Memory in the dark ,Chapter 2
バスケットを片手に軽快に森の中を歩く。
花の魔物に襲われてからまだ一ヶ月も経っていないというのに、レティアは相も変わらずといった調子だった。
最近は果実を取るために外へ出ているのではない。だが、向かう先は同じ。オオカミ族の領域内である。
そこに入ってしばらく進んだ先に綺麗な湖があり、そのほとりにある芝生に寝転ぶ一人の人物を見つける。
「こんにちは!」
レティアは目的の人物を見つけるなり歩く速度を速めて声をかける。
「ん? レ、レティア⁉︎ ダメだって何度も言ってるだろ。ここは俺たちの領域なんだ。見つかったら何されるかわからないんだぞ」
レティアの目的の人物。それはあの時に助けてくれたベストというオオカミ族の男の人だった。
彼に助けられてからレティアは度々ベストに会いに足を運び、その度にベストはおどおどと慌てて困った顔になる。それがとても可愛らしく思えてしまい、レティアはベストの注意を聞かずに今日もまた訪れる。
「大丈夫だよ。もう何度もここに来てるけど誰とも会わないじゃない」
「確かにそうだけど……万が一ってこともあるわけだし」
ベストの言葉にレティアは頰を膨らませる。
「むぅ。ベストはわたしと会うのは嫌なの?」
「え、いや……別に嫌ってわけじゃない。レティアの作る料理はすごく美味い。毎日食べたいくらいに思っている」
ベストは照れているのか視線を逸らし、頰をポリポリと掻きながら言ってくる。
レティアはニッと笑みを浮かべて手に持っていたバスケットを前に出す。
「ありがと。今日も作って来てるからね。そこで食べよ!」
そう言ってレティアは木陰にシートを敷いて腰を落ち着かせる。
その隣にベストが座る。
「そういえば、ベストっていつもこんなところで何してるの?」
レティアはバスケットから手料理を出しながらベストに訊いた。
「何って、ただの日向ぼっこさ」
「ふーん。その服って警備兵のだよね。仕事しなくていいの?」
「俺の仕事は領域内の巡廻。見回ってるやつは他にもいるから、俺がやる必要はないのさ」
「えー。それってさぼりじゃない?」
「いいんだよ。バレなきゃ問題ないの。それに、こうしてレティアの飯食えるし、レティアも俺を探さずに会いに来れてるだろ」
ベストはそう言ってレティアの手作り料理を次々に口に入れていく。
「そうなんだけど……」
レティアは陽の光でキラキラと輝く湖を膝を抱えて眺める。それは空の色を写したかのように青く綺麗だった。
レティアたちが住む世界はなぜか海は黒く淀んでいる。湖はこれほど綺麗だというのに。いったいいつからそうなったのかは誰もわかっていない。
そんな海とは対照的な湖から一匹の魚が気持ちよさそうに空中に飛び跳ねてまた湖の中に潜っていった。
「ん?どうした、レティア」
レティアが急に立ち上がったことにベストは疑問を浮かべる。
「ちょっと泳ごうかなって」
「泳ぐって、ちょっ……うお⁉︎」
ベストはとっさにレティアに対して背を向ける。なぜなら、レティアが服を脱ぎ始めたからである。
あっという間に下着姿になったレティアは湖に向かって駆け出し、勢いよく飛び込んだ。
「お、おい!あまりはしゃぐとバレるぞ!」
ベストは飛び込んでいったレティアに声をかけるが、しばらくしても返事どころか、湖から顔すら出る様子がない。
「おいおい。嘘だろっ」
ベストは上着を脱ぎ捨てて湖に駆け寄る。
「レティア! どこだ!」
溺れてしまったのだろうか。だが、水面が乱れる様子はなかった。
猫は水が嫌いと聞くが、レティアの種族にも適用されるのだろうか。
オオカミ族は人間と違って体毛が少し多く、防水性があるため、雨の中でもあまり濡れることはない。
だがレティアはネコ族だ。もし水が嫌いなのなら、なぜ飛び込んだのだと言いたくなるが、今はそんなことどうでもいい。レティアが危険な状態にあるかもしれないのだ。
ベストがレティアを探すべく湖に入ろうと腰を落とした時、ぶくぶくと音をたてながら水の中から勢いよくレティアが飛び出し、水をベストの顔面にクリティカルヒットさせた。
「ごあああ。目がぁ! 目がぁ!」
「あはは!冷たくて気持ちいいでしょ。ね、一緒に入ろうよ!」
そう言って手を伸ばしてくるレティアの姿にベストは見惚れてしまった。
空色の髪から滴る雫や陽の光に照らされて艶やかに映る肌。それらを含め、レティアの全てが美しく思えた。
「どうしたの? ほら早く!」
レティアは小首を傾げたあと、急かすようにベストに水をかける。
「うお⁉︎ やったな、このやろ!」
「うにゃああ!」
ベストは上半身だけ裸になると湖に飛び込み、遠心力を乗せた全力の腕の横振りでレティアに向けて大量の水をぶっかけた。
「へっ、仕返しだ」
「むぅ、負けないからね!」
そして再び水のかけ合いが始まる。
この子どもっぽい、たわいもない争いが今は二人を一番楽しく、幸せにさせてくれた。
こんな時間が、これからも続けばいいと二人はそう感じていた。
しかし、この幸せな時間と日々はそれほど長く続くことはなかった。




