第2話 刀少女の出会いとは
あれは今から三年前。
智翠がまだアヒトたちのいる都市に来る前の出来事である。
智翠の住んでいる場所はとても豊かとは言えないがこれといって貧しいという程でもなく、普通に平穏な村で義父と二人で過ごしていた。
義父は智翠が三歳の頃に引き取り、それから十年の間剣士というものについて智翠に教えた。義父が教える剣術の修行は細かく正確でとても厳しいものだったが、できるようになるとすごく褒めてくれた。そのため、義父を嫌いになることは微塵もなかった。現在は病で寝込んでしまい、智翠に教えることはなくなったのだが、智翠は義父の教えを守り、修行を続けていた。
「じゃあじっちゃん。行ってくる」
まだ辺りに霧が出ている時刻。外に出ている人はあまりいないであろうほどの早朝に智翠は草履を履いて義父に声を掛ける。
「…………」
返事がないのは今に始まったことではない。だから智翠は気にすることなく、他の人が持っているものとなんら変わらない普通の刀と木刀を腰に携え、他のいろいろな荷物を持っていつもの修行場所へと足を運ぶ。
その場所は竹林で覆われた場所であり、少し奥へ進むと一軒の小屋が竹林に紛れてひっそりと佇んでいた。
なんでも、義父が若い頃に一人で修行していた時に使っていた小屋であるらしい。たしかに外回りの木壁はこの何十年かの間でだいぶボロボロになっている。しかし、屋内はそうでもなく、そこで何日も過ごせるのではないかというほど綺麗に物が揃っていた。中は座敷となっており、中心にある囲炉裏を囲うように座布団が敷いてある。かなり狭いが、智翠一人が休憩所として使うに至って何も問題はない。
とりあえず、智翠は腰に携えているもの以外の大方の荷物を畳に置いて外に出る。深呼吸をして軽く体の筋肉をほぐすために柔軟体操を行う。
一通りほぐし、体が温まると智翠は木刀を構える。中段の構えから木刀を上に、そして素早く振り下ろす。しかし完全には振り切らずに寸でのところで止める。そしてまた中段の構えに戻る。これを何度も繰り返す。相手の体格を想像し、その頭に狙いを定めて斬りかかるように木刀を振るう。
義父は智翠にいろいろな剣術を見せてくれた。智翠はまだ完璧に再現することはできないが、いづれ再現させるつもりだ。型はできているのだ。あとはそれを活かせるだけの力と速さを身につけるだけだ。
義父はあるところでは『剣豪』と呼ばれていた。しかし、それは「国一」ではない。義父の夢は「国一の剣豪」なのだ。一時、国の兵たちを相手に戦いを挑もうとしたこともあったらしいのだが、その考えは途中で辞めたらしい。何故かは答えてくれなかった。
だから、智翠は義父の代わりに『剣豪』になると誓った。剣豪になり義父の名を世に広げることを目標としている。実際、智翠から見た義父の剣術は言葉も出ないほどであった。一度だけ、たった一度だけ技を見せてくれたことがあった。義父は人の何倍ものある大木をたった一太刀で切り倒してしまった。もう一度見せて欲しいと頼み込んだが、刃こぼれが激しいから嫌だと断られた。智翠は義父の剣術をこのまま他のものに知らせずに途絶えさせてはいけないと思い、剣術を義父から教わり始めた。
そうして、一旦休憩するために智翠は小屋の方へ向かおうと足を向けた時、唐突に背後から声をかけられた。
「すまないが、人を探している」
声のした方向に視線を向けると、そこには木漏れ日に照らされ、風に揺れる長い黒髪をもった女性がいた。前髪で片目が隠れているが、その女性になぜか美しさを感じた。
「残念だが、私に知人は少ない。しかし 何故このような場所に? この場所を知っている者は限られているのだ」
智翠は訝しんだ目で女性に近づいて行く。女性は三振りの刀を背中の腰に携えていることからこの女性も剣士なのだろうと智翠は警戒を強くして腰を少しかがめる。
ふと、女性の視線が智翠の携えているものに向けられる。
「……お前、刀を使うのか?」
「だったら何だ。質問をしているのは私の方だ」
智翠の言葉に女性は黙り込んでしまう。
「答えろッ。何故この場にいるのだ」
女性は息を吐いてめんどくさそうに口を開く。
「……私がこの場にいる理由は、以前ここで人間と出会っているからだ」
「戯れ言を吐かすか。ここ十年は誰もここに来ていない。どうやら灸をそえなければならぬようだな」
目の前にいる女性は明らかに智翠と年齢が近く感じられた。この場所を知っているのは義父と智翠だけ。智翠はずっと義父と一緒にいたため、義父と知り合いというのはあり得ないと智翠は答えを出し、木刀を握る手に力を入れる。
「私はお前と交えるために来たわけではないんだがな」
「お前の事情など知らぬ。波平智翠、いざ参る!」
「波平だと?」
女性の言葉を無視して智翠は手に持っていた木刀を女性に向けて投げつけた。
槍のように真っ直ぐ向かって行く木刀を女性は軽く体を横にずらして木刀を通り過ぎざまに掴む。なぜ木刀を掴んだのかというと、智翠が真剣を抜いて距離を詰めてきていたからだ。
智翠は女性が木刀に気をとられている間に上段から斬りかかる。
しかし、木刀の勢いを利用した女性は体を回転させて智翠の攻撃を躱し、木刀で智翠の刀の側面を斜め下から振り抜いた。
「ぐっ⁉︎……」
鈍い音が竹林に響くとともに刀の軌道をずらされた智翠は驚きで目を丸くし、手の痺れによって手放しそうになった刀を強く握りしめる。
しかしそんな隙を女性は逃すはずがない。態勢を崩した智翠の腹部に蹴りを放つ。
「がっ」
蹴り飛ばされた智翠は地面を転がるが、すぐに体を起き上がらせて刀を構える。
それを見た女性は再び木刀を構える。
「何故刀を抜かぬのだ。本気で戦え」
「お前程度の相手に刀を使うまでもない」
その言葉を聞いた智翠は刀を握る力をより強くする。
「ふん、よく言った。ならば後悔させてやる」
智翠は再び女性に距離を詰める。
「疾ッ」
美しく洗練された斬撃の嵐が女性に繰り出される。しかしそのことごとくを躱してみせる。時折、智翠の隙を突いて木刀で攻撃してくる。
いつしか体に傷を作り、片膝を地面についていたのは智翠の方だった。
「はあ……はあ……う、くっ……」
全身がズキズキと痛む。袴で見ることができないが、おそらく智翠の腕や脚といったいたるところに痣ができているに違いない。もしかしたら折れているのかもしれないが、そんな事どうだっていい。今は目の前で汗ひとつかかないで佇んでいる女性に一撃でも与える事だけを考える。
「どうした。来ないのか?」
「くっ……五月蝿い!」
そう言って智翠は立ち上がり、刀を構える。が、腕の痛みが思った以上に酷く、両手で持っていてもうまく力が入らず剣先が震えてしまう。視界まで霞み始めてきた。
――お願いだ。耐えてくれ私の身体。せめて……一撃だけでもあの女に……
己の不甲斐なさに歯噛みしていると女性が口を開いた。
「お前の剣筋はとても綺麗だ。よく鍛錬している」
「む?」
突然、智翠を褒め出した女性に眉をひそめる。
「だが、少しばかり型にはまりすぎているな。だから構えだけでどこを狙っているのかがわかる」
「疾ッ!」
女性の言葉を無視して再び智翠は駆け出す。その途中で言葉を紡ぐ。
「波平流剣術・斬の型……」
それを聞いた女性は少し目を細めて木刀を逆手に持ち替え、言葉を紡ぐ。
「王波流 居合・秋水」
「……『尾鷹』ッ!」
智翠は走りながら刀を脇に寄せて水平に構え、体に捻りを加えた回転斬りを行った。剣先が女性に届く直前、鈍い音とともに、気づくと智翠の視界は空を写していた。
「え?……」
女性の技を受けて智翠は一瞬だけ宙に飛ばされていた。
頭の中がぐにゃりと歪んでいるような感覚に襲われ意識が遠退いていく。しかし、すぐに背中に強い衝撃が走ったことで手放しかけた意識が強制的に引き戻される。
「がはっ」
息ができない。背中の衝撃は受け身もとらず地面に強く打ちつけたからだろう。そしてあごに響く痛みと逆手で振り上げられた態勢の女性を見た智翠はそこで理解した。
負けた……。と。
しばらく息ができなかったせいなのか勝てなかったからなのか、はたまた両方なのかは定かではないが涙を浮かべて嗚咽混じりに咳き込み続ける智翠。そこに女性はゆっくりとした足取りで近づいてくる。
「弱すぎる……」
智翠は咳き込みながらも女性を睨みつけることだけは忘れない。
「それでも、波平の名を継ぐ者か?」
「な……に……?」
智翠は目を見開く。波平の名を持つ者は義父と智翠だけだからだ。
「お前……何者なのだ?」
「私か? 私は人を探している者だ。ここでは流浪者だな」
「そうではない。名は、何という?」
「鍔鬼だ」
鍔鬼と名乗った女性は起き上がることができないでいる智翠へ手を伸ばす。
「む?」
「私が探している者は、波平の名を最初に受けた人物……波平 剛三だ」
波平剛三……それは智翠を幼い頃に拾ってくれた、義父の名前だった。




