第11話 抱えた重み
出店の方で喧騒が溢れている中、アヒトたちは現在、スイカ割りを行なっていた。
サラが目隠しをしながら手頃な流木を両手に構え、よろよろとスイカの方へ歩いていく。
「せーい!」
大きく振り下ろされた流木は砂浜に置かれたスイカの横をかすめるだけで終わった。
「えー、いい線行ってたと思ったんだけどな」
「まだまだ甘いなサラ。私が一つ、手本を見せよう」
そう言ったチスイはサラから流木と目隠しに使ったタオルを受け取る。それを身につけてスイカが置いてある場所へゆっくりと歩いていく。その歩みは全くブレがなく、砂浜についた足跡の間隔は全て均等で一切のズレがなかった。そして
「ハッ‼︎」
気合いのこもった声とともに握られた流木をチスイは振り下ろし、スイカの頭頂部を叩きつける。
「ふん、見たか、これでこのスイカも真っ二つ……に……む?」
目隠しを外したチスイは眉をひそめる。目の前には傷ひとつない綺麗な丸いスイカがそこに存在していた。
「なっ、なぜ割れていないのだ。手応えはあったぞ」
チスイは傷のない艶の入ったスイカの表面を睨みつけていると、ふと、スイカの表面に薄い魔力の膜が貼られている事に気づいた。
「サラ、お前の仕業か!」
チスイはサラの方向に視線を向けると、そこには杖を構えて悪戯な笑みを浮かべるサラがいた。
「ふふ、これは『鋼化』って言って、物理攻撃を完璧に防ぐ魔術だよ」
簡単にスイカを割られてはおもしろみがないため、サラは魔術を使ってスイカを守ったのである。
「これがあればチスイちゃんの攻撃なんか怖くないね!」
「む……そのような事をほざくか?」
今のはサラの明らかな失言だった。
チスイの目つきが鋭いものに変わり、背中に背負っていた『幻月』を抜刀する。そして、振り返りざまにスイカに向けて一閃。
「……へ?」
一陣の風が吹いた時、スイカが真っ二つに割れて転がった。
「えっ! 何で!? 『鋼化』の効果はまだ続いてたはずだよね? 何で割れちゃうの?」
「ふん、この世に完璧に防げるものなど存在しない。この刀は動かない物なら確実に斬れるのだ」
チスイのドヤ顔を見てサラは「そんなの卑怯だよ!」と涙目で詰め寄っていくのをアヒトは離れた位置からその光景を眺めて呆れた表情をする。
「あの刀の底が知れないな。ティアもそう思うだろ?」
アヒトは同意を求めるべく、ベスティアに視線を向ける。しかし、ベスティアからは何の返答もなく、パラソルの下で膝を抱えて座り、虚ろな目で波立つ海の景色をただぼーっと眺めているだけだった。
ベスティアは気を失い、目覚めて以降、ずっと同じ体勢で同じ景色を眺めており、誰が何を訊いても口を開くことはなかった。
やがて日が傾き、空が赤く染まり始めた。海に来ていた他の客たちは大方帰ってしまい、砂浜にはだいぶ人気が少なくなっていた。
「なあ、ティア。そろそろ話してくれないか?」
「…………」
「あの少女は君とどういった関係なんだ? 君はこの世界とは違った世界から来たんだよな。あの少女もそういう感じなのか?」
「…………」
アヒトはスイカ割りでチスイが斬ったスイカを手に取る。
「ほら、スイカ食べないか? 甘くて冷たくて美味しいぞ」
「……(ぐぅ〜)……」
お腹からかわいい音が鳴った。体はとても正直である。
ベスティアはアヒトに背中を向けるように座る位置を変える。
ベスティアは結局お昼ご飯も食べなかった。そのため、ビニールシートの上にはまだパックに詰められた焼きそばが残っている。あの食いしん坊のベスティアがお昼を抜いてよく正気を保てていたものだとアヒトは感心する。
「ほら、お昼食べてないだろ。ここにティアの焼きそばもあるぞ、少し冷めてしまってるかも知れないが、味は大して変わらないだろ」
ちなみにロマンが作った焼きそばは普通に美味しかった。店を開いてもいいくらいである。なぜあんなところで売れない武器屋を開いているのか不思議である。
アヒトはスイカと焼きそばを手に持ち、ベスティアに近づいて差し出す。
「ほら」
「…………」
「食べないと元気でないぞ」
「いらない……」
ようやくベスティアは話してくれた。これをチャンスと見たアヒトはたたみかける。
「じゃあ、せめてスイカくらいは食べろよ。見てたところ、水分もとっていなかっただろ? スイカには水分が多く含まれているし、何より重い病気になりにくくなるらs」
「いらにゃい! 私にかまうにゃ! こんにゃものを食べる価値なんてっ、私にはにゃい!」
バシンッという高い音が砂浜に木霊した。
ベスティアは自分の頰に痛みと痺れを感じて目を丸くする。そしてそれを行なった人物に視線を向けるとアヒトが手を振り抜いた形で止まっていた。
「君に価値がないなんて誰が決めたんだ! 君自身か? そんなこと君が勝手に決めていいようなことじゃないだろ。もちろん他の人にも決められる権利はない、義務もない。人は生きているだけで価値がある。それは生まれた時から備わっているものなんだ。だから、自分に価値がないなんて絶対に言わないでくれ」
ベスティアの口元が震える。
「だけど……私が行かにゃければ、あの子たちは生きていた! 私より何倍も生きる価値はあったのに、私のせいでっ、あの子たちは死んだんだ!」
それを聞いて今度はアヒトが目を丸くする。
「……猫族が滅んだって話か?」
コクリとベスティアは頷いて顔を俯かせる。
「君が訪れたからって言ったよな。それは君がその村を滅ぼしたくて訪れたわけではないんだよな? なら、それは事故だ。君は悪くない」
「で、でも」
「君は悪くない。何度も言う、君は悪くない。それでも自分を許せないのなら猫族の人たち全ての無念を背負ってでも生きろ。自分の価値を低く見積もるな。命を無駄にするようなことはしないと約束してくれ」
アヒトはベスティアの青い瞳を見つめる。決して逸らさない。ベスティアに自分の意思を伝えるため。
「私にも、生きる価値はある?……」
「人の価値は他人には決められない。胸を張って生きればいい」
「私でも、背負っていける?……」
「ああ、いけるとも。君はとても強い」
「私でも、私にも……えっと……ッ!」
ベスティアは突然、アヒトによって抱きしめられた。ベスティアの体を包むアヒトの体は、とても優しいもので、ベスティアの心を温かく包み込んでくれた。
「大丈夫、大丈夫だ。ティアなら生きていける。なにせおれのパートナーだからな。もし無理そうでもおれが半分背負ってやる。辛かったらおれに言え」
ベスティアの頰を一筋の雫が流れる。
――やっぱり、この人で良かった。私の得た大切を、この人は裏切らない。
ベスティアの瞳からさらに涙が溢れてくる。そして一度流れ出たものは止められない。ベスティアはアヒトの胸の中でひとしきり泣いた。泣いて泣いて泣き散らした。
アヒトはベスティアが泣き止むまで抱きしめ続けた。何があっても一緒だという強い意思を込めて。
しばらくして、ベスティアは満足していったのか徐々に泣き止んで行き、完全に涙が止まったことを確認したアヒトはベスティアをそっと離す。
「なんなら今からでもおれが半分背負ってもいいんだぞ」
アヒトの言葉を聞いたベスティアは首を左右に振る。
「必要ない。これは私が強くなるためにはなくてはならない重り」
「そか」
まだ目元は赤いが、その表情には先ほどにはなかった強い意志が浮かんでいる。
それを見たアヒトは表情を緩めて
「とりあえず、スイカ食べるか?」
と言ってベスティアに差し出した。すると、思い出したかのようにベスティアのお腹から音が鳴る。
「ん……」
若干照れたように視線を逸らしたベスティアはアヒトからスイカを受け取ってゆっくり、控えめに食べていく。
「おいしい」
「だろ」
二人はすでに日が沈んで星が出始めたころの夜空を見上げる。普段見ているはずなのに、いつもより綺麗に見えた。
ベスティアも同感なのか、空を見上げたベスティアの口元がほころんでいた。
「あ、ベスティアちゃん元気になったんだね。良かった」
サラとチスイが更衣室の方向からやってくる。チスイの背中には竹で編まれた籠があり、どうやらそれを取りに行っていたみたいだ。
「なんで籠なんか取りに行ったんだ?」
アヒトの言葉にチスイはニッと笑みを浮かべて
「暗くなってきたからな。そろそろとっておきのものを見せてやるのだ」
そう言ってチスイは籠を置いて中から玉のようなものを取り出す。直径三十センチほどの大きさであり、玉の表面には「十号」と書かれている。
「な、なんなんだそれ」
「ふん、いいからそこで見ていろ」
チスイは浜辺の方に歩いて行き、そして手に持っていた玉を地面と平行に構えたさやに入った状態の刀の側面に置く。
落とさないようにゆっくり脇に構える。そして
「せいやあああああ」
勢いよく上空へ玉を飛ばした。すぐさまチスイは刀を抜いて構え直し
「波平流剣術・翔の型・紅蓮……」
チスイはカッと目を見開いて刀を振り上げた。
「……『飛燕』ッ!」
刀が炎をまとい、振り上げられた瞬間、燃え上がる斬撃が打ち上げられた玉に向かって飛翔する。それが玉に触れた時……
巨大な音と共に炸裂した。まるで花が咲くように、光の線が夜空に煌めき、見ているものの視野を覆う。
「きれい……」
サラが思わず言葉を漏らした。
ベスティアが手を伸ばす。今にも届きそうなほどなのに、伸ばした手は何もつかめず空をきる。
やがて夜空に咲いた巨大な花は光の残滓を煌めかせながらゆっくりと消えていった。
チスイが戻ってくる。
「どうだ、チビ助。驚いたか?」
「ん、すごく綺麗だった」
「ふん、あまり私の手を煩わせるな。勝負はついていないのだ。勝手に悄然するな。永訣など私が許さぬぞ」
チスイは腕を組みながら言葉にする。
「ん、もう大丈夫。あと、ビーチバレーで私勝ってる」
「なっ、あれはこの男が邪魔立てしたからだ」
「邪魔が入っても上手く対応すれば良い、それだけ」
「ぐぬぅ……」
そんな二人の間にアヒトが苦笑しながら割って入る。
「はいはい、二人ともそこまでだ。もう暗いし、そろそろ帰るぞ」
「む、しかし、籠の中にはまだ沢山の尺玉が……」
「また来年打てばいいだろ。まさか全部打つつもりだったのか?」
「ふん、戯れ言を。何発も打ってこそ花火は美しく咲くのだ。あまりぬかすとその首斬り落とすぞ」
「あ、はい」
アヒトはチスイの鋭い眼光に後退る。そこにサラが口を開く。
「ダメだよチスイちゃん。そんな危ない言葉を使っちゃ」
「ふん、私の勝手だ」
「あんまり酷いと怒るよ?」
「ぐっ……」
サラを怒らせるのはまずいと思ったチスイは視線を逸らして口を噤む。
「じゃ、じゃあ帰ろっか」
そう言ってアヒトたちは着替えるために更衣室に向けて歩き出した。
夜の学園。
教師たちは仕事を終えて帰宅し、誰も居なくなるはずの校舎に一つだけ明かりのついた部屋があった。使役士育成学園の学園長の部屋である。
「私だ。なぜ今まで出なかった……まあいい。ヴェルニクスがやられた……そうだ、お前が仕留めろ。あのイレギュラーは放っては置けん。ただしこっちに被害はだすなよ?後処理が面倒だ……数か?イレギュラーとそれを従えさせる男の他に、魔術士の女も居た。そいつは一人で魔獣を五十匹以上倒している。警戒だけしておけ。以上だ」
そう言って通信を終える。手に持っていた紫色の魔石の発光がなくなる。しかしすぐに光りだす。新たに別の場所へ通信を開始したからだ。
「私です。一人やられました……はい、大丈夫です。新たに一人、送り出しました……はい、分かっています。その時は私自ら……はい、では」
通信を終える。
「まさか、あいつが負けるとは。あまり時間をかけていられない。私の立場が危うくなる」
アヒトたちへの脅威はまだおさまることはない。
新たな敵がアヒトたちを狙って動き始めるのだった。




