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亜人娘が得たものは  作者: 戴勝
第9章
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第4話 鬼の師匠

竹林を出た智翠は鍔鬼を連れて義父と過ごす家に向かっていた。智翠は体の痛みでうまく歩くことができず、歩く速度はとてもゆっくりだったが、鍔鬼は何も文句を言うことなく智翠の速度に合わせて一歩後ろを歩いて来ていた。


「ここなのだ。少し待ってろ」


そう言って智翠は家の中に入る。


「帰ったぞ、じっちゃん」


相変わらず義父からの返事はない。草履を脱いで部屋へ上がる。襖を開けて中に入るとそこには畳に布団を敷いて横になっている義父がいた。


「じっちゃん。今帰ったのだ」


智翠は義父に近づいて再度報告する。


すると、ゆっくりとまぶたを開けて義父が口を開く。


「おぉ……智翠か。今日はやけに帰りが早いんじゃな」


こんな口調で智翠が「じっちゃん」と呼ぶことから誤解を招くかもしれないが、義父の剛三の歳はまだ五十とあるかないかである。病にかかる前はとても体格が良く、笑顔が溢れた人だったのだが、今では見る影もない。


「少し事情があったのだ」


「何じゃ、客がおるんか。早く言わんか。茶くらい用意しておいたんじゃがな」


その言葉に智翠は驚きが隠せなかった。鍔鬼は今家の外にいる。おそらくそれを気配で気がついたのだろう。病にかかっていても勘は衰えないところがさすがと言える。


「じっちゃんは動くな。茶は私が入れる。客はじっちゃんに会いに来ているのだぞ」


「何じゃと?……まさか、この懐かしい気配は……」


義父が言い終える前に智翠は玄関に向かい、外で待っている鍔鬼を呼ぶ。


そして義父のいる部屋に鍔鬼が姿を表した時、義父は目を見開いた。


「鍔鬼……お前、本当に鍔鬼なのか……」


「その通りだ。久しいな剛三」


義父は体にかかっていた布団を退けて起き上がろうとしたが、咳き込んでしまってうまく起き上がれなかった。


「じっちゃん! 大丈夫か?」


「げほっごほっ……これくらい何ともないわ」


義父は諦めたのか体の態勢を仰向けにする。


その隣に鍔鬼は正座する。


「老いたな。刀も振れなくなったか」


「そうじゃな。儂も歳か……お前はあの頃と変わっちょらんな。美しいままじゃ」


そう言って義父は鍔鬼の頰に手を伸ばす。


鍔鬼はその手を優しく握り、自分の頰に当てる。その手はとても硬く、大きく、温かいものだった。皺一つない手だが、手首から下の腕はろくに食事もとれていないのか痩せ細ってしまっていた。それでもその手に触れることができた鍔鬼の頰は緩んだものだった。


先ほどまで見せなかった表情を見せる鍔鬼と義父の笑みを見て、智翠は何とも居心地の悪さを感じてしまい、そっと席を立つ。


台所に向かい、茶を淹れる準備をする。その間に部屋から二人の話す声が聞こえてくる。


「夢は、どうする?」


「この体じゃぞ。諦めるしかない」


「約束はどうなる?」


「それは儂が戦わんでも大丈夫じゃろ」


「……私は、強くなったお前と勝負がしたかったのだがな。まさかここまで弱くなっているとはな」


「ふははは……申し訳ないことをしたな。こんな体になっちょらんかったら少しはまともにやりあえたかもしれんな」


それは掠れた笑い声だった。しかし、義父の声は今までにないほど明るいものだった。


その他にも智翠が茶を淹れるまでの間、いろいろな話をしていた。鍔鬼が去った後の三十年の間に起きた出来事。その多くを鍔鬼は静かに聞いていた。そして、智翠が茶を淹れた湯呑を盆に乗せて部屋に戻った時、義父はちょうど思い至ったかのように口を開いた。


「そうじゃ。鍔鬼、智翠に剣術を教えちょくれんか?」


「なに?」


「基礎はできちょるんじゃが技の型はまだじゃ。素質はある。智翠と戦ったんじゃろ? お前が見抜けないはずはないと思うんじゃが」


そう言って義父は智翠の顎のあざに視線を向ける。それにつられて鍔鬼も智翠に視線を向ける。


「え、えっと……」


二人に視線を向けられて智翠はたじろぐ。


「そうだな。私が教えれば、そこそこの剣士になるだろうな。だが……」


鍔鬼は言葉を途中で止める。なぜなら、義父の手がそっと鍔鬼の手に重ねられたからだ。


「鍔鬼……頼む」


それを聞いた鍔鬼は一旦瞳を閉じて立ち上がる。


「お前が私に頼み事とはな。いいだろう。だが一週間だけだ。私には時間がない」


その言葉を聞いた義父はゆっくりと頷く。


鍔鬼は義父から視線を外し、智翠へ向ける。


「何をしている。早く準備をしろ」


そう言った鍔鬼の瞳は先程までのものとは全く違ったもので、今の鍔鬼の瞳には畏怖を感じてしまった。


「う、うむ。直ちに」


智翠は支度するために急いで部屋から出て行った。手にはまだ盆と茶の入った湯呑を持っていたのでひとまず台所へ向かう。その時に義父の部屋から鍔鬼の声が聞こえた。


「……また、来ても問題ないか?」


「ああ、何時でも来ちょっくれ」


「死ぬなよ、剛三」


そう言って鍔鬼は部屋を出て家の外に出て行く。


智翠は台所から出て外に出る準備をすると一旦義父の部屋へ顔を出す。


「じっちゃん、行ってくる」


「…………」


返事はなかったが、智翠は今はそっとしておこうと思い、部屋を後にする。


智翠が外に出て、誰もいなくなった家の中で一人、咽び泣く声が静かに響いていたが誰も知る由もなかった。





「待たせたな。ひとまず移動するのだ」


そう言って智翠は竹林のある方向に歩き出す。その後ろを静かに歩く鍔鬼。


そして、先程智翠が鍛錬をしていた場所に到着する。


「鍔鬼と言ったか、お前がまさかじっちゃんの知り合いだったとはな。して、何を教えてくれるのだ」


「まず、これだけは言っておく。私が教えられるのは一週間だけだ。その間に私に一太刀でも入れることができたらお前の強さを認めてやる。一太刀も入れられなければその時は、刀を捨てるんだな」


「ぐっ……それならば、今から私と仕合われよ。意地でもその肌に傷を入れて見せる!」


智翠は刀の柄に手を添える。体は未だにズキズキと痛むがこんなものどうってことない。少し我慢すればいいだけの話である。


「いや、今日はもういい。十分お前の今の実力は理解した」


「なに?」


「そこに立って刀を振れ」


「何故仕合われぬのだ。時間がないと申したのはーー」


「聞こえなかったのか? 刀を振ってみろ」


「うぐっ」


鍔鬼の鋭い視線に気圧されて鍔鬼は渋々刀を振る。


こんな事をしている暇などないと智翠は思い、柄を握る手に力が入る。


「何も考えるな。上半身の力を抜け。それでは無駄に腕の筋肉が疲労するだけだ」


「ぐぬぬ……」


そうして、短い時間だが鍔鬼による鍛錬が始まった。


鍔鬼との勝負は一日に一回、全ての鍛錬が終わった後に行っていた。その間はいろいろな事を教わった。技の型や足運び、智翠の無駄な動きや癖といったものだ。


時折、竹林に生息する動物を狩って魔物や魔獣といった相手の場合の戦い方も教わった。


初めは、智翠は鍔鬼の事を信用する事ができなかったが日が経つに連れいつのまにか智翠の中で鍔鬼の事を師匠だと思うようになっていた。


多くの事を教わり、剣を交えて動きを真似る。それでも智翠の刀は鍔鬼に届かなかった。


そして、やってきてしまった最終日。


この日だけは絶対に負けてはならない。負ければ、刀を捨て、剣士を辞めなければならない。それだけは許されない。智翠は義父の夢見たものを実現しなければならないのだ。こんなところで終わってなどいられない。


現在、智翠は鍔鬼を前に見合っている。


智翠は刀を鞘から抜いて剣先を鍔鬼に向けて中段の構えをとる。


対する鍔鬼は木刀を左手に持ち、だらりと下げた状態で立っている。


「いつでもかかってこい。この一週間が無駄な時間であったと私に思わせるなよ」


鍔鬼の言葉によりいっそう集中する。


無駄になどなっていない。この一週間は智翠にとって大きく成長させるものであった。だから


――だからっ……


「絶対に、勝つ!」


智翠は刀を握る手に力を入れ、一気に鍔鬼に向かって駆け出した。


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