第9話 取捨選択 その2
サラは人界から流れてくる異質な魔力を感じ取り、アヒトたちと共に半壊した魔王城から離れ、遠くを見通すために2階の窓からベランダへと出た。
「サラ! 何が見えたんだ?」
サラがじっと人界の方向を見つめているのを見て、アヒトが言葉を投げかけた。
「う、うん、なんだろ……桜色の光が見えた気がしたの」
「気がした、という事は今は見えてはおらぬのか」
シヴァが手にしていた槍を持ち運びながら問いかけたチスイにサラは小さく頷く。
その受け答えにチスイの瞳が陰る。
「サラ……これ」
「ん?」
チスイは手にしていた槍をサラへと渡す。
「これってあの魔王が使ってたのだよね」
「う、うむ。奴はその槍には三つの能力があると言っていた」
チスイは静かにサラの失われた左腕を見つめる。
その視線に気がついたサラは、チスイが何をしたいのかを理解した。
「あ、なるほど! 槍が持つ『再生』の能力を使えば、私の腕が治るかもってことだね?」
「然様だ……」
「……どうしたのチスイちゃん。元気ないみたいだけど、どこか怪我でもした?」
サラは槍に魔力を流しながらチスイの表情を伺う。
サラの視線に少しだけビクッと反応したチスイは視線を逸らしながら言葉にする。
「い、いや、何でもない」
「あ、もしかして、私の腕がなくなってるから気を使ってるのかな。そんな事しなくていいんだよ? 他人は兎も角、私たちは友達なんだからさ!」
その言葉にチスイの肩が一際大きく跳ねるのをアヒトは確認した。
「お、おいチスイ、いったいどうしたん……」
「さ、然様であるな! 私たちは友だ。他人より友を大事にするのは当然だったな! はは、ははは」
チスイはぎこちなく笑う。
その笑いにアヒトとベスティアはお互いに困惑の視線を交わす。
だがそんな違和感にサラは気が付かないまま自身の腕を再生させる。
「うわぁ、本当に治るんだね。自己再生能力も戻ってるみたい」
魔術にある『再生』やサラの『自己再生能力』とはまた少し違う能力の『再生』。この能力が一体どこまでの範囲に及ぶのか気になっている様子のサラだったが、自身の左手を開いたり閉じたりして確認した後は、「ありがとう」と言葉にしてすぐに槍をチスイへと返した。
その理由は、次のサラ言動で明らかになった。
「やっぱ私、人界の方が気になるからちょっと見てくるね。何か起きてたらまずいし」
「っ! 駄目だ!」
「えっ……?」
羽根を広げて空を飛ぼうとしていたサラの左腕をチスイが慌てた様子で掴んで止めた事にサラは驚いて動きを止める。
「何故行くのだ? サラは友より他人の方が大切だと申すのか?」
チスイのサラを握る手に力が入る。
「え、え? どういうことかな?」
明らかにチスイの様子がおかしい。頬が引きつり、瞳孔が開いてしまっているのをサラは確認する。
「落ち着いてチスイちゃん。向こうにも私の友達がいるし、アヒトの友達もいるでしょ? さっきの信号がちゃんと届いたのかも気になるし、一度直接行ってきた方が良いと思ったの」
だからその手を離して、とサラは意思を込めて自分の腕を引くも、チスイは握る手を離さず、むしろ先程よりも強く握られた。
「サラやアヒトの友人は心配要らぬ。犠牲は私たちとの関係が希薄な他人ばかりだ」
おそらく人界では鍔鬼が言っていた計画が進行しているはずだ。その魔力をサラが感じ取ってしまったのだろう。
今ここでサラを人界へ行かし、何らかの戦闘に巻き込まれてしまった場合、何のためにチスイはここに来たのか分からなくなってしまう。
「犠牲って、何の事だ? 君は何を知っているんだ」
「そうだぞチスイさん。話してくれなきゃ何の事かさっぱりじゃんよ」
アヒトとアキヒがそれぞれ説明を求めるように促し、サラも気になるのか、羽根を小さくしまい、地面に降り立った。
そのため、チスイは話を聞く事でこの場に留まってくれるのならと思い、一呼吸置いてから口を開いた。
「これは決して私の独り善がりな妄想ではない。良いか? 良く聞け。この世界は、やがて滅びる運命にある」
チスイは眉一つ動かす事なく、真剣な表情でそれを言葉にした。
「この世界は理を逸脱してしまったのだ。チビ助やサラのような存在が現れた事。そして、幻月……」
チスイは左手で幻月の柄を撫でる。
「……故に世界は崩壊する。これは紛れもない事実だ」
そう言い終えたチスイにアヒトが足を一歩前に出して言葉にする。
「待ってくれ。仮にその崩壊が正しく、ティアやサラが原因だったとして、その崩壊を阻止する方法が無関係な一般人の大量虐殺だとでも言うのか!?」
「然様だ! この世界の古い人間を犠牲にする事でこの世界は救われる! 私たちの未来は守られるのだ!」
「そんなものは救済とは言わない!! 誰かが犠牲になれば、誰かが悲しみ不幸になるんだ!」
「なれば世界が壊れるのを良しとするのかアヒト!」
チスイは手に持っていた槍をアキヒが立つ方へと投げ捨て、アヒトへと詰め寄り、襟元を両手で掴み上げた。
「世界が壊れ全てを失うか。他人を犠牲に世界を救い、大切なものを守るか。どちらかを選べと迫られ、前者を選ぶ愚か者が何処に居るというのだ!!」
「方法があるはずだ! 誰も犠牲にならない方法。それを探すんだ。おれたちならきっと何とかできる!」
「全てを救うなど不可能だ! くだらぬ理想が罷り通るほど世の中甘くはない!」
「どうして不可能と決めつけられるんだ。探してみないと分からないだろ!」
「その結果がこの方法しかなかったのだと何故気付かぬ! 何を言われようと私は意思を変えぬぞアヒト。もう友を選んだのだ。私は他人を犠牲に私の大切を救う。それを成し得る為ならば、鬼に魂を売る事など厭わぬ! 止めるならかかって来い! 私は全力でーー」
チスイは言葉を最後まで言えなかった。
最後まで言うよりも先に、突如チスイの耳に何かが弾けたような高い音と自身の頬に強烈な衝撃を受け、床を転がった。
「な、に……?」
仰向けで倒れていたチスイは、受けた際の衝撃で揺らされた脳と耳鳴りで歪む視界の中、痛む頬を押さえながら体を起こす。
チスイの前にはサラが立っていた。
「サラ……?」
「駄目だよチスイちゃん。それ以上言えば自分を見失う事になる」
そう言ったサラの右手は震えており、チスイの瞳がその手に釘付けになる。
サラが殴った。その紛れもない事実にチスイの内側でピキッと何かにヒビが入ったような気がした。
「……サラも、アヒトと同様なのだな」
チスイがそう小さく呟いた時だった。
一際強い桜色の光が人界の方向から解き放たれた。
12回目の鐘の音が鳴る。
その瞬間、桜色の淡い光が、広場に集まる人々の上空を埋め尽くす。
「さぁ、救済の刻だ」
ルシアの一言で桜色の光が一際強く発光した。
響く鐘の音は魂を喰らう死神と化す。この場にいる人々に、生命という時間の終わりを本能に刻みつける。
一瞬だけその身を光で包むと、まるで糸の切れた人形のように膝から崩れ、絶命して行く。
そのような状況が起きている事など全く認知していないアリアたちは、突如上空に広がった光に驚き、全ての者が空を仰ぎ見た。
「いったい、何が……」
そんなアリアの呟きの直後、隣にいた魔術士の首が突如切断され、切断面から大量の鮮血を撒き散らした。
「へ……?」
一瞬の出来事に動けずにいたアリアは噴き出た血を全身に浴びた。
「何よ、これ……」
血に塗れた自身の両手に視線を落とした時、アリアの背後を何者かが雷撃の如く走り去り、すぐ近くにいた他の魔術士や使役士の首が次々に切断されていく。
瞬く間に地面に血溜まりが出来上がり、アリアは動揺により腰を抜し、赤く染まった地面に座り込む。
目の前の惨劇が理解できなかった。戦いは終わったはずだ。それなのに何故まだ人が死ぬのか。
……嵌められた。
そうアリアは内心で言葉にした。
つまり、アヒトたちは負けたのだ。魔王に負け、偽の信号に騙された自分たちは訳も分からず殺され、この国が魔族に屈服する。
「いや、いああああああああああああああ」
アリアの絶叫が響き渡る。
大切な人々が死ぬ。大好きな人が死ぬ。最愛の国が死ぬ。守れなかった。魔族の手によって、全てが奪われる。
絶望による現実逃避からアリアの意識がプツリと切れ、血溜まりの中へと体が倒れていく。
「おい!!」
そこにバカムが飛び込むようにしてアリアの体を抱き支えた。
「おい! しっかりしろ!」
肩を揺するバカムだが、アリアが目覚める気配はなかった。
アリアの金髪の4割以上が白く染まっており、閉ざされた瞼から雫が流れている事に気がついたバカムはギリッと奥歯を噛み締めた。
「ちっくしょぅ……何なんだ、何が起きてんだよぉおおお!!」
その叫び声を背に、放電させながら外壁に着地した狼亜は、その場で腰を落ち着かせる。
「ふぅ……」
汗一つ掻いていないにもかかわらず、疲れたような表情を見せる狼亜の下に刀を二振り腰に携えた鬼の角を生やした女性が現れる。
「お! 鍔鬼なのだ。もしかして、丘下にいた残りをヤったのは鍔鬼なのか?」
「……仕事だからな」
そう静かに答えた鍔鬼はどこか遠くを見据えていた。
その隣に吸血鬼の少女ーーアニが降り立つ。
「はぁ……もう帰っていい? 私はもうくたくただよぉ。もうすぐ朝だよ? まだいもち食べちゃだめ?」
「知らん。デュランに聞け」
「えー、だって、デュランお姉ちゃんは絶対ダメって言うもん」
「ならリーダムに聞け」
「りーお姉ちゃんは今魔界の方だよ?」
鍔鬼は眉間を押さえ、大きな溜息を吐く。
今は子どもの面倒を見ていられるほど、鍔鬼の思考は穏やかではなかった。
鍔鬼は魔界へと視線を向ける。
最後の対象者である存在はリーダムに任せてある。だが鍔鬼が気にしているのはリーダムではない。
幻月の魔力波長に異常が生じている。おそらく、智翠の精神に極度のストレスや負荷がかかってしまっているのだろう。
「…………壁は1人で乗り越えるものだ、智翠」
誰かの手を借りられるのは、幼い雛の間だけ。成長した大人には誰も振り向いてはくれない。
「誰と話てるのだ?」
狼亜が耳をピクピクと動かしながら鍔鬼へと視線を向ける。
それによって鍔鬼は向けていた視線を切る。
「気にするな」
そう短く鍔鬼は言葉にした。




