Memory in the dark , Chapter 3
その日は少し帰るのが遅かったのかもしれない。
いつも通りベストと会って、いつも通りふざけあって、いつも通り別れたはずだった。
「ただいまー」
レティアが自分の家の扉を開けて中に入る。そして、自分の部屋へ向かうために台所を抜けて行こうとして足を止めた。
「よう。レティア。こんにゃ遅くまで何してやがったんだにゃ?」
そこには普段は帰りが遅いはずの父親がレティアを待っていた。
「べ、別に……。木の実を取りに少し森に行っていただけ、にゃ」
レティアは使いたくもないネコ族の言葉を使って父親と会話する。
「ほぉ? その割には木の実にゃんて一つも持っていにゃいようだが?」
「た、食べられそうなものがなかったってだけ!……にゃ」
「ふん。そうか」
「もういいでしょ? そこどいてよ」
レティアの言葉に父親はゆっくりと体をずらして道を開ける。
その横を通りすぎて行こうとしたが、肩を父親に掴まれて止められた。
「レティア。おめぇ、にゃんで体に他の種族の匂いがついてんだにゃ?」
「……ッ!」
レティアは目を見開いて、とっさに父親の手を振り払った。
「おいレティア。ちょっとこっちに来いよ。ほら、来いよッ!」
「ぃ……やっ‼︎」
父親の怒声を背にレティアは全速力で自分の部屋に飛び込み、扉に鍵をかけた。
荒れた呼吸を整えようと深く息を吸う。しかし扉が勢いよく叩かれて、レティアの鼓動が速くなる。
「レティアッ。ここを開けろにゃ! レティア!」
「ど、どうしよう……バレちゃった……このままじゃ、このままじゃ……」
扉を叩く音がどんどん大きくなっていく。
もし、この扉を開けられて、レティアが捕まれば確実に村長によって罰が与えられる。それによってベストのことがバレれば、おそらくベストの命はないだろう。
レティアは自分の部屋の窓を開けて、外に飛び出す。向かう先はオオカミ族の領域。
レティアは振り返ることなどせずに必死に森の中を駆け抜けた。
「ベストッ……ベストッ……」
日が沈み、辺りが暗くなっているが、通い慣れた道を忘れることはない。
木々の間を抜けてたどり着いた場所はいつもベストと会っていた湖のほとり。昼間はあれほど青く綺麗に輝いていた湖も今は海のように黒く淀んで見えた。
「はぁ……はぁ……けほっ、けほっ」
休まずに走ったことで唾液が気管に入って咳き込む。レティアは膝に手をつきながらも呼吸を整える。
「はぁ……はぁ……ベストー!」
レティアは今一番会いたい人の名を叫ぶ。レティアの思いに応えるかのように風が声を周囲にこだまさせた。
「レティア……?」
村の警備についていたベストはふとレティアの声が聞こえた気がした。
「ん? どうした?」
ベストと一緒に警備についていた仲間がベストの呟きを聞いて不思議がる。
「いや、なんでもない。知り合いの声が聞こえた気がしたんだ」
「ふーん」
耳を澄ませても特に声が聞こえてはこなかったので気のせいだろうとベストは思った。
しかし、一陣の風が吹いた時、風の匂いとともにベストの知っている人の匂いが嗅ぎとれた。それはいつも会っていたレティアの匂い。
「悪い。俺ちょっと小便行ってくるわ」
ベストは仲間にそう告げて森の中に走っていく。
レティアの匂いがこんなところまで来るはずがない。おそらく近くまで来ているのだろうと思ったベストはある場所を目指して森の中を走る。
それはレティアと会っていたあの湖。そこに近づくにつれて誰かの声が聞こえてきた。
「レティア……!」
ベストは走る速度を一気に上げる。木と木の間を抜けて辿り着くと、一人の少女の影が目に映る。
「レティア!」
ベストがその少女に向けて叫ぶと、彼女も気づいたようでこちらに走ってくる。
「ベスト!」
「どうしたんだ。そんなに叫んだら誰かに聞かれるだろ」
「大変なの! 私たちの関係がバレちゃった!」
レティアが瞳に涙を浮かべてベストの胸に飛び込んでくる。
ベストはわずかに目を大きくしたが、すぐに落ち着いた表情となり、レティアの肩を掴む。
「落ち着くんだレティア」
「どうしよう。このままじゃ、このままじゃベストが危ないよ! 私のせいでーーんッ⁉︎」
突如レティアは言葉を止めた。否、言葉を止めざるをえなかった。レティアの唇はベストの唇によって塞がれていたからだ。
ゆっくりとベストが唇を放す。
「レティア。俺と一緒に逃げよう。そして静かなところで一緒に暮らそう」
「ベスト……」
レティアはベストの瞳を見る。その瞳からは強いものが感じられた。
「わかった。ベストと一緒ならどこへだって行ける気がするよ」
そう言ってレティアは笑みを浮かべた。
その笑みを見てベストは今更ながら顔を赤くして頰をぽりぽりと掻いた。
「よし。とりあえず今日は帰るんだ。外まで送るよ」
「今から行かないの?」
「いろいろと準備が必要だろ? 今日は誰も見つからないところで寝るんだ。そして自分の荷物を持って明日またここに集まる。いいな?」
「うん……」
レティアは一抹の不安を覚えながらもベストの指示に従うことにした。
「行くぞ?」
ベストはレティアの手をとって歩き出す。
レティアはその手を強く握り、ベストの隣に並ぶ。
そして二人はオオカミ族の領域を出るまで片時も手を離すことなく、夜の森をしばらく進んだ。
「この辺で大丈夫だろ」
「うん。ありがと」
「また明日な」
そう言ってベストが手を離そうとした時
「残念だが、その明日はもう来ないにゃり」
「「……ッ!」」
木の陰から一人の老人が姿を現した。その後ろからガサガサとネコ族の住人が姿を現わす。
とっさにベストはレティアの肩を抱く。
「レティア。おまえさんのしていることはこの村の掟破りに値するにゃり。その男をこちらへ渡せば今回は罪を軽くしてやるにゃり」
ネコ族の長が手を差し伸べる。
「ダメ! ベストを渡したら絶対に酷いことするでしょ!」
レティアはベストの腕をギュッと抱きしめる。
「レティア。これは掟なんだにゃり。ネコ族は純血でなければならないにゃり。わかっておくれ」
「嫌だ! 私はベストが好きなの。それの何がいけないことなの? なんで他の種族と結ばれちゃいけないの? もっと仲良くすることはできないの? おかしいよ!」
レティアはネコ族の人たちに言い聞かせるように、周りを見渡しながら叫ぶ。だが、誰も耳を貸さない。
「にゃり。仕方のない娘にゃり……囲め」
その一言でベストとレティアはネコ族の男たちに囲まれた。
その中には手に鎌や斧、剣を持っているものまでいた。
「残念だが、おまえさんたちにはここで死んでもらうにゃり」
囲んでいた男たちがゆっくりと距離を詰め始める。
「べ、ベスト」
「……大丈夫だ。俺に任せろ」
「え?」
ベストはネコ族の男たちとの距離を測る。
そして
「……『火炎』ッ!」
ベストはネコ族の男たちの足元を橙色の炎で覆い尽くした。
「うおっ⁉︎ にゃんだ魔法か⁉︎」
男たちが動きを止めている間にベストはレティアを連れて走り出す。
炎をかいくぐり、男たちを押し退け、二人は暗い森の中を走る。
「逃げたぞ! あっちにゃ!」
「ダメにゃ! 木に燃え移ってそれどころじゃにゃいぞ!」
男たちがあたふたしている間にもどんどん木と木に炎が燃え移っていく。
黒煙が立ち上り、ベストとレティアの走る背中を見えなくする。
そうしてこの日、二人の男女の姿は燃え立ち上る黒煙とともに夜の闇に姿を消した。




