体が動いていた。
鍔鬼の木刀が繰り出される直前、智翠は反動による体の仰け反りを利用して後方に勢いよく回転跳びを行った。その際、突き出された鍔鬼の木刀を右足で打ち上げる。
「ーーッ!?」
鍔鬼は目を見開いた。木刀が打ち上げられ、今度は鍔鬼が体を仰け反らせる。
それを智翠は勝機と見た。地面に着地をした時、足に激痛が走ったがそんな事を今は構っていられない。左手に持っていた刀を握る手に力を入れて鍔鬼に接近する。
「はあああああああああああッ」
智翠は鍔鬼に向けて横薙ぎの斬撃を行った。しかし、打ち上げられた木刀を手放していた鍔鬼は腰に携えている青みがかった黒を基調とした刀を鞘から左の逆手で抜き放ち、智翠の攻撃に合わせて刀を振り上げた。
両者の刀が触れ合い、智翠の刀がまるで紙でも切るかのようにポッキリと容易く斬られた。
「え……」
そして鍔鬼の振り上げられた刀の勢いは止まらず、そのまま智翠の耳、三角窩から耳輪にかけた上部分を斬り裂いた。
「がっ、ああああああ」
辺りに鮮血が舞い散り、たった一部を斬り裂かれただけで智翠は後方に飛ばされてしまった。そして、地面を跳ねるように何度も転がった智翠はようやく止まる。
「う……ぐぅ……」
なんとか意識を手放さずに済んだものの、智翠の刀は折れてしまっており使い物にならない。つまり、智翠は鍔鬼に負けたのだ。結局、智翠の刀は一度も彼女に届かなかった。
智翠は耳に手を当てながらゆっくりと立ち上がろうとするが、右足に激痛が走った事で地面に片膝をついてしまう。おそらく骨にひびでも入っているのだろう。うまく踏ん張る事ができない。そう考えていると鍔鬼が刀を逆手に持ったまま智翠に近づいてくる。
その刀が智翠の目にはとても禍々しく見えた。まるで生きているかのような、とても普通の刀とは思えなかった。
鍔鬼はその刀をゆっくりと振り上げる。
それに視線を向けた智翠は理解する。剣士を辞めるという事――つまり、それは死を意味するのだということを。
智翠はもはや何も言うこともなく、ゆっくりと瞳を閉じる。
そして、鍔鬼は刀を振り下ろした。だが、振り下ろされた場所は智翠の体にではなく、智翠の目の前の地面であった。
「……ぇ……」
智翠は顔を上げて鍔鬼を見る。
「私の負けだ。この刀はお前にくれてやる」
「し、しかし、私は一太刀も与えられていないのだ」
智翠は混乱しているのか、目を白黒させている。
そんな智翠を見て鍔鬼はゆっくりと首を横に振る。
「私に刀を抜かせたんだ。勝利を譲るには十分だと思うんだがな」
智翠は自分の目の前に刺さっている刀に視線を向ける。
「その刀は妖刀だ。銘を『幻月』。触れているものを増幅させる刀だ。こいつを使いこなせるようになった時、次は真剣で相手をしてやる」
それを聞いて智翠はその刀にゆっくりと手を伸ばし、その柄を掴み、引き抜く。
引き抜いた時、智翠の中で力が膨れ上がったように感じた。智翠が『幻月』に目を奪われていると、鍔鬼が口を開く。
「あとは自分で鍛えろ。それと、あまり力に頼りすぎないことだ」
そう言って智翠に鞘を渡し、背を向けて歩き出す。
「お、おい……」
呼び止めようとするが、振り返る事がないと分かると、智翠は鍔鬼の背に向けて深々とお辞儀をするのだった。
「それが師匠との出会いだ。見ろ、ここに傷が有るであろう?」
チスイはアヒトに右耳を見せる。そこには、永遠と消えることのない記憶の痕が刻まれていた。
「へぇ〜」
「む、なんだその反応は斬られたいか」
「い、いや、結局君の師匠は何者だったんだろうなって思ってな」
正直、傷痕を見せられても何をどう返したらいいのかわからない。斬られるのはごめんだとアヒトは両手を前に出して頰を引きつらせる。
「私の話をちゃんと聞いていなかったのか?」
「はい?」
チスイの話からでは鍔鬼という女性は謎の多い人物で、どこの生まれなのか、なぜ義父と知り合いなのか、なぜ妖刀というものを持っているのかなど分からないことが多すぎた。チスイが鍔鬼という女性のことについて何かわかっているのなら聞きたいところである。
そう思い、アヒトはチスイに話をするよう促す。
「私の師匠はもの凄く強い人だってわかったであろう」
「…………は?」
思わず声が出てしまった。
「『は?』とは何だ。私の師匠が何者か知りたかったのであろう? 私の師匠はもの凄く強くてかっこいい人だ。当面の目標はあの人と再び相対して勝つ事なのだ」
チスイは胸の前で拳を強く握る。
「ダメじゃん」
そんな事を聞きたかったわけではないとアヒトは額に手を当て小さく言葉を漏らし、ため息を吐くのだった。
だがそこで
「……ん?」
唐突にベスティアが三角の耳をピンと持ち上げて立ち上がった。
「ティア? どうかしたのか」
「なにか、変な音が聞こえた」
「変な音?」
そんな音は聞こえなかったはずなのだが、ベスティアの耳は人のそれとは違う。獣の耳特有の聴覚を持っているのだろうとアヒトは結論づける。
「それは如何なる音か、チビ助」
チスイも少し気になったのだろう。刀を腰に携え直して立ち上がる。
ベスティアは少しムッとしながらも答える。
「……爆発するような音と、高い音」
そんなに繊細に聞こえるのかとアヒトは感心したが、今はそんな事を考えている場合ではない。自然界の中でそんな音がするはずがないからだ。魔物が魔法を使ったということも考えられるが、アヒトがいるこの森は以前学園の合宿の時に来た森であり、出てくる魔物のほとんどが下位の魔物である。上位の魔物などまずありえない。出てきて上位になる寸前の魔物だが、そんな魔物が爆発するような魔法を扱うとは到底考えられない。
「少し見に行ってみるか。ティア、だいたいの場所はわかるか?」
「ん」
間をあけずに即答するベスティアにさすがだとアヒトは頭を撫でる。
その行為にベスティアは抵抗する事なく、くすぐったそうに目を細める。
「よし、行くか」
「ん」
「承知」
アヒトの掛け声でベスティアとチスイは頷き、音のしたと思われる方向にベスティアを先頭に少し駆け足になって向かった。
しばらく森の中を進む。
「ん?……何かいるぞ」
アヒトたちの向かう先に大きな物体が横たわっていた。周りには何かがいた様子はないが、少し焦げ臭く感じた。アヒトたちはそれに近づいて確認する。
「こいつは……野生のフォーゲル族か」
それは白銀に輝く翼を持った鳥型の魔物だった。




