第3話 亜人娘の渋い顔
「む、どうした? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
チスイはポカンと口を開けたままでいるアヒトに声をかける。
「あ、ああ、こんなに強いチスイが負けるなんて思ってもいなかったからな」
「戯け。何年前の話だと思っている。私もあの頃はまだ未熟だったのだ。もっとも今でもあの人には勝てるとは思えぬがな」
チスイはどこか遠い場所に視線を向ける。
「そんなにすごい人なら、こっちでも名前くらいなら流れてきていてもおかしくはない気がするんだけどな」
アヒトはカバンからもう一つパンを取り出してチスイに差し出す。
チスイはチラッとパンを見て、視線を逸らしながらゆっくりと手を伸ばす。
そんなチスイが少し可愛らしく思えてしまい、アヒトは思わず手に持っていたパンを引っ込める。
もちろんチスイはパンをつかむことができずに空を切る。チスイがキッとアヒトを睨みつけるがアヒトはニヤついた笑みを浮かべている。
空を切った手がチスイの刀の柄に伸ばされる。
アヒトは瞬時にパンをチスイの元へ両手で差し出すとチスイは刀から手を離して受け取った。
「ふん」
次やったらぶった斬るという視線が痛々しくアヒトに突き刺さる。思わずアヒトは苦笑いを浮かべた。からかうのはもう少し距離が縮まってからの方が良さそうだとアヒトは思うのだった。
そして、アヒトはベスティアにももう一つ渡そうと視線を巡らせるが
「あれ?」
いつのまにかベスティアの姿がなくなっていた。
「あそこにいるのだ」
チスイに言われて視線を向けた先、そこには木があり、その上にガサガサとベスティアが登っていくのが見えた。
「あ、おいティア。そんなとこ登るな」
アヒトは叫ぶもティアは降りることをやめない。何をしているのかと目を凝らすと、どうやらこの木には果実が実っているらしく、それを取ろうとしているようだ。
「危ないから降りてこーい」
と言うのも遅く、ベスティアは果実を採取し、木の上でそれを口に入れる。
「……!?」
初めは嬉しそうに果実を頬張ったベスティアだが、ギョッと目を見開いて尻尾を逆立てる。
「うぇ……にがい……」
すぐさまベスティアは木から飛び降りてアヒトのもとに駆け寄り、手に持つパンをひったくるように掴んで口に入れる。
「ん〜」
「ティ、ティアさん?」
「ん?」
口いっぱいに頬張ったパンをもぐもぐとさせながら小首を傾げてくるベスティア。
「どうして気に登ったりしたんだ。危ないじゃないか」
アヒトの質問に口の中のものを飲み込んでからベスティアは口を開く。
「小さい頃に食べた果実と似ていた気がした。この世界のは美味しくない」
そう言うなり、再びベスティアはパンにかぶりつく。
ベスティアはこの世界に呼ばれてからは食べ物を美味しそうに食べているところしかアヒトは見ていなかった。もしかしたら今回のベスティアの渋い表情はかなりレア度が高かったのかもしれない。
「もうあんな危ないことはするなよ?」
アヒトの言葉にコクコクとベスティアは何度も首を縦に振る。先ほどの果実が苦かったことも幸いしてもう登ることはないだろうとアヒトは思った。
「して、私の師匠の話はもう良いのか?」
チスイがパンを食べ終えて聞いてくる。
「ああ、すまない。続けてくれ。謎が多い人なんだよな?」
「うむ。あの後、義父に会わせるため一旦竹林を出たのだ。その時に聞いたのだが、波平という名は師匠……鍔鬼が付けたものらしく、剣術もその時に義父に教えたそうなのだ」
「なに? それはおかしくないか?」
「そうなのか?……ふむ、そうなのか」
チスイは違和感に全く気づいてなかったらしい。
鍔鬼という人が別の世界からやって来たと仮定するとその尋常でない強さは理解できなくもない。だが、チスイの義父に剣術を教えたというのが理解できない。チスイの話では歳はたいした差がないとのことだ。仮にその話が本当だとすれば、鍔鬼という人物は一桁歳の頃にチスイの義父に剣術を教えたことになる。
なんだか頭の中がぐるぐるしてきた。アヒトは眉間を指で摘む。
「それで?竹林を出てどうなったんだ?」
とりあえず、チスイの話の続きを聞くことにした。
「うむ、竹林を出て義父と過ごしている家に招くことにしたのだ」
再びチスイは記憶を思い起こすように淡々と語り始めた。




