第7話 神出鬼没のナンパ女性
「ひやぁー、あれはどんな男でもあーなるよ。さすがサラちゃんの必殺兵器」
アヒトが走り去っていくのを離れた位置で双眼鏡を使って確認していたアンは、ビニールシートに座りながらオレンジジュースの入ったコップに差し込まれたストローを口に咥えて呆れた表情をする。
「アン、サラのことが気になるのはわかるけど、私たちもそろそろ遊ぶ?」
パタリと読んでいた本を閉じて、リオナは隣に置いてある、予め膨らませておいた柔らかめのビーチボールを顔の横まで持ち上げ、小首を傾げながら聞いてくる。
「そうだね。せっかく来たんだもんね。よし!それじゃあ遊ぶぞぉ」
そう言ってアンは立ち上がり、着ていた七分袖のシャツをおもむろに脱ぎ始める。
「――!!」
アンの脱ぐ動作によって徐々にスラリとした腹部が露わになるのをリオナはごくりと喉を鳴らして視線を釘付けにする。日の光を浴びて写る腹部にどことなく艶かしさを感じてしまう。なぜだろうか、今日はいつも以上にアンにドキドキしていた。
そして、アンが上半身の服を脱ぎ去ったその下には、下着ではなく、予め寮で着替えておいた可愛らしい水着が着られていた。
「何してるの?りっちゃんも早く脱ぎなよ」
「う、うん」
もちろん、リオナもアンに事前に言われていたため、服の下に水着を着ている。いそいそと服を脱いで水着姿になる。
「うん!似合ってるよ、りっちゃん!」
「あ、ありがと」
鼻から下の部分をビーチボールで隠しながらリオナは呟く。
「行くよ! りっちゃん」
「うん!」
そうしてしばらくの間、リオナは至福のひと時を過ごした。ビーチボールの他にも売店で買った大きな注射器のような形をした、水が吹き出すおもちゃやフリスビーを投げあったりして遊んだ。
「アン!」
現在もそのフリスビーを使っているのだが
「うわ! ちょっと飛ばし過ぎ!」
たまたまリオナが投げた時に追い風が吹いたことでフリスビーの飛距離が伸びてしまった。リオナが投げたフリスビーはアンの頭上を越えて更に奥へ飛んで行く。
「あー、ちょっと休憩しよっか。うちがフリスビー取ってくるからりっちゃんは休んでて。ついでにアイス買ってきてあげる」
「え、申し訳ないよ」
「いいのいいの!」
そう言ってアンはフリスビーが飛んで行った方向へ走って行った。
一人残されたリオナはしばらくの間浜辺に佇んでいたが、照りつける光と湧き上がる暑さに流石に耐えられず、やむなく自分たちが設置したビニールシートとパラソルの所へ戻ろうとした時、唐突に聞き覚えのない男の人たちに声をかけられた。
「あっれ、お嬢ちゃん一人でどうしたんだよ?」
「もしかして迷子なのかな〜?」
「ウへへへ」
髪をカラフルに染め上げて虫唾が走るほどの気色の悪い笑みを浮かべてリオナに近づいてくる。
「え、えっと……その……」
リオナは三人に囲まれて徐々に涙目になっていく。
――アン、速く、速く戻ってきて!
「俺たちが安全な場所に連れてってやるからよ、ほらほら」
そう言って一人の男がリオナに触れようと更に近づいてきた。
リオナは恐怖で体を縮こませて俯いた。そして、男がリオナの肩に触れようとした時、リオナと男たちの間に割って入る影が俯いているリオナの視界に写った。
「すまない」
アンではない。声がアンとは全く違っていたからだ。しかし声の高さからして明らかに女性であった。
「なんだよお前」
男は不機嫌そうにその女性に視線を向けて、一瞬言葉を詰まらせる。
それが気になったリオナは俯かせていた顔を上げて割って入った女性を確認する。
「――!」
息を飲んだ。その女性はあまりにも、あまりにも美しかった。桜色の髪を三つ編みにしてパレオの水着を着ている。片目を眼帯で覆ってはいるがそんな物はいっさい気にならないほどの、男女問わず誰もが必ず一度は頰を染めるであろうという美貌を放っていた。
「この娘は迷子だ。今どこに連れが居るか聞いてるからよ。向こうに行っててくれよ」
男は頰を染めながらも臆することなく言い放つ。
「やはりか。いやいや私の妹がお世話になってしまったようだね。ありがとう。でももう大丈夫。姉である私がこうして迎えに来たんだ。心配は要らないよ」
そう言うなり、その女性はリオナを自分の柔らかな胸に抱き寄せて頭を優しく撫で、片腕で囲うようにしてリオナの両耳を塞いだ。
「この子にそれ以上近寄ると、殺すよ?」
その言葉と同時に男たちの背筋に悪寒が走る。
「お、おい……」
「ああ、いいいいくぞッ」
「ひいいい」
男たちは返す言葉もなく逃げるようにその場を去っていった。
「大丈夫かい?」
女性は胸からリオナを解放して尋ねる。
「う、うん……大丈夫」
お礼を言いたかったのだが、女性の美しさと自分の胸の鼓動が早くなる感覚のせいで言うことができず、顔が熱くなるのを感じた。それでも助けてくれたのだ、せめて視線だけでも感謝していることを告げなければとチラチラと女性に向けようとするのだが、すぐに俯いてしまう。これはリオナの悪い癖だと自分でも理解はしているが、なかなか直せるものではない。
すると、女性の方から口が開かれる。
「実は迷子なのは私の方でね。君に訊きたいことがあるんだ」
「うん、なんでも訊いて」
まさか女性の方が迷子だとは思わなかったリオナは自分で良ければ助けになりたいと思い、少し身を乗り出すようにして答えた。
「君とお茶ができるお店はないかな?」
あまりにも予想外な質問にリオナはポカンと口を半開きにして硬直する。明らかに迷子ではなかった。何をどう答えたら良いのか分からずにいると
「君のようなかわいらしい子がそんな顔をするものではないよ」
女性は左手人差し指でチャックをするようにリオナの唇をなぞって閉じさせる。そして、その指を自分の唇に近づけて口付けをした。
先ほどよりリオナの胸の鼓動が速くなる。
いたずらに微笑む女性を見て、間接キスをしてしまったことに気がついたリオナは治まりかけていた顔の熱を再び熱くさせて俯いた。
この女性は一体何なのだろうか。リオナをただからかっているだけなのかもしれないが、このままのペースだとアンのことを裏切ってしまいそうな気さえ感じてしまう。
そんなことを考えていると女性はリオナの名前を聞くべく自分の名を告げる。
「私のことはルシアと呼んでくれたまえ」
ルシアと名乗った女性はニコッと微笑む。
しかし、リオナは答えず、俯いて揺れ動く心を必死に抑えつけていた。
「ふむ……私の顔をちゃんと見て欲しいな」
ルシアはリオナの頰に手を添えて少し強引に目を合わせさせてきた。
怒ったのかもしれないと思い、リオナは少し肩を跳ねさせたが、ルシアのリオナを見る顔はとても優しいものだった。無意識に口が動く。
「リ、リオナっていいまひゅ」
噛んでしまった。そのことに気づいて顔を真っ赤にする。とっさに俯きたくなるが、ルシアがそうはさせない。
「じゃあリオナちゃん、改めて訊こう、君とお茶のできるお店はどこかな?」
頰から手を離さずそのまま訊くルシアだが、リオナは依然として答えられず。
「早く答えてくれないと……お茶菓子の代わりに君を食べてしまうかもしれないよ?それともそれがお望みかな?」
ルシアはリオナの腰に腕を回し、鼻が触れ合うのではないかという近さまで抱き寄せる。
リオナの鼓動が、爆発するのではないかというほどの速さで動く。もはや何も抗えなかった。力が抜けて、ただルシアの抱く腕に身を委ねてそっと瞼を閉じる。
「おーい、りっちゃーん」
遠くからリオナの耳に聴き馴染んだ声が届く。それによって我に返る。
「あの子は君を心配しているようだね。もし、この続きをしたかったり、困ったりしたことがあれば私の名を呼ぶといい。君の言葉はどこにいても私に届く。例え世界をまたごうともね。これは二人だけの契りだ。『ルシア』忘れないように。いつでも君のもとへ駆けつけよう。私のお姫様」
ルシアはリオナの額にキスをする。
「えっ」
額から暖かく、優しいものがリオナの中に流れてくる。
何をしたのかと訊こうとしたがすでにルシアはリオナの前から去ってしまっていた。
「りっちゃんこんなところで何してたの?」
アンがリオナのもとにやって来て尋ねる。
「ぷしゅぅぅぅ……」
「うえぇぇえ⁉︎ちょっ、りっちゃん!?」
突然頭から煙を出して倒れ込んだリオナを見てアンは慌てふためく。
そのままリオナは気を失い、次に目覚めた時、リオナはアンに膝枕されていた事に気付いてまたすぐに気を失った。
そして、二度目の目覚め。さすがに次は気を失う事はなかったため、アンは何があったのかをリオナに尋ねた。
「……王子様がいた」
未だに目が虚ろなのは先ほどの出来事を思い返しているからだろう。
「えっマジで!? いいなぁ、うちもかっこいい男の人に会えたらなあ」
実際、リオナが出会ったのは女性である。そんな事はつゆ知らず、アンはリオナがあったであろうかっこいい男性を想像してもじもじする。
「私も、また会いたいかも……」
リオナはアンから目をそらしながらボソッと呟くのだった。




