第3話 それぞれの世界では
水着を買い終わった頃はすでに空は赤く染まり、太陽はほとんど見えなくなっていた。
「当日の海、楽しみだね」
サラが両手を後ろに組んでリズムよく歩く。サラを先頭に後ろを歩く三人から言葉は出てこない。アヒトはまだましな方だが残りの二人――つまりベスティアとチスイに至ってはサラの後をトボトボとついてくることしかできないでいる。
「みんなどうしたの? 元気ないね」
「いや、ちょっと疲れただけさ」
サラの言葉にアヒトが代表して答える。
「あ!ごめんね、私、楽しみなことができると舞い上がっちゃう癖があるみたい」
「海が楽しみなのは承知だが、私を巻き込むな。このチビ助はくれてやるがな」
その言葉を聞いてベスティアはチスイを睨みつけるが、疲労があるせいなのか睨みに覇気がなく無意味に終わる。
実は水着を買いに店を訪れた時、サラによって振り回されることになってしまったのだ。
これにはチスイもお手上げといった感じである。
「ごめんね、次からは気をつけるよ。じゃあ私はここで別れるね、今日はありがと!」
サラは手を振りながら自分の寮への道を走って行ってしまった。
それを見届けてからチスイが口を開く。
「私もここで別れよう。当日の海はよろしく頼むのだ」
そう言ってチスイは地を蹴って跳び上がり、住宅の屋根の上に着地する。そのままいろんな屋根を渡って去って行った。
制服を着ているためチスイのスカートの中の下着が丸見えだったが、アヒトがそれを伝えようとした頃にはすでに見えなくなっていた。
そしてアヒトはふと気づく。アヒトに見えていたということは当然同じ方向を見ていたベスティアにも見えていたということである。
「ち、違うぞ! おれは見たくて見たわけではーー」
アヒトは慌ててベスティアの方を振り向いて弁明を図ろうとした。しかし、ベスティアはアヒトの方を向いておらず、チスイが帰った方向を見つめていた。
「ん?……どうかした?」
「あ、いや、なんでもないぞ」
ベスティアが不思議そうに小首を傾げる。
よく考えると、ベスティアは寮では下着にアヒトの制服のシャツという格好をしており、いつもふとしたことで下着が見えているが、怒ってきたことは一度もなかった。下着をつけていない時もあったなとアヒトは思い返し、ベスティアにとって下着はただの肌を隠すための布でしかないと考えているのかもしれないとアヒトは思った。
何はともあれ、アヒトはベスティアに怒られなかったことに安堵して再びベスティアの方に視線を向ける。
「おれたちも帰るか」
「……ん」
そうしてアヒトとベスティアは寮に向けて歩き出した。
「ところで、ティアはどんな水着を買ったんだ?」
「……ひみつ」
「そか……」
アヒトは当日を楽しみに思いながら歩くのだった。
「海に行きたいのだ! いっぱい泳ぎたいのだ」
「海? 私見たことない!」
獣耳獣尻尾のある褐色の少女とコウモリの羽を背中に生やし、宙に浮く吸血鬼の少女がテンション爆上がりで暴れまわっている。
ここ、魔界の地。だが、アヒトたちの住む世界とは別の世界。
その魔王城の一角に備えられている部屋の中で二人の少女が騒いでいる。
季節は夏でもないこの世界で唐突に叫び出した獣少女とそれにつられて瞳をキラキラさせる吸血鬼の少女に、周りにいた他の者たちが苦い顔になる。
彼女たちは『ヘキサグラム』と呼ばれる部隊に所属している。主に国を守護する任務についているのだが、暇を持て余しているときはワイワイ騒ぐのが常である。
そこに一人の女性が扉を開けて入ってくる。
「あれ? 何騒いでるんですか? 」
「リン! 海行きたいのだ!」
リンと呼ばれたアザレア色の髪の女性はいきなり飛びついてきた獣少女に少し驚きながらも、首を傾げる。
「海ですか。私たちの世界の海は真っ黒ですよ? 狼亜ちゃん知らないんですか?」
「な!? ……う、嘘なのだ!」
リンによって狼亜と呼ばれた少女は愕然とする。
「嘘じゃありませんよ。イカスミの如く真っ黒ですよ」
「い、イカスミ……それは嫌なのだ……」
狼亜はしゅんっと肩を落としてうなだれる。だが、そこにリンが人差し指を立てて「チッ、チッ、チッ」と口で音を鳴らす。
「実はですね。異世界に簡単に行けちゃう扉を作っちゃったんですよね! 良ければ試してみてください」
リンは魔法の研究を主としており、いろいろな魔導具を開発している。最近はこの扉を使っていろいろな世界へと行って研究材料を集めて回っている。
「いいこと聞いたね。じゃあ皆でお出かけしてみようか」
リンの背後から肩に手を置いて言葉にしたのは、この『ヘキサグラム』を統括する四元帥の一人ルシアである。
「司令。それではこの国を守護する要がいなくなります。一般の兵だけでは攻められた場合に太刀打ちできないかと」
「固いこと言わないのさ 鍔鬼ちゃん。私たちがいないと分かれば他の部隊が動いてくれるだろうさ」
ルシアの言葉に鍔鬼と呼ばれた片目を黒髪で隠した鬼人の女性は渋い表情になり、リンがビクッと反応する。
「えっ、そ、それって私たちの部隊のことですか……」
リンの言葉にルシアはニコリと笑みを向け、リンの表情が青ざめる。
「海に行くのは構わねぇけどよ。リン、その扉ってこの前あたしが使ったやつじゃねぇよな?」
銀髪を結い上げた女性ーーリーダムがリンに向けて質問する。
「あ、はい! 姐さんが使った扉ではありません。今回は時間軸も設定できますし、何より今回の扉は通った瞬間、その世界の人間と同じ姿になれちゃうんですよ! これって凄くないですか!」
「お、おう」
リンが頰を紅潮させて捲し立てる姿にリーダムは口元を引きつらせる。
そこにプカプカと宙を飛ぶ吸血鬼少女ーーアニがリンに近づいてくる。
「リンお姉ちゃん。……えっと、それって私の体質の問題も解決するの?」
「もちろん大丈夫です! アニちゃんも人間と同じ姿になれますから日向に出ても何も問題ありませんよ!」
「ほんと! リンお姉ちゃん大好き!」
アニは瞳をキラキラさせてリンに抱きつく。その背中をリンはよしよしと優しく撫でる。
アニは吸血鬼の特性状、太陽の下に出ることができない。そのため、基本アニの行動時間は夜である。明るい時間に外で動けることがアニにとってとても幸せに感じられる。
「よし、それじゃあ扉に案内してくれるかな」
「はい、わかりました」
ルシアの言葉にリンはアニを抱えたままいそいそと扉の場所へと向かう。
「待つっすよ。自分はまだ何も言ってないーー」
「あたしらも行くぞ。サグメ」
リーダムがサグメと呼んだ黒髪の和装に似た服装の少女の言葉を遮って歩き出す。
「先輩まじで言ってんすか? 自分は嫌っすよ」
サグメはそう言いつつもリーダムの後をしっかりとついて行く。
他のメンバーも何だかんだでルシアたちについて行き、リンが用意した扉の前に立つ。
一応安全性は確保されてはいるが、リーダムは設定した座標からとんでもなく外れた経験があるため一抹の不安は拭いきれない。
「ビビってるんすか?」
サグメがニヤケ顔でリーダムをおちょくる。
「なわけ」
そう言ってリーダムはサグメにデコピンをかまして勢いよく扉を潜って行くのだった。
キャラ紹介
今回出てきたヘキサグラムのメンバーでまだ紹介していなかったキャラを紹介します。
狼亜
元帥を除き、ヘキサグラムの中で二番目に強いと言われている。
見た目も性格もとても幼く、やんちゃである。
亜人種と似た容姿だが、彼女の親は魔獣である。
鍔鬼
元帥を除き、ヘキサグラムの中で最も強いと言われている女性。
白と黒の刀を腰に携えているが、戦闘時は常に黒い刀を使う。
頭も良くとてもクールな性格をしているが、妹にとても甘い。
サグメ
鍔鬼の妹。ヘキサグラムの中では最弱の立ち位置だが、頭脳は飛び抜けて優秀で策略家。
天邪鬼な性格をしていて、他人をからかうことを得意としている。
ルシア・ニコーレ・ヴァルーチェ
ヘキサグラムを統括する女性。鍔鬼より強いと言われているが、実際に戦闘を見たものは少なく、事実かわからない。
神出鬼没で無類の女好き。ヘキサグラムのメンバーが全て女性で構成されているのはこれが原因だったりする。
ちなみに、リーダムはヘキサグラムの中で三番目に強いと言われていて、アニは四番目。




