第5話 亜人娘に起きた異変
ベスティアの速度はすでに見切っているのか、チスイは刀を構えてタイミングを測っている。そこでベスティアは走りながら空間を裂いて『無限投剣』を何本か投擲する。
それを見たチスイはやむなく体をずらしたり傾けたり、刀で弾いたりして身を守る。
その隙をついてベスティアが接近して攻撃を仕掛ける。しかし、隙をついたにもかかわらず繰り出した拳の全てを躱される。そして躱すと同時に刀を斜めに振り下ろしてくる。
ベスティアは跳んで回避しようとするが完全には避けきれずに腕を浅く斬られてしまう。それでも痛みを感じている暇などない。すぐさま次の攻撃に移る。
ベスティアの動きのタイミングを測って振られる刀の軌道を予測し、片足を軸に回転しながら横に移動する。回転の途中で空間を裂いて『無限投剣』を取り出し、回転しているベスティアの視界にチスイが来た時に投げつける。
これにはチスイも対応が遅れてしまい肩にベスティアが投げたナイフが突き刺さる。
「うぐっ」
チスイは続けざまに攻撃をしようとしていたベスティアの体を蹴って距離をとる。
ベスティアは蹴られたことによって少し仰け反るがすぐに態勢を立て直して距離を詰めにかかる。が、チスイが肩に刺さっているナイフを引き抜いて投げつけてきた。それを地面を滑ることで躱し、地面に手をついた勢いで体を浮かすことでチスイに斜め下から蹴りを放つ。
チスイは大きく後ろに跳ぶことで躱して、空中で言葉を紡ぐ。
「波平流剣術・斬の型……」
着地と同時に右足を前に出した状態で深く腰を落とし、刀の剣先を後方上に向けて構える。瞼を閉じてゆっくりと息を吸い込む。そして、カッと目を見開くとともに地を蹴ったチスイの速度は……音を置き去りにした。
「――ッ⁉」
ベスティアは目を見開いた。チスイの速度は人間が出せる速さを超えていたからである。
「……『尾鷹』ッ」
チスイは刀を横にして突進し、体を勢いよく捻ることで回転斬りを行った。
咄嗟にベスティアは後ろに跳び退くが間に合わず、腹部に強い衝撃が走ると同時に後方に大きく飛ばされた。
「がッ……ぐッ、がはっ」
地面を何度も転がりレンガを積み上げられてできた壁面に派手な音を立ててぶつかりようやく止まる。
ベスティアは口から血を吐きながらも起き上がろうとするがふらついて片膝をついてしまう。ベスティアの腹部には三つの斬り傷ができていた。まるで、巨大な鳥の足の爪によってえぐられたような感じである。しかし、チスイから受けた斬撃は一回のみである。
ベスティアが回避できない速さにこの攻撃、これらも『幻月』という刀の能力なのだろうか。ベスティアは腹部の痛みに耐えながら歯噛みする。
「……なんなんだ、あの少女は」
先程の光景を見て、アヒトは呆然と呟いていた。
頰に汗が伝う。アヒトには先程のチスイの攻撃が全く見えなかった。後方に大きく跳んだと思いきやいきなりアヒトの視界から消えていた。次にチスイを捉えた時にはベスティアはすでに飛ばされ地面を転がっていた。強すぎると思ってしまった。人並み外れた動きに異様な技。これほどの強さをもつ人物が合宿の時にいたというのだろうか。それなら、チスイもサラと同様に表彰されていてもおかしくはないはずである。
「ベスティアちゃん、大丈夫かな」
「そうだな、気を失っていないから勝負は続いているんだけどね。ベスティアさんの傷の具合的にこのまま行くと止めざるおえないかもしれないな」
サラとグラット先生がベスティアに心配の眼差しを向ける。
そうしている間にチスイがベスティアに近づいて行く。
「ふむ……これで終わりなのか? 先程の良い威勢はどうしたのだ。ほら立たぬか、チビ助」
「くっ」
ベスティアは歯を食いしばりながらゆっくりと立ち上がるが、かなりふらついている。
「やはり、おまえは大したことないのだな。ということはあの男が嘘をついていたということになるのか。とんだ腰抜けなのだ……チビ助はそこで休んでいると良い。あの嘘つき男は私がぶっ倒す」
そう言ってチスイはアヒトのいる方向に歩き出す。
「ま、マジ?」
アヒトは自分が戦ったらあっさり負けることを理解しているため、焦りで一歩後ずさる。
チスイの足が一歩一歩ゆっくりとアヒトに近づいてくる。
何か逃れる手はないかとチスイが迫る中アヒトは考え続けるが何も思い浮かばない。
「ま、待て! 話を聞いてくれ!」
「聞かぬ! もはや戯言はたくさんだ。覚悟しろ、アヒト・ユーザス!」
チスイは腰を落として刀を横にし、腕を交差する形で剣先をアヒトに向けた。
それを見たアヒトも覚悟を決めて腰に携えている杖剣を抜き構える。だが
「や……めろ」
「ティア! 大丈夫なのか?」
ベスティアがアヒトとチスイの間にゆっくりと割って入る。
「邪魔だ、チビ助。そこの男は己の嘘のためにおまえを戦さ場に立たせたのだぞ。何故かばうのだ?」
チスイの質問にベスティアは俯きながら答える。
「……もう大切な人は失いたくない、それだけ。だから! 私は--」
顔を上げて睨みつけるベスティアの青い瞳が突如灼熱の色に染まる。
「……ぁ……」
わずかに肩が震えたかと思うと、ベスティアは全身の力が抜けたようにだらりとうなだれる。
「むッ」
異変に気付いたチスイはより深く腰を落として警戒する。しかし、注意深く見ていたベスティアが突如チスイの目の前から消えた。
直後、チスイの腹部に重い衝撃が走り、爆発する。
「がああああああ」
チスイは勢いよく後方に吹き飛び壁に背中から突っ込む。
「がはっ……今のは」
チスイはベスティアの細かな動きにまで注意をしていた。しかし、なんの前触れもなくベスティアはチスイの視界から消えた。
否、実際は消えたのではない。人間の目には到底追うことのできない時間をも置き去りにする『神速』を繰り出したのだ。
そして、チスイの腹部に触れた直後の爆発。チスイの着ていた制服は黒焦げになって破け肌が露出していた。試合前にかけた『即死不可』の魔術と制服に物理攻撃と魔法攻撃の耐性の術式が組み込まれていなければ今頃チスイの腰から下とは永遠の仲違いをしていたところだろう。
チスイは刀を支えに立ち上がる。
「ぐっ……肋が何本か折れているな」
刀を持っていない方の手で腹部を抑えながらベスティアに視線を向ける。
ベスティアは殴った手を閉じたり開いたりした後にチスイに視線を向けて不敵な笑みを浮かべる。今までとは全く違った表情をするベスティアにチスイは思わず頰を引きつらせる。
「……まるで飢えた獣だな」
「お、おいティア。今のはいったいなんなんだ?」
アヒトがベスティアの後ろから声をかけるが返事がない。
今までとは全く違う魔力の質にアヒトは驚きを隠せないでいる。
ベスティアはアヒトを無視してチスイとの距離を詰める。
「今までの非礼を詫びよう。今の技は見事だった。おまえを強者と改めて再勝負を挑ませてもらう」
チスイは刀を鞘に納め、左足を後ろに持って行き腰を落とす。
「…………」
ベスティアは不敵な笑みを崩さずに歩を進める。
それを見てチスイはゆっくりと息を吸い込む。
「……波平流剣術・居合の型」
ベスティアが神速でチスイに肉薄する。
そして両者の技がぶつかる寸前に声がかけられた。
「そこまでだ!両者ともに試合をやめろ!」
声の主はグラット先生である。後ろに警備兵の人たちが来ておりサラが対応している。どうやら何回かの轟音によって住民たちが報告したのだろう。
グラット先生の叫ぶ声にチスイの動きが止まる。しかし、ベスティアは拳を振り抜いた。




